筑豊本線から蒸機が姿を消して間もない原田駅。
其処彼処に蒸機時代の面影が残る構内に佇むオハフ33。
到着後の機回しも済んで静まり返ったホームで古豪の顔と対峙する。
俺は筑豊の栄枯盛衰をすべて見てきたと言っているような風格。
筑豊のヤマに入る人を運んだのも今は昔。
筑豊からマチで働く人や学生を運ぶ今。
折返して筑豊へ向かう列車に人影はほとんど無く。
静かに発車を待つオハフ33。
1977年10月 筑豊本線 原田駅にて
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筑豊本線から蒸機が姿を消して間もない原田駅。
其処彼処に蒸機時代の面影が残る構内に佇むオハフ33。
到着後の機回しも済んで静まり返ったホームで古豪の顔と対峙する。
俺は筑豊の栄枯盛衰をすべて見てきたと言っているような風格。
筑豊のヤマに入る人を運んだのも今は昔。
筑豊からマチで働く人や学生を運ぶ今。
折返して筑豊へ向かう列車に人影はほとんど無く。
静かに発車を待つオハフ33。
1977年10月 筑豊本線 原田駅にて
丸妻のオハフ33、S50.12の全検表記も懐かしくどこかへ行きたくなる気分です。
同じ頃、自分は列車の頭ばかりを撮っていただけに、
一連の組み写真に脱帽です。
客車列車がもつ静寂さが感じられます♪
それにしても、電化路線である鹿児島本線から分岐する筑豊本線原田駅には架線が張られていなかったのですね。
乗り心地はさておき、ノスタルジー満点の存在でしたね。
九州内や山陰本線、そして磐西本線で散々撮らせていただきました!
中学、高校と写真部だったということもあって生意気かつ変なアングルの写真が山のように・・・(笑)
廣田さんはじめ先鋭的なカメラマンに憧れて。
原田駅へは、やはり蒸機の残り香というか実際に見ていたこともあって
好きな撮影地の一つでしたね。
ちょっと土門拳の「筑豊」がダブりました。
汗と涙の味がするような「汽車」も遠いものとなりました。
ガキの頃は散々一筆書き旅行をして回っていたのに、炭鉱の街などの風景は少ししか撮っておらず。
渋いものよりカッコいいものに振り回されていた年頃で、高校生になってややその価値がわかるようになった頃には
今度は被写体が変貌していました。。。