その名はマニ37。昭和50年3月改正で、多くの旧型客車による急行列車が廃止された。辛うじて旧型のまま残った夜行さんべやかいもん、日南などにその往年の余韻を感じつつ、同様に14系化された雲仙・西海号に連結されて下ってくるマニ37を愛おしく撮影した。あれからもう40年も経とうとしている。1978年3月 鹿児島本線 水城~二日市
ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
コメント利用規約に同意する
フォロー中フォローするフォローする
でも、旧型客車だけで編成された急行列車らしい急行列車って、日南と大雪くらいしか撮った事がありません。
上野口の急行列車が沢山残っていた時期も蒸機撮影優先でほとんど何も撮らず、勿体ないことをしました。
何処かの駅でちらりと見かけるそれに風太郎少年も旅心をかきたてられたものです。
マニなんとかという形式名など何の興味も無かったんですけどね。
そうそう急行列車と共に在るものでもありましたね。
特急と違って急行列車は生活列車でもあったのでしょう。
私も、客車急行の末端に付いていた、荷物車や郵便車は好きでした。
特に旧客時代はロネ、ハネ、ロザ、ハザ、そして荷物車と雑多感が何とも素敵でしたよね。
あぁ~、客車列車って良いですね・・・
北海道発着の車両は、青函連絡で海も越えていました。貨車とともに連絡船に積み込まれていました。
東京発着の九州急行の桜島や高千穂にも、もちろん九州寄りに連結されていました。
マニはどんな車両よりも、日本中を駆け回った、さすらいの旅人だったんでしょうね。
臨時で一部ある位で、山陰の826.827、紀勢の921.924、きたぐにの寝台くらいしか残らず。
マニ37、ブルーに塗られて活躍してましたね。
大雪と日南、日本の端と端で晩年まで蒸機牽引だった2列車ですね。
オロを2両付けた全盛期の日南を実際に見てみたかったです。
軽量車両のオロ11は1段下降式だったのが災いしたのでしょうか、
スロ54や62より短命だったので実車を見たことがありません。
かつて、国鉄が新聞輸送も担っていた時代。
つい最近まで一般の電車で先頭車の一部を区切って新聞輸送していたのが
懐かしいです。
急行列車の編成に繋がって黙々と働いている荷物車が健気で好きでした。
特に荷物車は、もと寝台車だったり食堂車だったりはたまた一等車だったりと
その経歴が複雑なのがまた面白くて良かったですね!
とても良い表現ですね!
躯体をボロボロにしながらも一生懸命役目をこなしている
愛おしい存在でした。
大阪発着の列車では、銀河とだいせんが好きでした。
特にだいせんの10系でほぼほぼ統一された編成は見事でしたね!