http://digital.asahi.com/articles/ASJ8D72S8J8DUCVL02L.html?rm=430 聞き手・小峰健二2016年8月20日
■連載「笑いにのせて」3 服飾評論家・ピーコさん
7月に亡くなった永六輔さんは、声高に言わないけど、立場の弱い人たちの側に立ってものをしゃべったり、見たりすることが大事だといつも語っていました。「沖縄からは東京が見えるけど、東京からは沖縄が見えないんだよ」って。
連載「笑いにのせて」
沖縄の現状って、今も東京にいる人たちには見えないし、わかっていない。基地移転問題も、沖縄の民意はノーなのに、国は目を向けないわけでしょ?
知り合ったのはデビュー直後の40年前。私が衣装をデザインしていたシャンソン歌手の石井好子さんの紹介でした。トークショーのお仕事で私とおすぎ、永さんが年に3、4回、沖縄に通うようになって。ひめゆりの塔などの戦跡も一緒に回るようになったの。私たちが知らなかった沖縄がどんな所で、国内最大の地上戦があった場所でどんなことがあったのか。話し続けてくれました。私やおすぎにとって「師匠」。永さんがいなかったら、戦争がどんなものかも知らずに生きてきたと思うんです。
ログイン前の続き大橋巨泉さんの週刊現代の連載「今週の遺言」もずっと読んでいました。巨泉さん、2001年の参院選で民主党から立候補して当選したのに、半年でお辞めになった。後から話を聞いてみると、自分が思う国や平和のかたち、戦争はダメだとか憲法9条を守るとかいうことを言っていきたいのに、1年生議員は国会で質問もさせてもらえない。とても失望したと言ってましたね。戦争体験もあって、晩年は「今の安倍政権は危険だ」とはっきり書いてらしたし。きっと歯がゆかったんだと思います。
戦争を目撃した人たちの話は力強い。私は1945年1月の生まれで、赤ん坊だったから何も見ていない。だから、空襲で焼け死んだ人たちの死体がずっとあって……と話す人が目の前にいるとその凄(すご)さに驚いたし、すごい犠牲を払って負けたわけですから、伝えてくれる人がもっといなきゃいけないんだと思ったんです。
永さんは元々放送作家で、文化人や学者とも仲良くなる人だったし、巨泉さんも元ジャズ評論家で多趣味だったから、言葉や表現が上手で知識がすごい。一つの言葉から広がって色んな話につながっていく。ラジオやテレビのしゃべりは、魅力がありましたね。
だから、「戦争はいやだ」っていう話も、永さんや巨泉さんの口から出るとみんな聞いてくれる。昨年亡くなった野坂昭如さんと永さんのトークショーでも、そんなにすごい話はしてないんだけど、やっぱり心にしみる言葉を話してらしたし。そういう人たちがいなくなるのは、大きな財産を失っちゃったんだなと思う。私なんか、その人たちについて行っていればよかったわけですから。
NHKの追悼番組「永六輔さんが遺(のこ)したメッセージ」に出て、「永さんは戦争が嫌だって思っている。戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちのほうに向かっているので、それを言いたいんでしょうね」と言ったら、そこがばっさり抜かれていた。放送を見て力が抜けちゃって……。永さんが言いたいことを伝えられないふがいなさがありますね。
テレビやラジオって生放送じゃないと切られてしまう。だから、永さんは生放送にこだわったの。付き合い始めのころ、こう言われたの。「ピーコとおすぎは炭鉱のカナリアになりなさい」って。
私に力があるかわからないけど、しゃべり続けていけばいいと思う。永さんが言ってくれたように、笑いながら怒ったりしていればいいの。(聞き手・小峰健二)
感想;
NHK放送とは国民にとってどういう存在なのでしょうか?
報道の基本はどのようなものなのでしょうか?
安倍首相が「放送は平等に」と政府に反対するゲストだけを呼ぶことにくぎをさしました。
では政府に都合のよいところだけを抜き出して、ゲストが言いたいところをカットすることは、安倍首相の「放送は平等に」の精神から逸脱はしないのでしょうか?と思ってしまいました。
■連載「笑いにのせて」3 服飾評論家・ピーコさん
7月に亡くなった永六輔さんは、声高に言わないけど、立場の弱い人たちの側に立ってものをしゃべったり、見たりすることが大事だといつも語っていました。「沖縄からは東京が見えるけど、東京からは沖縄が見えないんだよ」って。
連載「笑いにのせて」
沖縄の現状って、今も東京にいる人たちには見えないし、わかっていない。基地移転問題も、沖縄の民意はノーなのに、国は目を向けないわけでしょ?
知り合ったのはデビュー直後の40年前。私が衣装をデザインしていたシャンソン歌手の石井好子さんの紹介でした。トークショーのお仕事で私とおすぎ、永さんが年に3、4回、沖縄に通うようになって。ひめゆりの塔などの戦跡も一緒に回るようになったの。私たちが知らなかった沖縄がどんな所で、国内最大の地上戦があった場所でどんなことがあったのか。話し続けてくれました。私やおすぎにとって「師匠」。永さんがいなかったら、戦争がどんなものかも知らずに生きてきたと思うんです。
ログイン前の続き大橋巨泉さんの週刊現代の連載「今週の遺言」もずっと読んでいました。巨泉さん、2001年の参院選で民主党から立候補して当選したのに、半年でお辞めになった。後から話を聞いてみると、自分が思う国や平和のかたち、戦争はダメだとか憲法9条を守るとかいうことを言っていきたいのに、1年生議員は国会で質問もさせてもらえない。とても失望したと言ってましたね。戦争体験もあって、晩年は「今の安倍政権は危険だ」とはっきり書いてらしたし。きっと歯がゆかったんだと思います。
戦争を目撃した人たちの話は力強い。私は1945年1月の生まれで、赤ん坊だったから何も見ていない。だから、空襲で焼け死んだ人たちの死体がずっとあって……と話す人が目の前にいるとその凄(すご)さに驚いたし、すごい犠牲を払って負けたわけですから、伝えてくれる人がもっといなきゃいけないんだと思ったんです。
永さんは元々放送作家で、文化人や学者とも仲良くなる人だったし、巨泉さんも元ジャズ評論家で多趣味だったから、言葉や表現が上手で知識がすごい。一つの言葉から広がって色んな話につながっていく。ラジオやテレビのしゃべりは、魅力がありましたね。
だから、「戦争はいやだ」っていう話も、永さんや巨泉さんの口から出るとみんな聞いてくれる。昨年亡くなった野坂昭如さんと永さんのトークショーでも、そんなにすごい話はしてないんだけど、やっぱり心にしみる言葉を話してらしたし。そういう人たちがいなくなるのは、大きな財産を失っちゃったんだなと思う。私なんか、その人たちについて行っていればよかったわけですから。
NHKの追悼番組「永六輔さんが遺(のこ)したメッセージ」に出て、「永さんは戦争が嫌だって思っている。戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちのほうに向かっているので、それを言いたいんでしょうね」と言ったら、そこがばっさり抜かれていた。放送を見て力が抜けちゃって……。永さんが言いたいことを伝えられないふがいなさがありますね。
テレビやラジオって生放送じゃないと切られてしまう。だから、永さんは生放送にこだわったの。付き合い始めのころ、こう言われたの。「ピーコとおすぎは炭鉱のカナリアになりなさい」って。
私に力があるかわからないけど、しゃべり続けていけばいいと思う。永さんが言ってくれたように、笑いながら怒ったりしていればいいの。(聞き手・小峰健二)
感想;
NHK放送とは国民にとってどういう存在なのでしょうか?
報道の基本はどのようなものなのでしょうか?
安倍首相が「放送は平等に」と政府に反対するゲストだけを呼ぶことにくぎをさしました。
では政府に都合のよいところだけを抜き出して、ゲストが言いたいところをカットすることは、安倍首相の「放送は平等に」の精神から逸脱はしないのでしょうか?と思ってしまいました。