http://digital.asahi.com/articles/ASJ2964BLJ29ULBJ01M.html?rm=481編集委員・浅井文和、田内康介2016年2月16日
誰もが迎える人生の最終段階。病気が治る見込みがない場合に、医療やケアの方針をどう考えたらいいのだろう。本人の意思を尊重して話し合うように厚生労働省のガイドラインができているものの、実際には多くの課題があるのが現状だ。
「どうする 最期の医療」
東京都国分寺市の住宅街。2月9日の午後、介護ベッドで休んでいた90代の女性の自宅を医師と看護師が訪ねてきた。
「こんにちは」。医師の宮崎之男(ゆきお)さんが声をかけると、女性が少し目を開けた。60代の長男夫妻は「開けたね」とにっこり。宮崎さんは「足のむくみはないです。状態はいいです」。
女性は3年前から新田クリニック(国立市)の訪問診療を受けている。レビー小体型認知症で実際にはいない虫が見えるなどの幻視が出ていた。3年前は車いすで外出することもできたが、その後眠っていることが多くなり、意思疎通も難しくなった。要介護度は最も重い5だ。
長男は「自宅でみていると毎月、衰えていくのが明らかでした」と話す。さらに、食べ物をのみ込むのが難しくなった。昨年11月、長男夫婦と長女の3人で、新田クリニックを訪ねて宮崎さんと方針を話し合った。
胃に穴を開けて体外から通した管で栄養剤を入れる「胃ろう」という選択肢もあった。しかし、長女が「本人は『胃ろうはしたくない』と言っていた」。胃ろうはせず、できることをしようということにした。
いま、朝昼晩に少しずつ口から栄養剤をとる。大好きなアイスクリームを食べることも。肺炎を防ぐために歯や口の中をきれいにケアすることは欠かさない。長男は「病気が回復しないのなら、なるべく自然に近い形で」と語る。
今年はじめには水を飲むこともできなくなった。宮崎さんに電話をして助言をもらった。妻は「何かあったときにすぐ来てもらえて安心です」。
夫妻も最初から自宅で母のケアをすると決めていたわけではない。老人ホーム入居を考えたこともあるが、自宅の方がきめ細かいケアができると考えた。3年前に長男が退職したあとは、介護サービスも使って夫婦で支えてきた。新田クリニックの新田国夫院長は「人生の最終段階で胃ろうなどの医療がどこまで有効かはわかりづらい面はある。判断は難しいが、どんな医療を受けたいか自分で考えて決める時代になっている」。
■希望がかなうかどうかには課題も
病気の回復が見込めず人生の最終段階が近づいた時、医療の方針をどう考えればいいのか。厚生労働省が2007年にまとめ15年に改訂した「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン(指針)」では患者本人の意思を尊重し、医師らからの適切な情報提供や説明に基づいた話し合いを重視することを原則とした。
国分寺市の女性の場合でも本人が直接話し合える状態ではなかったが、以前長女に話していた意思を尊重して、家族と医師らが話し合って方針を決めた。
「最期の医療」について、家族で話し合ったことがある人は多くない。一般の人や医療従事者らの意識の変化を把握するため、厚労省は「人生の最終段階」の医療について、意識調査を実施。13年調査では、無作為抽出した一般の男女5千人のうち2179人から回答を得た。それによると、話し合ったことがある人は42%にとどまり、全く話し合っていない人は56%にのぼった。
自分で判断ができなくなった場合に備え、どのような治療を「受けたいか」や「受けたくないか」という意思表示をしている人は少ない。書面での意思表示に70%の人が賛成しているが、そのうち作成している人は3%しかいなかった。
「人生の最終段階」を過ごしたい場所についてはその時の状態によって異なる結果が出た。末期がんで痛みはなく、意識や判断力が健康な時と同じ状態で、食事がよくとれる場合、過ごしたい場所は「居宅」が72%、「医療機関」が19%。一方同様の状態でも食事や呼吸が不自由な場合は「医療機関」が47%、「居宅」が37%と逆転した。認知症が進み、身の回りの手助けが必要でかなり衰弱が進んできた場合は「介護施設」が59%と最も多かった。
25年には国内の年間死亡者数が150万人の多死社会を迎えるといわれている。75歳以上の1人暮らし世帯も10年に270万世帯だったのが25年に450万世帯に急増すると推計されている。大都市圏で医療・介護の施設や人材不足が指摘される超高齢社会で自分が望んだ形の「最期の医療」を受けられるか。1人暮らしの最期をどう支えていくかなど課題は多い。
ガイドラインをまとめた厚労省検討会の座長を務めた樋口範雄・東京大教授は、法整備が進んでいる米国でさえ、人生の最終段階の医療はうまくいっているとはいえないと指摘する。その上で「人生の最終段階でどのような医療を受けたいか話し合ったり、意思表示したりすることは、自分のためだけでなく、家族や周りの人のためにもなる」と話している。(編集委員・浅井文和、田内康介)
◇
〈人生の最終段階の医療〉 残された期間が短い末期がんや年月をかけて衰える病気などが対象。富山県の射水市民病院で2006年、末期がん患者らの人工呼吸器が取り外されたことが発覚。2人は殺人容疑で書類送検されたが、09年、富山地検は嫌疑不十分で不起訴処分とした。この問題を契機に、国や関連学会などによる議論が加速し、相次いで指針ができた。国は15年、指針の名称や用語について「終末期医療」から「人生の最終段階における医療」に変更した。
感想;
初めがあれば必ず終わりが来ます。人生は山登りに例えられる場合があります。
だんだんとできないことが増えて来ます。病気に遭うことも。
アルフォンス・デーケンスさんは日本に”死生学”を導入されました。
死を考えることは生を考えることであると。
それを考えると、今を精一杯生きることなのだと思います。
過去を今に生かして、今できることを行動する。それが未来の不安を少なくすることにもなるのでしょう。
人は大切な今の時間を、過去を悔いることと未来を心配することに多くの時間を割いて、一番大切な今できることをしないという愚かなことをしがちです。これを常に思って、小さなことでも一つひとつやることなのでしょう。
デーケンスさんはご講演で、死んだ後の葬儀についても家族と話し合っておくことが大切だと話されています。
そうしないと、遺族は葬儀の松竹梅の選択で、つい松を選んで、請求書を後で見て嘆くと、ユーモアたっぷりに話されていました。
最後の医療もどこまで希望するかを家族と話し合っておくことが大切なのでしょう。
誰もが迎える人生の最終段階。病気が治る見込みがない場合に、医療やケアの方針をどう考えたらいいのだろう。本人の意思を尊重して話し合うように厚生労働省のガイドラインができているものの、実際には多くの課題があるのが現状だ。
「どうする 最期の医療」
東京都国分寺市の住宅街。2月9日の午後、介護ベッドで休んでいた90代の女性の自宅を医師と看護師が訪ねてきた。
「こんにちは」。医師の宮崎之男(ゆきお)さんが声をかけると、女性が少し目を開けた。60代の長男夫妻は「開けたね」とにっこり。宮崎さんは「足のむくみはないです。状態はいいです」。
女性は3年前から新田クリニック(国立市)の訪問診療を受けている。レビー小体型認知症で実際にはいない虫が見えるなどの幻視が出ていた。3年前は車いすで外出することもできたが、その後眠っていることが多くなり、意思疎通も難しくなった。要介護度は最も重い5だ。
長男は「自宅でみていると毎月、衰えていくのが明らかでした」と話す。さらに、食べ物をのみ込むのが難しくなった。昨年11月、長男夫婦と長女の3人で、新田クリニックを訪ねて宮崎さんと方針を話し合った。
胃に穴を開けて体外から通した管で栄養剤を入れる「胃ろう」という選択肢もあった。しかし、長女が「本人は『胃ろうはしたくない』と言っていた」。胃ろうはせず、できることをしようということにした。
いま、朝昼晩に少しずつ口から栄養剤をとる。大好きなアイスクリームを食べることも。肺炎を防ぐために歯や口の中をきれいにケアすることは欠かさない。長男は「病気が回復しないのなら、なるべく自然に近い形で」と語る。
今年はじめには水を飲むこともできなくなった。宮崎さんに電話をして助言をもらった。妻は「何かあったときにすぐ来てもらえて安心です」。
夫妻も最初から自宅で母のケアをすると決めていたわけではない。老人ホーム入居を考えたこともあるが、自宅の方がきめ細かいケアができると考えた。3年前に長男が退職したあとは、介護サービスも使って夫婦で支えてきた。新田クリニックの新田国夫院長は「人生の最終段階で胃ろうなどの医療がどこまで有効かはわかりづらい面はある。判断は難しいが、どんな医療を受けたいか自分で考えて決める時代になっている」。
■希望がかなうかどうかには課題も
病気の回復が見込めず人生の最終段階が近づいた時、医療の方針をどう考えればいいのか。厚生労働省が2007年にまとめ15年に改訂した「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン(指針)」では患者本人の意思を尊重し、医師らからの適切な情報提供や説明に基づいた話し合いを重視することを原則とした。
国分寺市の女性の場合でも本人が直接話し合える状態ではなかったが、以前長女に話していた意思を尊重して、家族と医師らが話し合って方針を決めた。
「最期の医療」について、家族で話し合ったことがある人は多くない。一般の人や医療従事者らの意識の変化を把握するため、厚労省は「人生の最終段階」の医療について、意識調査を実施。13年調査では、無作為抽出した一般の男女5千人のうち2179人から回答を得た。それによると、話し合ったことがある人は42%にとどまり、全く話し合っていない人は56%にのぼった。
自分で判断ができなくなった場合に備え、どのような治療を「受けたいか」や「受けたくないか」という意思表示をしている人は少ない。書面での意思表示に70%の人が賛成しているが、そのうち作成している人は3%しかいなかった。
「人生の最終段階」を過ごしたい場所についてはその時の状態によって異なる結果が出た。末期がんで痛みはなく、意識や判断力が健康な時と同じ状態で、食事がよくとれる場合、過ごしたい場所は「居宅」が72%、「医療機関」が19%。一方同様の状態でも食事や呼吸が不自由な場合は「医療機関」が47%、「居宅」が37%と逆転した。認知症が進み、身の回りの手助けが必要でかなり衰弱が進んできた場合は「介護施設」が59%と最も多かった。
25年には国内の年間死亡者数が150万人の多死社会を迎えるといわれている。75歳以上の1人暮らし世帯も10年に270万世帯だったのが25年に450万世帯に急増すると推計されている。大都市圏で医療・介護の施設や人材不足が指摘される超高齢社会で自分が望んだ形の「最期の医療」を受けられるか。1人暮らしの最期をどう支えていくかなど課題は多い。
ガイドラインをまとめた厚労省検討会の座長を務めた樋口範雄・東京大教授は、法整備が進んでいる米国でさえ、人生の最終段階の医療はうまくいっているとはいえないと指摘する。その上で「人生の最終段階でどのような医療を受けたいか話し合ったり、意思表示したりすることは、自分のためだけでなく、家族や周りの人のためにもなる」と話している。(編集委員・浅井文和、田内康介)
◇
〈人生の最終段階の医療〉 残された期間が短い末期がんや年月をかけて衰える病気などが対象。富山県の射水市民病院で2006年、末期がん患者らの人工呼吸器が取り外されたことが発覚。2人は殺人容疑で書類送検されたが、09年、富山地検は嫌疑不十分で不起訴処分とした。この問題を契機に、国や関連学会などによる議論が加速し、相次いで指針ができた。国は15年、指針の名称や用語について「終末期医療」から「人生の最終段階における医療」に変更した。
感想;
初めがあれば必ず終わりが来ます。人生は山登りに例えられる場合があります。
だんだんとできないことが増えて来ます。病気に遭うことも。
アルフォンス・デーケンスさんは日本に”死生学”を導入されました。
死を考えることは生を考えることであると。
それを考えると、今を精一杯生きることなのだと思います。
過去を今に生かして、今できることを行動する。それが未来の不安を少なくすることにもなるのでしょう。
人は大切な今の時間を、過去を悔いることと未来を心配することに多くの時間を割いて、一番大切な今できることをしないという愚かなことをしがちです。これを常に思って、小さなことでも一つひとつやることなのでしょう。
デーケンスさんはご講演で、死んだ後の葬儀についても家族と話し合っておくことが大切だと話されています。
そうしないと、遺族は葬儀の松竹梅の選択で、つい松を選んで、請求書を後で見て嘆くと、ユーモアたっぷりに話されていました。
最後の医療もどこまで希望するかを家族と話し合っておくことが大切なのでしょう。