幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

クミコさんのブログ 「支える人にも支えはいる」 ”支え、支えられ”

2016-02-01 11:11:44 | 社会
http://ameblo.jp/kumiko926/entry-12123766925.html?frm_src=favoritemail2016-02-01

「支えになろうとする人が、支えを必要としている」

これは終末医療に携わる医師の、座右の銘だそうだ。
もっと正確に言うと。
「誰かの支えになろうとしているこの人が、一番支えを必要としていると思いました」
この医師が講演に行った高校での、一人の女子高生の感想文だ。
険しい道なき道を行くような、この医師の姿に、女子高生はまるで菩薩のような言葉を送ったのだ。

これを見ておそらく、この医師は泣いたと思う。
力が抜けたように、でも、あったかい涙を流したと思う。
人は人を支えている。
支えていないと、それこそドミノ倒しになってしまう。
そんな恐怖で、人は人を支える。
でも、支える人にも支えはいる。
そうして、支える人を支える。
その人にも支える人は必要だ。
逆ドミノ。

そうだ。
私を支えてくれる人にも、支えが必要なんだ。
あらためて周りを見渡す。
一人で立てるほど人は強くない。
いつも自分が「支えて」ばかりいる気になっているけど、そうじゃないんだな。
私は多くの人に支えられている。
そういうことなんだな。
私を支えてくれる人を、支えたい。
支えの逆ドミノ。

感想
人の漢字は1人が支えられて人の漢字になっているとよく言われます。

まさに感謝の気持ちを持てるかどうかなのでしょうね。
「亡己利他(もうこりた)」
己を亡くし、他をあ利する。
それが結局回り回って自分に帰って来る。
それが支え合いなのだと思います。

自分がして貰うことを先に考えずに、自分が誰かに何が出来るかを考えて一歩踏み出すことなのでしょう。
車内やホームでの空き缶拾いを始めてもう20年以上経ちますが、自分の出来ることの一つです。目の不自由な人は危ないと聞いて始めました。多くの人であふれかえる通勤時間は下を見ることも出来ませんから、健常者も危ないと思います。








「支える人にも支えはいる」



菩薩の言葉だなあ。

「他人の不幸を願う人」 片田珠美著 ”自分に満足できていない”

2016-02-01 10:37:24 | 本の紹介
他人の不幸と求める人を3つのタイプに分ける。
1)羨望型
2)自己愛型
3)利得型
これらが複数に絡みあっている場合がある。

フランチェスコ・アルベロー
「羨望は同一視、称賛から生じる。あまりにも遠くの人、あまりに違う人、まったく別のことをしている人を羨望することはありえない。より強烈な羨望は、一人が成功し、他の一人は成功しないというような、仲間のあいだで生じる」(「他人をほめる人、けなす人」より)

羨望の表れ方
第一段階;
 羨ましいと思っても、それを隠す。
第二段階;
 羨望が表に出るのをなかなか抑えられない。直接に攻撃するようなことはしないが、誰かがしていれば内心うれしくてたまらない
第三段階; 
 羨望を表に出してしまう。悪い噂を流すとか、中傷するという行動に出てしまう。

「復讐の鬼たち」はネット上にもうようよいる。彼らは、成功した有名人や幸福そうな芸能人の不祥事とかスキャンダルとかを今か今かと待ち構えている。そして何かあると、このときとばかりに「正義」を振りかざし、徹底的にたたく。この「正義」の起源が「ルサンチマン(仏: ressentiment)」にあるという意見をニーチェは述べている「ルサンチマン」とは恨みを意味するフランス語。強者に対する弱者の憎悪や復讐願望を表す言葉としてニーチェは用いた。「復讐を正義という美名で聖なるものにしようとしているものだ」

松田聖子さんが、もとは「地方の平凡な一少女」にすぎなかったのに、大スターになれたのは、「聖子を嫌う多数の女性ができなかった唯一の行為」である《決断》をすることができたからだ。この《決断》は「多くのものを捨てるころ」と表裏一体なので、ネガティブ思考の人はそれをなかなか引き受けられない。だからこそ自分が後生大事に守り続けている安穏な生活を捨ててでも、新たなことに挑戦しようとしている人を目の当たりにすると、それがどれほど危険なことか言わずにいられない。しかも、自分自身といえば、不安と怠惰のせいで決断も挑戦も極力避けようとする。それを棚に上げて、あのときあの人が止めなかったら自分の人生はもっとうまくいっていたのではないか、自分だって成功していたのではないか、というふうにいつまでもくよくよと悔やみ続ける。

「批判ばかりする人の特徴」
とにかく批判ばかりするのも、羨望の強い人にしばしば認められる特徴だ。こういう人は自分では何もせず、他人の言動を冷たく観察する。

「他の人が言っていた悪口」
誰かが言っていた悪口を、悪いニュースとしてあなたに伝える場合も考えられるだろう。「〇〇さんが、あなたのことを仕事ができないと言っていた」とか「△△さんが、あなたを人付き合いが悪いと言っていた」という言い方がそれだ。実はこんな言い方をするのは、たいていの場合、自分自身で言いにくいことを他人の名前を利用してあなたに伝えるためである。その悪口自体がどこまで本当の話なのかは、はなはだ疑問である。

「一億総比較社会」
 羨望が比較から生まれる以上、他人と自分を比較することによってしか自分自身の価値や幸福を実感できないような人ほど、羨望がつよくなるということになる。羨望が強くなった人が増えているのは、現実の日本社会では、すべてが比較の対象になっているからだろう。インターネットの普及により、簡単にランキング(格付け)がわかるようになって、自分がどの位置にいるかが一目瞭然になった。

ルロールとアンドレ
羨望を、「賛嘆の混じった羨望」、「抑うつ的羨望」、「敵意のこもった羨望」
の3つに分けている。最近は「敵意のこもった羨望」が強くなっている。
「賛嘆の混じった羨望」
他人の才能や実力をうらやましく思って苦悩しながらも、競争意識を燃やして、自分もいつかそういうふうになれるように努力する人が抱く羨望である。
「抑うつ的羨望」
他人の幸福を目の当たりにするたびに、その幸福を持てない自分が悲しくなり、落ち込んでしまう。本人はとてもつらいが、羨望の対象に対して悪意を抱くわけでない。
「敵意のこもった羨望」
 うらやましいと思う相手に対して敵意や憎しみを抱く。場合によっては、攻撃してしまうことさえある。

「インターネットが欲望をむきだしにした」
匿名だからこそ、恥の意識が希薄になり、恥ずべき情念であるはずの羨望がむきだしになる。ネット上では数多くの「観衆」や「傍観者」が「イネイプラー」としての役割を果たしているので、「みんなやっているんだから」という口実をつけやすく、罪悪感を覚えずに攻撃できる。さらに、匿名であれば、復讐の恐怖を感じずにすむので、思う存分ターゲットをたたける。誰かを攻撃する際に手加減するのは、復讐への恐怖があるからだが、ネット上ではほとんどの場合、その恐怖を感じない。
イネイプラー;イネイブラー()とは、嗜癖その他の問題行動を陰で助長している人

フロイト「人生を担うためには、鎮痛剤が必要なのだ」と指摘し3つを挙げている。
1)自分たにの惨めさを耐えられるものにする強力な気晴らし
2)惨めさを軽減してくれる代償的な満足
3)惨めさを感じなくさせてくれる麻薬

今やネット上のバッシングは「強力な気晴らし」であり、「代償的な満足」も与えてくれる。また他人を徹底的にたたけば、自分自身の惨めさを感じずにすむので「麻薬」にもある。このような「鎮痛剤」を我々がますます必要とするようになりつつあること自体が、現在の日本が自尊心を持ちにくく、欲求不満が溜まりやすい社会だということの裏返しなのではないだろうか。

自尊心を持ちにくくなった理由
自尊心は
1)経験によって強化された全能感
努力や経験を積み重ねた成功体験によって獲得した「できる」という感覚や喜びに触れた満足が自尊心のもとになる。
2)対象リピドー(すべての本能のエネルギー)の満足
相思相愛の仲になったり、愛する対象を所有したりすることによって生まれる。誰かの愛を失うと自尊心が低下するが、逆にあいされると自尊心を取り戻すのはよくある。
3)幼児期のナルシシズムの残滓
  
(ウイキペディアより)
ナルシシズムは、精神分析家のネッケが『他人に性愛や関心を抱くことが出来ず、自分の容姿や肉体にのみ愛情を抱く自己愛(自体愛)』。、コフートは、自己愛を『自分で自分自身を愛すること』という狭義のナルシシズムとして捉えるのではなく、『他者による自己の肯定・承認・賞賛によって自尊心を満たすこと』という広義のナルシシズムとして捉えた。(ウイキペディアより)

感想;
この本は自分をふり返る面でもとても参考になりました。
また他者を理解する上でも役立ちそうです。
怒る人、攻撃する人、満たされないものを抱えている。
自分の努力を棚上げにして、相手の努力を認めずに羨望している。
肝に銘じたいと思いました。