今日は知り合いのこあらまさんにコラボして。
かつて日本中にあった貨物操車場で日常に見られた突放作業。
それを最後までやっていたのが、岳南鉄道の比奈駅だった。
機関車で押し出した貨車を操車手がブレーキをかけながら操る。
機関士と操車手の絶妙な連係プレイが見どころ。
その阿吽の呼吸は、当然両者の信頼あってこそ。
緊張の裏には談笑がある。
そんなプロフェッショナルな「しごと」は見ていて心地良い。
すでに駅務員が居なくなっていた比奈駅では、操車手が駅務も兼ねていた。
電車の交換を捌き終わると暫しの休憩をはさんで、次の作業が始まる。
組成し直した貨車を、隣の工場引き込み線へ送り込み。
比奈駅の一日は忙しく過ぎていく。
そんな比奈駅に通う貨車はもう無い。
遠い過去になってしまった昭和の日常風景「突放作業」
2011年7月 岳南鉄道比奈駅
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貨車の入れ替え作業を見ていると、時が経つのを忘れますね。
コンテナ貨物と新幹線だけでは駄目だと思うのですが。
そういえば、こんなシーンを記録していなかったと後悔。
息の合った仲間での、プロの仕事。良いものです。
鉄道員の死傷事故の殆どはここで発生したという超危険作業、
でも運転業務の経験なしでは駅長になれなかったからと多くの若い鉄道員の通過儀礼でもあったようですね。
鉄道現場の汗と涙がこの作業に吸い込まれています。
なんだかついちょっと前のコトだと理解していました。
比奈駅の突放作業、末期にはエッチラオッチラ長野からよく出かけました。
ホント、昭和の鉄道風景が色濃く残っていましたね。
線形が面白くかつ入れ換え作業の複雑さからこの駅をメインにしての撮影は、アングルが多彩で飽き知らずでした。
素晴らしいショットの数々ですね。賑やかそうで働く方々も和気あいあいで、いい雰囲気です。
何よりも、線路がちゃんと繋がっている様に嬉しくなります。
やっぱり、突放に集中したのが正解でしたね。これはなかなかの名作です。
活気のある鉄道風景は本当にいいものです。とても目の保養になりました。
ふた昔からみつ昔くらい前までは、少し大きな駅でよく見られた突放作業も、
今や殆ど見られないとは、日本の鉄道は旅客にシフトし過ぎな感じもしますね。
幼心に、ガシャーンと響くのに怖さを感じると同時に、「THE・男の仕事」を感じていました(笑)
結局比奈の突放を見に行ったのはこの時の一度だけでした。
古参の電機が稼働している時に行ってみたかったです。
この時も駅間で貨物を撮るのを忘れてここでずっと撮っていました(笑)
二軸貨車は、線区の表定速度の問題で高速化の犠牲になってしまったのは仕方が無いまでも
もう少し高速化車の開発を真剣にやっていたらこの国の鉄道網はもっと毛細血管まで血が通っていたかもしれないですね!!
電関人も気が付くのがやや遅かったようでした。
結局旧型電機が稼働する融資を見ることができませんでした。。。
まだ比奈駅構内ぐらいの広さだったらまだしも、一大貨物ターミナルの
突放作業は危険極まりなかったのでしょうね。
電関人にとっては、最寄りの南福岡駅の貨物ホーム辺りで、
DD13や解結貨物を牽いてきた本務機そのものが入換をする風景が
鉄道に対する憧憬そのものなのです。
結局、突放作業のあまりの懐かしさに駅間での貨物列車の写真を撮れなかったことと、社名の通りの富嶽を入れての写真も撮れなかったのが心残りとなりました。
あと、古参電機の稼働風景もそうですが・・・。
どうも静岡地区というのが出掛け辛い場所でして、とうとう
岳南詣でもこの一度限りとなってしまいました。
電機好きの電関人としてはもっと早くから出掛けてみたいと思っていましたが、
重い腰が上がらずに、お尻に日がついての詣でとなったことを今も反省しております。それでも久々に見た突放には感動したものでした。
突放作業は、電関人にとって貨物列車が好きになった原点みたいな存在なのです。
しかしながら、ちょっと観点を変えて考えてみるともう少しこの国の貨物列車インフラに対して日本人の得意な技術革新と投資が多く注がれていれば鉄道貨物輸送は飛躍的に進歩を遂げていたのかもしれませんね。
ただ、鉄道趣味としてはつまらないものになっていたかもしれませんが・・・。