http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160208-00000021-asahi-soci朝日新聞デジタル 2月8日(月)
モデルとして活躍する佐藤かよさん(27)。男性として生を受け、女性として生きたいと悩み続けた日々、いつも支えてくれたのは母でした。子育てがつらいと感じたこともあったという母が今、振り返って思うこととは。それぞれに聞きました。
■学ラン嫌で家出
転機は中2の夏だった。
「『女の子として暮らしてみたい』という気持ちを抑えきれなくなったんです」。物心がついてから、自分は女の子だと思っていた。学ランが嫌で不登校気味になり、母にだらしないと叱られ、家を出た。約3カ月間、女友達の家を転々とし、化粧品や服を見に行ったり、カラオケをしたり。「素の自分でいられる居心地のよさ。もう男の子の生活には戻れないと分かりました」
母は捜索願を出し、息子を捜し回った。夏のある日、連絡を受けて駆けつけると、ふてくされた様子で待っていたのは、茶髪に派手なメイクのギャル。母は怒らず、「好きな服を着ていい。二度といなくならないで」と言った。
「病院に行ってみる?」と母に誘われたのは15歳の頃。どうしたら女性になれるか、婦人科で女性ホルモン治療の説明を受けた。「元には戻れなくなるけど、後悔しない?」と心配する母に「男性として大人になるくらいなら、苦労が増えても女性として生きたい」と言い切った。だらだらした生活から一転、アルバイトに励んだ。朝が早くても、休みがなくても、自分を押し殺していた学生生活より楽しかった。
■母の言葉で決心
アパレル店で働いていた時、ファッション雑誌の読者モデルにスカウトされ、テレビや広告の仕事が増えた。そんな時、モデル事務所の社長の一言に足が震えた。「まさかと思うけど、君が昔、男だったというメールが来てるよ」。カミングアウトすればウソつきと呼ばれ、仕事もなくなる。だが、銀行口座も作れないような生活を続ける自信もない。過去の自分に足を引っ張られる悔しさ。泣いて母に相談すると、こう言われた。「本当のことを伝えて離れていく人とは、そこまでの関係。それでも仲間だと思ってくれる人を大事にするの」
告白すると、社長は驚いて椅子から転げ落ちた。でも「男か女かは関係ない。君にしかできないことがある」と励ましてくれた。テレビでカミングアウトし、「正々堂々と生きていけると心から思えた」。学校でわかってもらえなかった経験も、今は良かったと思える。「居場所は自分でつくるしかない、そう思えるようになったから」(文・前田育穂、写真・佐藤正人)
◇
《さとう・かよ》1988年、名古屋市生まれ。女性誌のモデルを経て、テレビの情報番組などに出演。モデルとして海外進出するのが夢で、英語や韓国語を勉強中。
感想;
親としては、男の子として生きて欲しいと願ったと思います。
家出、自殺するかもとの心配後、「生きていてくれたらそれで十分」との気持ちに。
母の言葉「本当のことを伝えて離れていく人とは、そこまでの関係。それでも仲間だと思ってくれる人を大事にするの」
社長の言葉「男か女かは関係ない。君にしかできないことがある」
言葉が大きな支えになっただけでなく、その言葉を発した人が心強い理解者だったのでしょう。
「モデルとして海外進出するのが夢で、英語や韓国語を勉強中」。
夢/希望を持つと人は一生懸命になれるとともに、幸せを感じながら生きられるのでしょう。
今自分の持っていないものを見て嘆き不満を言うより、自分の持っているものを見てそれを生かして生きると自分だけの花が咲くのでしょう。
母の言葉から、ゲシャルトの祈りを思い出しました。
☆「ゲシュタルトの祈り」 フレデリック・パールズ☆
私は貴方が私に期待することをするために生きているのではありません”
モデルとして活躍する佐藤かよさん(27)。男性として生を受け、女性として生きたいと悩み続けた日々、いつも支えてくれたのは母でした。子育てがつらいと感じたこともあったという母が今、振り返って思うこととは。それぞれに聞きました。
■学ラン嫌で家出
転機は中2の夏だった。
「『女の子として暮らしてみたい』という気持ちを抑えきれなくなったんです」。物心がついてから、自分は女の子だと思っていた。学ランが嫌で不登校気味になり、母にだらしないと叱られ、家を出た。約3カ月間、女友達の家を転々とし、化粧品や服を見に行ったり、カラオケをしたり。「素の自分でいられる居心地のよさ。もう男の子の生活には戻れないと分かりました」
母は捜索願を出し、息子を捜し回った。夏のある日、連絡を受けて駆けつけると、ふてくされた様子で待っていたのは、茶髪に派手なメイクのギャル。母は怒らず、「好きな服を着ていい。二度といなくならないで」と言った。
「病院に行ってみる?」と母に誘われたのは15歳の頃。どうしたら女性になれるか、婦人科で女性ホルモン治療の説明を受けた。「元には戻れなくなるけど、後悔しない?」と心配する母に「男性として大人になるくらいなら、苦労が増えても女性として生きたい」と言い切った。だらだらした生活から一転、アルバイトに励んだ。朝が早くても、休みがなくても、自分を押し殺していた学生生活より楽しかった。
■母の言葉で決心
アパレル店で働いていた時、ファッション雑誌の読者モデルにスカウトされ、テレビや広告の仕事が増えた。そんな時、モデル事務所の社長の一言に足が震えた。「まさかと思うけど、君が昔、男だったというメールが来てるよ」。カミングアウトすればウソつきと呼ばれ、仕事もなくなる。だが、銀行口座も作れないような生活を続ける自信もない。過去の自分に足を引っ張られる悔しさ。泣いて母に相談すると、こう言われた。「本当のことを伝えて離れていく人とは、そこまでの関係。それでも仲間だと思ってくれる人を大事にするの」
告白すると、社長は驚いて椅子から転げ落ちた。でも「男か女かは関係ない。君にしかできないことがある」と励ましてくれた。テレビでカミングアウトし、「正々堂々と生きていけると心から思えた」。学校でわかってもらえなかった経験も、今は良かったと思える。「居場所は自分でつくるしかない、そう思えるようになったから」(文・前田育穂、写真・佐藤正人)
◇
《さとう・かよ》1988年、名古屋市生まれ。女性誌のモデルを経て、テレビの情報番組などに出演。モデルとして海外進出するのが夢で、英語や韓国語を勉強中。
感想;
親としては、男の子として生きて欲しいと願ったと思います。
家出、自殺するかもとの心配後、「生きていてくれたらそれで十分」との気持ちに。
母の言葉「本当のことを伝えて離れていく人とは、そこまでの関係。それでも仲間だと思ってくれる人を大事にするの」
社長の言葉「男か女かは関係ない。君にしかできないことがある」
言葉が大きな支えになっただけでなく、その言葉を発した人が心強い理解者だったのでしょう。
「モデルとして海外進出するのが夢で、英語や韓国語を勉強中」。
夢/希望を持つと人は一生懸命になれるとともに、幸せを感じながら生きられるのでしょう。
今自分の持っていないものを見て嘆き不満を言うより、自分の持っているものを見てそれを生かして生きると自分だけの花が咲くのでしょう。
母の言葉から、ゲシャルトの祈りを思い出しました。
☆「ゲシュタルトの祈り」 フレデリック・パールズ☆
私は貴方が私に期待することをするために生きているのではありません”