最近ネガを整理していてふと気が付いたこと。
それは、当時の鹿児島本線の電機の運用はゴーマルサン(75年3月)改正以降ED72のSG使用が無くなり
ED72、73、75、76は一部の10000系貨物列車と荷物列車それに20系客車、それに旧型客車(SG使用)以外は
共通化したことになっていたかと思うのだが、意外にもED76の貨物運用が少なかったようである。
16時前に上ってくるこの重連地域間急行貨物にも日によってはED76が入ることが見られた。
これ以外に確認できたものでは数本の限られた貨物だけだったようで、これは70年代当時鳥栖以南の鹿児島本線と電化後の長崎本線の
普通列車にまだ旧客が存在したのとながさき号、夜行かいもんと日豊本線の夜行日南とそれに荷物列車の限定運用が残ったのと
因果関係があったのであろうか。
奇しくも当時、貨物の先頭に立つ珍しいナナロクだった。
1976年9月 鹿児島本線 水城~白木原 ED763+ED72 地域間急行貨物
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本務機は次位のED72で途中からED76が前位に連結されたかもしれませんね。
門司の罐は熊本以南入線してたんでしょうか?
前に送った機関車運用表じゃ57-11以降は長崎・佐世保、熊本操車場まででしたので。
日豊本線は大分の罐だけだったんでしょうか?
よく撮ったこの貨物、手元にダイヤが残っておらず列番が不明。
定期重連でおそらく鳥栖か久留米辺りから機関車を回送していた運用かと推察。
確かに、何年ころまでだったか軸重制限が南の方に行くと
ありましたね。そこへはED72や76しか入れなかったのでしょう。
当時日豊本線は大分の機関車だけだったと記憶してます。