JR線区においては、ごく一部を除いてこの表現は使えなくなってしまった。
木の温もりのある駅舎。
格子窓の向こうを急行列車が通過していく、昭和の日常風景。
1977年12月晦日 山陰本線 居組駅
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格子を通して差し込む朝の光も好きでした。
でも1977年当時、こんな写真も撮っていたんですね。
日本海の碧い海、泳いだ後近くの大きな川で身体を洗い、今でいうシャワー代用です。
裸電球に大きな時刻表でしょうか?当時は壁一杯に沿線各駅の駅時間が表示されている張り紙状の時刻表でしたね。
木造の待合室には”チンチン”と鳴る閉塞機の鐘の音が響きます
そんな昭和の蒸気に牽かれて行った夏旅行を思い出しました(^^)
この駅に出かけた理由は、当時のダイヤで日中に確か
二回特急通しの待ち合わせがあったからだと思います。
壁に貼られた大きな時刻表で空想旅行をよくやったものです!
臨海学校、いい響きです。電関人の時は林間学校だけでした。
コメントの返信忘れです(-_-;)
この駅で特急同士の交換を撮ったりして約半日ほど滞在。
列車を待つ間いろんなアングルを試していました。
やはり時間をかけて対象と対峙する姿勢が大切ですね。
お見事!
同じ頃、車両ばかりに目がいっていた私からすれば、
とてつもないカメラアイです。
ローカル駅の窓辺、
それがもう一枚のキャンバスになっていましたね。
車両をブラしているのも味わい深いです。
中学、高校と鉄研なる部活は無く6年間写真部で過ごして
おりましたから当然作品作りもしなければならず。
また、ハイドロキノンや無水炭酸ナトリウムなど調合して
現像液を作ったりもしました!今の電関人はこの頃に土台が
出来上がったようです。。。