友達が電車で傘を忘れました。終点駅で車内清掃がない電車だそうです。5分ほどで気が付いて戻りましたが、傘はなかったそうです。忘れ物センターにも届いていませんでした。
日本は、落し物が戻ってくる社会で、海外の人が驚かれることが多いと聞いています。傘を忘れたら、周りの人が声をかける、追いかける、届けるなどをする人が多いと信じています。
傘を忘れたことで自分にがっかり、傘を失ったことへの落ち込み、傘を取った人がいることの残念な気持ちがきっとあったと思います。
私も富山から帰る時に、網棚の上にお土産を買って、越後湯沢での新幹線への乗り換え時、電車が遅れて少ししかないということで慌てて忘れたことがあります。幸い、車内点検時に残っていて後で費用をだして送っていただきました。鱒寿司を買って食べようと思っていましたが、生ものは棄てるとのことでもう棄てられていてがっかりしました。鱒寿司は数日保つのですが。涙
起きたことを変えることはできません。後はどう思うかです。起きた事象に対しての自分の取りうる態度は自分の選択肢です。忘れたことをいつまでも悔やんでいると気分まで落ち込みます。また気分まで落ち込むとその後の仕事や他のことまで影響してしまいます。つまり、傘を忘れた損失だけでなく、気分を害するという追加の損失も味わいます。その追加の損失をできるだけ少なくしたいです。それは私たちが選択できることです。
過ぎてしまったことは仕方がない。きっと今回の忘れは私が将来大きなミスをしないようにするための何か知らせだったのかもしれないと思う。私はそれ以来網棚の上にはできる限り置かないようにしています。その忘れがなかったら網棚にパソコンを置いていて忘れるなどのことをしたかもしれません。
もう一つ思うことは、雨が降っていたので、その傘を使った人は雨に濡れなくて良かったと思うことです。良い施しができたと。願うなら、傘を大切にして欲しいと思います。まるでジャンバルジャン(ああ無情)の神父がジャンバルジャンが盗んだ銀の食器を咎めずに、銀の燭台まで与えた話と同じ気持ちに近いかもしれませんね。ただ、傘を取った人は同じ類のことをされるかもしれませんが。
起きた事象はその事象だけに留めたいと思います。