小学校時代、遠足などで良く出かけたのが基山。
この草スキーが楽しめる低山に電車で向かう途中、原田で出会える蒸気機関車が楽しみだった電関人。
筑豊本線分岐駅である原田は広い構内を持ち、当時筑豊本線の普通客車列車を牽く蒸機が到着後転車台を使って
機回しをしたり、簡易の給水、給炭設備で折り返しの準備をしたりするのをじっくり観察できた。
写真を本格的に撮るようになったころには原田に通う機関車はDD51にとってかわったが、
蒸気時代の面影を残す原田駅は特別な場所であった。
また、原田駅前後は鉄道写真を撮るのにも良いポイントが点在していて、いつしか学生時代の電関人の原田詣でが始まったのである。
画面左端に写る給炭・給水設備やアッシュにまみれた駐機、機回し線など今にも蒸気機関車が現れそう。
上)1977年10月、下)1978年7月
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それを駆逐したはずのDDさえ、罐の居場所の主として遜色ないように見えます。
ごく短かったはずの「過渡期」を伝える一枚は貴重ですね。
電関人がカメラ片手に通うようになった直後には50系化され、
今や黄色い単行DCが数往復するだけに・・・。
写真に残せたのは、原田駅の最後の輝きだったかもしれません。
余談ですが、冷水越えのブルトレを一度だけ撮りに行きましたが、
カメラのレリーズロックを解除し忘れておじゃーにしました・・・。