今でこそ旧客なんて呼び方をしているが、当時は専ら雑客(雑型)と呼んでいた10系、30系、40系ごった煮の編成列車。
その中でも電関人は10系寝台に惹かれたもので数多くの写真が手元に残る。
さらにその中でも地元鹿児島本線を駆け抜けた急行かいもんが最もお馴染み。
ちょっと野暮ったいスハネ16とやや垢抜けたオハネ12は甲乙つけがたいところ。
5:40に博多に到着する102レの降車準備が始まったころの様子を流し撮り。
意外とビジネスユースが多いような客層が窺える。まだまだ夜行列車での移動が主流だった時代の記録。
そしてもう一枚。
全国の車両に常備されていたのかは不明だが殊九州にあってはその威力を発揮したであろう網戸。
優等列車に見合った細やかな心遣いが国鉄時代の職人気質を感じさせてくれた。
新幹線網がここまで発達し、やがてリニアが走り出そうとする現代において汽車旅風情は完全に消滅しようとしている。
唯々豪華な車両でクルーズするだけが汽車旅なのであろうか?そんなことを最近考えさせられる。
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これはどんなに着飾った豪華列車も真似が出来ない。
平日の夕、北陸から東京方面に向かう「はくたか」の車内は、
出張の報告書か、パソコン拡げたビジネスマンで一杯。
形は変われど、これもまた、必然。
それにしても…「雑客」だなんて言い方、誰が言い始めたのでしょうね?怪しいのは竹ノ塚在住の某ライター氏ですが…(^^);
(鉄道界で言う「雑型」とは鉄道国有化時に編入された所謂社型車輛や省基本型制定以前のものを指す言葉であって鉄道省~日本国有鉄道制式客車はそれに当たらないのです。個人的には「在来一般型客車」と呼んでいますが、これだと普通鋼製車が対象でナハ10以降の軽量客車が含まれなくなるのが辛いところですが、AVブレーキ手動ドアと言う事でひっくるめています)
ただ…JR現職の方からmixiで教わったのですが近年は運転取り扱い上「その他客車・雑型」と記されるとのことでしたので一概に否定も出来かねるようになってしまいました)。
済みませんm(_ _)m客車好きはついつい拘ってしまいまして…
何度も出会っているはずなのですが、ほとんどマトモに摂っておらず、でした。
いいですね~!
この頃の夜行列車、鉄ちゃんよりも一般客の需要が多かったのですね。
新幹線の延伸、マイカーの普及、高速道路の開通で、乗客は分散され、夜行列車さえも絶滅危惧種になりました。
北陸、北海道新幹線が開通した後、在来線は果たしてどうなっていることやら…。
1枚目は、もう一度リバーサルで狙いたかったのですが
その後何度か試みるもこれだけの乗客が通路側にいることがなく。
だんだんと夜行列車が70年代という時代とともにその責務を
失い始めていた真っただ中だったのでしょうね。
いえいえ、いつもお見事な客車の解説を楽しみにしております。
雑客や雑型など様々ある呼び名の謎を解いていただけて、
むしろすっきり腑に落ちました。これからもお願いします。
ご指摘通り、つるっとしてかつずんぐりした風貌がワゴンリーなどの
オリエント急行を彷彿させていますね。
確かに本州最後の国鉄魔境北陸に新幹線乗り入れ後、
何が待っているのか。
今のうちに再訪してしっかり国鉄の残影を記録しておきたいです。
オハネ12やオハネフ12,13はTR50でしたが、旧型の台枠を利用したスハネ16はTR47。様々な違いが有りましたね。
20系よりも身近で愛着のある車たちでした。
謎ですが、きっとヌを付けていた時代の残党かなぁ。
車の歴史を感じますね。。。