高校2年夏の関東遠征では、懐浪漫人さんに大変お世話になった。
この日も彼方此方と連れて行ってもらっていたようであるが、新幹線開業前の大宮駅は東北本線・上信越方面の優等列車が
頻繁に発着していてまさに鉄道銀座。
そんな中、今でも強い印象に残っているのは既に181系の運用はときに残るのみであずさ、あさまは183系、189系に
バトンがわたっておりそのボンネットの凛々しい姿は見れなかったのであるが、唯一あさまには間合いの運用で489系が使われており、
嬉しくもボンネットの大型サインをかざす姿をカメラに収める事が。
かつての主要駅には必ずあった台車用のゴンドラ(テルファ)が写っていて懐かしい。
ホームには、軽井沢からの避暑帰りだろうか優雅な姿の乗客が降り立つ。
もちろん上野方には、EF63連結用にカバーを外した連結器とジャンパ栓が備わる。
この頃のあさまのサインには大きく2タイプあって、文字の書体と大きさが異なった。
信号設備や、架線柱も古くていい感じである。
判りづらいが画面右奥には大宮の貨物操作場が拡がっていた。
左上の「キャバレー ハリウッド」のネオンも時代を象徴するもの。
1978年8月9日 大宮駅 489系あさま
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電車はもともと積極的には撮っていませんでしたが、あさまは良く乗りました。
でも、ボンネットは記憶にありません。
大宮駅の風景も懐かしいですね。
貴重なお写真を拝見出来ました。
もっとも白山色、絵入りヘッドマークに変っていましたが…。
やはりオリジナル塗装、文字のみのヘッドマーク、貫禄あります!
この写真を見て、上野駅で自分も撮っているかも!?とアルバムをめくりましたが、「ひばり」「ひたち」で、「あさま」は189系でした。
それにしても文字の字体に2種類あったとは、初めて知りました。
自分としては上の写真のほうがしっくりくるかな!?
この当時、国鉄のターミナル駅にあったキャバレーのネオンサイン。
今からするととても懐かしく感じます。
大人の社交場として、そこでナニが行われているか興味津々でした(爆)。
いわゆる「大箱」と言われたものなのでしょうね。
風俗もバブル崩壊とともにシュリンクしてきたように思えます。
(話しが別の方向に飛んでしまってすみません)
「あさま」の文字ですが、私は0番台側の文字が好きでした。
181系の停まりを一度だけ長野で撮った事があります。
写真、探さないと!!
昨日の事のようで、でも確実に昔の風景で、不思議な心境になりますね。
手が届いただけに、何故写真に撮るという作業をしなかったんだろうというほろ苦さが、やっぱり広がるかなあ。
32Countさんがコメントしてくれた通り、この時期基本189系でしたが、白山の間合いで1往復だけ489系が担っていました。
やはり、ガキ鉄としては大型サインのボンネット型特急に
憧れました。
ガキ鉄の常とう手段でしたが、こうして当時のえき、駅周辺の
様子が写り込むことでその時代の素顔が切り取れていて
今頃になって効力を発揮している感じです。
下手な写真ですが、面白い発見があったらまたほかの
ネタを探してアップします!
181系は結局ときしか間に合いませんでした。
ガキ時代に信越地方もも関東地方も遠い場所でした。
あの鉢巻無しのチャンピョンマーク付きの3番を撮りたかった、
というかレコードフォルダだったから今なら保存対象ですよね!
あの時代は、高度成長期を超えどんどんと新旧交代の
新陳代謝が激しい時代で直流区間はその歴史も古く、
その分車両数も多かったので、高度成長の立役者たちが
若干残る時代で、特に歴史の浅い交流区間在住者にとっては
被写体だらけだったのです。
或る意味、環境の違いだったかも・・・。