門ミフ=南福岡電車区は言うまでもない名門電車区の一つ。
交直流60hz車は、新製時には必ずメーカーから引き渡される際にこの電車区にて試験する。
写真撮り始めの頃は月に4~5度は足を運んだ場所である。
12月の帰省時、37年ぶりに南福岡で降りる用事がありその電車区の今を見てきた。
住人の電車形式は違うが、構内線形はほぼ変わらないといって良い。
その名門を写真で見比べる。
ゴーマルサン改正少し前、ミフで見た初納入時試験中の415系。(1975/02)
同じく耐寒型のヨンパーゴ1000番代の新車試験中。(1975/05)
当時、非貫通型が新鮮だった。
そして、ミフといえば忘れてはいけないのは581系の存在だ。
ゴーマルサンで消えた、581系の代名詞の月光。(75/02)
検査施設脇の洗浄線には準備が整った581系が小休止。(76/01)
この並びを写すのに電車区裏のドブ川沿いに塀を歩く。
その塀も今や金網も付けられて進入しずらそうだ。
ゴーマルサン前後は日参状態だった。
この日は雪か何かで博多打ち切りになったのだろう、
きりしまが滅多に581系が入らない線に入っていたので、普段真っ暗なうちに走る雄姿を撮影できた。(75/02)
大人になり目線も高いしあたりの景観も高い建物ばかりで、
かつての有人踏切が小さく見えた。
この先少しいくと、ミフの南門。
その門外から除く風景は、今も昔も殆ど一緒で
様々な車輌が無造作に所狭しに犇めく。
因みに博多の街の冬のお祭りといえばゑべすさまだ!
駅前の商店街はちょうどその準備に追われていた。
2017年 冬 (昔の写真は75年、76年撮影)
まあそれだけ大都市圏の主要電車区、縮小の言葉とは遠い所にあるのでしょうね。
長距離列車の雄姿を目の当たりにする事が鉄道旅行への憧れといざないになっていたと思うのですが、
それは新幹線が担っているからいいじゃん、というのが時勢なのでしょうか。
見事に釣られました(笑)
こんな初々しい485、583系列を拝見すると、目頭が熱くなりますね。
それも憧れだった月光、つばめ、日向、きりしま・・・ もうノックアウト状態です。
これ、意図してアップされたのでは。
鹿児島本線、長崎線、日豊線と急行こそなくなりましたが、特急がバンバン往来するし貨物もやってきます。
皮肉なことに、一番総売り上げ中の鉄道売り上げ比率が一番小さい(?)九州社がまだまだ鉄道らしい形態でいるということですね。
ミフにはインターシティEXPしか居なくなりましたが、お隣の竹下には、未だに機関車牽引方式を残したななつ星が
塒としており、かつての寝台特急あさかぜや急行寝台などが居た風情を残してくれています。
ちょっと刺激が強すぎましたかね!?(笑)
風太郎さんとはちょっと違い、日本の片隅で西鉄と国鉄の特急列車に貨物を
こよなく愛してやまなかったフクオカシテーボーイだったのですよ!
今も昔も門の内側に広がるのはまるで宝石箱を覗いているようでワクワクしてしまいます。
納豆岡ワンパターンデザインは主にリゾート列車中心で、
近郊車の赤い顔の883は結構お気に入りです!
同じ頃、大牟田から数回通いました。
写真にある裏門から勝手に電車区に入って、ちゃっかり撮影したことを思い出します。(まだまだおおらかな時代でした)
そして、この電車区からほど近い処に住むことになろうとは・・・。
こっそり入って職員に遭っても咎められることはありませんでしたし、
助役に許可撮って入れば、空きの車両で愛称名を次々変えて撮らせてくれたり、入換中の581の運転台に乗せてもらったこともありました。
本当に大らかな時代の総天然色、楽しんでいただけたら
何よりです。
つばめ、月光、きりしま等、涙ものです。
ゴーマルサン後も、幕は一部そのまま残っていたものもあったようですね。
大ムコと並び気になる車両基地で、一度は行ってみたかったところです。
掲出写真のうち、明らかにつばめはパチもんです(爆)
当時、正式訪問(助役さんに入場許可を取ると)すると、同行してくれて、愛称サインのクルクルサービスは朝飯前でした~(猛爆)