今年の年末はドタバタの日々が続いているが、ようやく後1日のところまでやってきた。
それでもまだ明日に打ち合わせも残り、年明け早々からフル稼働モードに・・・。
あと1日といえば今でも思い出されるのが新幹線博多開業前日の50年3月9日の下関。
そぼ降る冷たい涙雨の中、つばめ、かもめ、はとといった山陽路の名列車たちがラストランをした日、その雄姿を下関駅で見送った。
もうASA100の感度では厳しくなる午後4時ころ翌日からは列車名を九州内の有明に変えて走る481系つばめがまさに最後の関門トンネルを
九州に向け潜ろうと下関駅発車寸前。
関門トンネルの主、EF81301号機とEF30に見送られる。
1975年3月9日 山陽本線下関駅 481系つばめ ほか(再アップ)
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赤スカートの481系も懐かしく、昨日のように思い出されます。
お写真のクハ481、ヘッドマークが幕式に改造されたモノの様ですね。現場では作業の効率化が図られ好評だったでしょうか?その「つばめ」の両脇に露払いと太刀持ちよろしく並ぶステンレス電機、エスコートするのは客レ?カモレ?それとも荷レ?山陰線系統も含めれば思いのほか関門トンネルを通る客レが当時はありましたね(門司発下関行き客車鈍行…って殆ど回送列車を客扱いしている様なものですね)。
このところ界隈には御無沙汰していますが何時か再訪したいものです(当時の駅舎は焼失しているだけに良き時代の面影はかなり失われている様ですが…)
本当に、我々の世代においては特に大きな改正でしたね。
それ以来本当に長きにわたって、何度も改正の憂き目に
遭いながらもよくもここまでこの趣味を続けられたと思います!
旧型車を繋げた多くの急行列車がこの改正を境に関門トンネルを
潜ることをやめてしまい、とても残念でした。
つくし、西海、阿蘇、桜島などごく一部の列車しか思い出は
残っておりませんが、それがあってこそその後客車列車を
追い求めてあちこちの土地をうろついているような気がします。
貫禄ありますね~。
かつて1レを冠したこの栄光の愛称名、
中坊の頃、確かに時刻表上で見た記憶が残ります。
そう言えば、「つばめを動かす人たち」、
客レ時代の同列車を追ったドキュメントなのですが、
東京~名古屋をEF58-31が、名古屋~大阪をC62-18がそれぞれ牽引しているのが凄いです!
ネット上にも動画がアップされていますので、良かったら…。
C51やC62がEF58がそして151、481さらには新幹線まで、
栄光の愛称は永遠です。
EF58が同列車を牽いていた時代。
もし、1回だけタイムマシーンが使えると言われたら間違いなく
それを撮りに行きます!
YOU TUBE見てみます。。。