ストラディバリウス・ディアンシー。このバイオリンの良い温湿度の温度25℃以下、湿度は40%以下にスタジオを合わしている。
1962年生まれ。千住三兄弟。
兄は日本画家の千住博、作曲家の千住 明。父は千住鎮雄で大学の先生。
2歳からバイオリンを習い出し、天才少女として数々の賞を受賞。
12歳からプロデビュー
一年中、全国ツアー。
2歳3か月にバイオリンを手に取った。阿川佐和子さんの弟が小学校の時通学路で好きな女の子がいるというので見たら千住真理子さんだった。「きれいな人だから、無理だからあきらめなさい」と言ったことがある。
兄たちがバイオリンをやっていて羨ましかったのでやりだした。小学校5年生の時、小学校の全国大会で優勝した。
世界的芸術三兄弟。
母の最期の言葉に「兄弟ぜったい喧嘩するな!」があるので陰で絶対悪口は言わない。
前にサワコの朝に出たお兄さんが「25年間千住真理子さんのお兄さんとずっと言われ続けていた。それから千住真理子さん兄弟と言われるようになった」。
兄たちがバイオリン以外のことは全てやったり、教えたりしていた。皆が千住真理子を創りだしてくれた。
父は学者で、「月が出た出た・・・」だけぐらい。
好きで徹底的にやりたいなら応援する。そうでなければやらないで欲しい。趣味ではなく、本業でやるなら応援する。
母も一緒にレッスンに通って、先生の指導を録音して夜中に聞いて私に教えてくれた。いつ寝るんだろう?と思った。母に「ふくろう」というあだなを付けた。
慶応義塾大学に通っていた二十歳の時に、ヴァイオリンを辞めようと決意した。
プロの音楽家は皆さん音楽学校に行っている。周りからの“やっかみ”などがあった。
母に「辞めようかな」と相談した。そしたら母が泣き出して「あなたに嫌な思いをさせたくなかった。バイオリンが好きで好きでやっていたので」。そして2年間辞めていた。ある時患者さんの会で千住真理子さんのファンの人がいて、ぜひ来て欲しいと。
充分な音が出なかった。でも少し弾いたら「ありがとう。ありがとう」と涙を流してお礼を言ってくれた。こんなに喜んでもらえるんだ。この人たちのためなら弾きたいと思った。
それからボランティアの話がいくつかくるようになった。
練習しても元に戻らなくなっていた。
家では弾ける。楽屋でも弾ける。5分前でも弾ける。しかし本番で弾けない。2千人の前で弾けなかったこともあった。天才もただの人と言われた。弾けるようになるのに7年がかかった。
10分ほど頑張って弾いていたら、一瞬に全ての感覚が戻ってきた。10代の私はこれだと。
楽屋に戻って、母と喜んだ。その後、近所のお店でハンバーグを食べたのを覚えている。
ある時、スイスから携帯に電話がかかってきた。僕の前にストラディバリウスがある。見てみなか? 逢うととりこになってしまうのではと思いそれにスイスまでいけないと。だったら、これを持って帰るから。
それを手に取り、私の人生が全て変わったように思った。これを使わせてください。これを弾くなら絶対音楽を辞めませんと思った。お金のある人に誰かお金持っている人はいないかなと尋ねまわった。
千住家の会計士が歩いていた時、偶然ある人が歩いていて出会った人がお金を出して、それを貸してくれると。
家では赤外線とか張って金庫に入れたりしてセキュリティをできるだけやっている。一度母が警察に捕まって「私が千住真理子の母親だと言って」と電話がかかってきた。
ホテルでも部屋からでない。
楽器を持っているときは飲まない。
出かけるときはそんな高い楽器を持っていないような服装をしている。そして目つきを割る良いようにしている。
その楽器になって、基礎から、弾き方を変えた。
弾き込んでいる内にバイオリニストが身体を壊してしまう。このためジムに通うようにしている。鎖骨にバイオリンを当てる。そうすると骨を通して床まで振動が伝わる。一番気持ちいいのは頭蓋骨が響いてくる。
毎朝生卵を3つ飲む。肉を300g食べる。それは映画「ボクサー」を見て学んだ。
ベートーベンの「ヴァイオリン・ソナタ第9番<クロイツェル>第一楽章」のさびの部分を弾きます。全部引くと30分ほどかかるので。
感想;
芸術家としての苦しみがあるのだなと思いました。
2年間バイオリンを辞めたら、元に戻るのに7年かかったとのこと。
芸術家が毎日練習していることがとても大切なのでしょう。
喜んでくださる人がいることが弾き続ける大きなエネルギーになっていることがわかりました。
素晴らしい楽器との出会い。
そしてその楽器が芸術家を育てる。
1962年生まれ。千住三兄弟。
兄は日本画家の千住博、作曲家の千住 明。父は千住鎮雄で大学の先生。
2歳からバイオリンを習い出し、天才少女として数々の賞を受賞。
12歳からプロデビュー
一年中、全国ツアー。
2歳3か月にバイオリンを手に取った。阿川佐和子さんの弟が小学校の時通学路で好きな女の子がいるというので見たら千住真理子さんだった。「きれいな人だから、無理だからあきらめなさい」と言ったことがある。
兄たちがバイオリンをやっていて羨ましかったのでやりだした。小学校5年生の時、小学校の全国大会で優勝した。
世界的芸術三兄弟。
母の最期の言葉に「兄弟ぜったい喧嘩するな!」があるので陰で絶対悪口は言わない。
前にサワコの朝に出たお兄さんが「25年間千住真理子さんのお兄さんとずっと言われ続けていた。それから千住真理子さん兄弟と言われるようになった」。
兄たちがバイオリン以外のことは全てやったり、教えたりしていた。皆が千住真理子を創りだしてくれた。
父は学者で、「月が出た出た・・・」だけぐらい。
好きで徹底的にやりたいなら応援する。そうでなければやらないで欲しい。趣味ではなく、本業でやるなら応援する。
母も一緒にレッスンに通って、先生の指導を録音して夜中に聞いて私に教えてくれた。いつ寝るんだろう?と思った。母に「ふくろう」というあだなを付けた。
慶応義塾大学に通っていた二十歳の時に、ヴァイオリンを辞めようと決意した。
プロの音楽家は皆さん音楽学校に行っている。周りからの“やっかみ”などがあった。
母に「辞めようかな」と相談した。そしたら母が泣き出して「あなたに嫌な思いをさせたくなかった。バイオリンが好きで好きでやっていたので」。そして2年間辞めていた。ある時患者さんの会で千住真理子さんのファンの人がいて、ぜひ来て欲しいと。
充分な音が出なかった。でも少し弾いたら「ありがとう。ありがとう」と涙を流してお礼を言ってくれた。こんなに喜んでもらえるんだ。この人たちのためなら弾きたいと思った。
それからボランティアの話がいくつかくるようになった。
練習しても元に戻らなくなっていた。
家では弾ける。楽屋でも弾ける。5分前でも弾ける。しかし本番で弾けない。2千人の前で弾けなかったこともあった。天才もただの人と言われた。弾けるようになるのに7年がかかった。
10分ほど頑張って弾いていたら、一瞬に全ての感覚が戻ってきた。10代の私はこれだと。
楽屋に戻って、母と喜んだ。その後、近所のお店でハンバーグを食べたのを覚えている。
ある時、スイスから携帯に電話がかかってきた。僕の前にストラディバリウスがある。見てみなか? 逢うととりこになってしまうのではと思いそれにスイスまでいけないと。だったら、これを持って帰るから。
それを手に取り、私の人生が全て変わったように思った。これを使わせてください。これを弾くなら絶対音楽を辞めませんと思った。お金のある人に誰かお金持っている人はいないかなと尋ねまわった。
千住家の会計士が歩いていた時、偶然ある人が歩いていて出会った人がお金を出して、それを貸してくれると。
家では赤外線とか張って金庫に入れたりしてセキュリティをできるだけやっている。一度母が警察に捕まって「私が千住真理子の母親だと言って」と電話がかかってきた。
ホテルでも部屋からでない。
楽器を持っているときは飲まない。
出かけるときはそんな高い楽器を持っていないような服装をしている。そして目つきを割る良いようにしている。
その楽器になって、基礎から、弾き方を変えた。
弾き込んでいる内にバイオリニストが身体を壊してしまう。このためジムに通うようにしている。鎖骨にバイオリンを当てる。そうすると骨を通して床まで振動が伝わる。一番気持ちいいのは頭蓋骨が響いてくる。
毎朝生卵を3つ飲む。肉を300g食べる。それは映画「ボクサー」を見て学んだ。
ベートーベンの「ヴァイオリン・ソナタ第9番<クロイツェル>第一楽章」のさびの部分を弾きます。全部引くと30分ほどかかるので。
感想;
芸術家としての苦しみがあるのだなと思いました。
2年間バイオリンを辞めたら、元に戻るのに7年かかったとのこと。
芸術家が毎日練習していることがとても大切なのでしょう。
喜んでくださる人がいることが弾き続ける大きなエネルギーになっていることがわかりました。
素晴らしい楽器との出会い。
そしてその楽器が芸術家を育てる。