今日もダイヤ改正に向けた話を。
それは愛称名のこと。
使用車両は変わりながらも脈々と受け継がれた愛称名「はな」
1960年代終盤に、沖縄返還を記念して特急の愛称名として授けられた。
当初はキハ82系でスタート。(1972年夏撮影)
そして電車化され、
1973年10月の山陽新幹線岡山開業の際に電車化され昼行特急として運転。(1974年秋撮影)
1975年3月 山陽新幹線博多開業時に今度は寝台電車となる。(1975年夏撮影)
その後同じ581系ながらサインが絵入に変更。
さらに1980年10月改正で寝台列車に変わる。
24系25型で運転され途中からは牽引機関車にヘッドマークも掲げられるようになる。
払暁の原田駅を颯爽と通過するED7669牽引31レなは。(2003年5月23日撮影)
最後は2008年2月改正により40年の歴史にピリオドを打つ。
沖縄返還という記念の愛称名だっただけに大事に継承されたが惜しまれつつ幕を閉じた。
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583の「なは」は何となく覚えがあります。
記録と創作という写真の持つ2大特性の両方に魅了されて、
その被写体を鉄道にしたというのが電関人のオリジンなんでしょうね。
夜行になっても愛称が堅持されたのは沖縄返還に因んだ愛称と言う事で過分に「大人の事情」が考慮されたものでしょうね。
結局1度たりとも利用する機会が得られなかったのが心残りです。
電関人も、なはを利用したことはありませんね。
阪福間寝台特急だと、月光、明星、あかつきでしょうか。