間もなく山陰本線を走っていた183系が引退とのニュースに触れ、
真っ先に頭の中に出てきたのはこのことだった。
京都駅 山陰1番ホーム。
そうなのだ、数年前に仕事で城崎に出張した際まさに京都から特急きのさきに乗ったのであるが、
慣れ親しんできた山陰ホームだったところには30番線というホーム番号ではインフレ的番号が振られていて、
とても興ざめしたのを思い出したのである。
山陰本線起点であるにもかかわらずその凋落ぶりを感じざるを得なかった。
利用者に分かり良いように飛び番で30番代を振ったのかもしれないが、それであれば山陰1番・・・という方がもっとわかり良い。
昭和生まれの頑固親父の戯言かもしれないが、一山陰本線ファンとしての発言として言わせていただいた。
1981年(?)撮影 京都駅山陰1番ホームにて キハ82系 あさしお
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アレは「乗り場」です。
ホームという表現が大袈裟だとしたら、
まあ番線というか乗り場でも良いんですがね・・・。
広義と解釈してくださいな。
もっとも…それ以上に印象に残っているのが山陰本線ローカル客レ、DF50にエスコートされた在来一般型客車には見慣れぬスハ42や中学時代山陰本線西端で出会ったオハ363などを見つけ悦に入っていたものです。
後に確かあれは1980年代前半でしたか京都在住の従姉を訪ねこの界隈の乗り鉄をした事があります。
聞けば複線電化された現在では随分と界隈の様子も変わった由。何時の日か嵯峨野観光鉄道を訪問してみたいものです。
日本一の長さを誇る1番線(今は0番線?)
の先っぽに間借りするようにある山陰ホーム。
私が最初に訪れた時は、DD54が出入りしたり
82系が来たりで、玉手箱のような場所でした。
今では電化区間によって列車運用系統も分断されて、
1本の本線とは名ばかりになってしまった山陰本線。
おっしゃるように、客車王国でしたし優等列車本数も多く
活気に満ちていた70年代、80年代でした。