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「官邸の番犬」中村格氏、首相秘書の子息のケンカで忖度捜査の過去 ”日本は逮捕も忖度?”

2019-11-30 17:48:38 | 社会
https://news.livedoor.com/article/detail/17403955/ 2019年11月19日「週刊新潮」2019年11月28日号 掲載
ざっくり言うと
「官邸の番犬」として知られる中村格警察庁官房長について週刊新潮が報じた2015年にゲームセンターで子どもが殴られ、警視庁捜査一課が捜査したという被害者は安倍首相の秘書を務めた人物の子息で、異例の忖度捜査だったそうだ
安倍総理「秘書ご子息」のケンカで忖度捜査 「山口敬之」逮捕を潰した中村部長が指示
2019年11月19日 16時59分 デイリー新潮

「桜を見る会」に関する疑惑で安倍政権が揺らぐ中、「官邸の番犬」として知られる中村格(いたる)警察庁官房長の新たな忖度捜査の過去が明らかになった。
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 中村官房長と言えば、警視庁刑事部長時代に、“総理ベッタリ記者”こと山口敬之・元TBSワシントン支局長に出されていた、伊藤詩織さんに対する準強姦(当時)容疑の逮捕状を握りつぶしたことで知られる。
 話は2015年の秋までさかのぼる。警視庁捜査一課のある捜査員が釣宏志・捜査一課長(当時)に呼び出されて、こう告げられたという。〈世田谷署管内のゲームセンターで子供が殴られた。すぐやってくれ。(加害者を)3日で逮捕しろ。これは中村刑事部長のご下命だ〉捜査員は〈何で俺が? ゲーセンのケンカで? 捜査一課が?〉と疑問に思ったものの、そこには特段の事情が存在した。

中村格氏
 被害者の子供が、安倍総理の政策秘書を務めたこともある人物の子息だったのだ。さる警視庁OBが次のように証言する。
「ゲーセンのケンカなんか、“今度は気をつけろよ”と厳重注意で済む話。そんなもの犬も食わないっていうのは冗談にせよ、(地元の)署も食わないし、まして捜査一課が出て行くなんてあり得ないよ」
 また、別のOBも、
「現場は“寝る間もないほど大変だったんですよ”と話していた。店内と周辺の防犯カメラから加害者を割り出し、暴行容疑で逮捕状を請求して逮捕したわけだけど、“むしろ加害者の方が可哀想になっちゃいました”。それに、“傷害でやれないから暴行(容疑)で身柄を取ったんです”という状況だったようだね」
 と、明かし、警察による不当逮捕さえ窺わせる口ぶりである。
 週刊新潮は、今回、この“異例”の捜査に駆り出された捜査員のうちの一人に接触することができた。
「釣さんから、“ちょっと、頼むよ。1日、2日でまとめてくれねえか”って。(安倍総理か中村刑事部長か)どちらかの名前を出したか、あるいは、“こういう案件があったから……”みたいな言い方だった。被害者側がけしかけたようなところがあるケンカだよね。被疑者は成人の男性会社員だったけど、いきなり子供を殴るワケはないでしょう。ただ、こちらも一課の看板を背負っているし、上から言われたんだから、仕方なくやりました。逮捕状を取るためにはこれとあれが必要で……とね。最終的には、3日くらいはかかったけど、暴行で逮捕状を取ったんだよ。被疑者は犯行を認めてすぐに送検。まさか逮捕までとは……って茫然自失だったんじゃないかな」
 中村官房長は警察庁の広報室を通じ、「お尋ねのあった件の捜査に関わっていない」と回答するが……。11月20日発売の週刊新潮では捜査員の証言の他、中村官房長に対する“直撃”の様子も紹介。次期警察庁長官との呼び声高い中村官房長の忖度捜査を詳しく報じる。

感想
日本の警察はここまで堕落しているのでしょうか?

詩織さんの準レイプ犯の逮捕状が出ていたのを、止めた人物とのこと。

本来逮捕されるべき人が逮捕されずに、通常は逮捕されない人が逮捕されたようです。
これが今の日本の法治国家の実情なのでしょうか?

「クララ・シューマン/ヨハネス・ブラームス 友情の書簡」B・リッツマン偏 ”44年間の友情と情愛”

2019-11-30 13:23:23 | 本の紹介
作曲家ブラームスがロマン派の巨匠ロバート・シューマン家を訪れたのは20歳の時。この時、ブラームスの妻クララは15歳上だった。
三人の芸術家の心に、彼らの生涯を通じて奇しくも燃え続けた友情の灯が点じられたのである。そしてこの灯は、ロバートの死後も絶えることなく、半世紀に近い間燃え続けて、1896年5月クララの死とともに消えていった(76歳)。そしてクララとブラームスとの、世に類なき深い友情は、彼ら二人をとりまく当時の人々の心を温めたばかりでなく、ブラームスやシューマンの作品にしたしむ校正の我らにとっても、人間性に対する大きな感動と信頼を与えてくれる。
やがて暗雲がシューマン家を襲った。ロバートの病気の再発、精神憂鬱症に、聴覚障害が加わり、ついに1854年2月には発作的にライン河に身を投じ、症状がとみに亢進して3月にはクララのかぎりない悲嘆のうちにエンデニッヒ精神病院に移された。それからの恐怖と悲しみに満ちた3年間を、7人の幼児を抱えたクララは、ブラームスの捧げる温かい友情に支えられて生き続けたといってよかった。
1856年7月29日、ドイツ・ロマン派の巨匠ロバート・シューマンは、7人の幼児を最愛の妻クララに残して47歳の生涯を終わった。クララは36歳、長女マリエは14歳、末っ子フェリックスはわずかに2歳であった。
ついに一生孤独で過ごした事実を思う時に、当時のブラームスの気持ちは、単なる友情以上のものでったことは疑いの余地がない。愛と尊敬、あまりにも愛するゆえにこそ、高貴な彼の魂は、つつましくひたすら情熱を抑えて、あらんかぎりの純情をかたむけてシューマン夫妻の愛情を守りえたのではなかろうか。そして思想豊かな天才の心の、抑圧された叫びが、彼の珠玉の作品となったのではないだろうか。
クララの葬式でひいた、かりそめの風邪はついに癒えることなく、翌1897年4月、ヨハネス・ブラームスもこの世を去ったのである。
この「友情の書簡」はロバート・シューマンの死の三年前の1853年から、クララの死んだ1896年にわたる44年間に両者の間に取りかわされた約800通の書簡が収録されている。

心から愛するクララ
・・・
ではごきげんよう。最愛のクララ、どうかたびたび手紙をください。 あなたの ヨハネス

愛するヨハネス
・・・
できるだけたびたびお便りをください。静養には朗らかさが必要ですが、それはあなたからでなくてどこからもたらされるでしょう? クララ

愛するヨハネス
・・・
ではごきげんよう。愛するヨハネス、お手紙をすぐください。そして想ってくださいあん。
あなたのクララを

どうぞ近くご返事をください。そして私を愛してください。 あなたの ヨハネス

あなたの忠実なクララを想い出してくださいませ。

あなたを私が想うように、いつも私を想っていてくださいね。 あなたの クララ

ああんたの真実は クララ

まったくあなたの ヨハネス

感想
シューマン夫妻とブラームスの先生と先生を尊敬する音楽家の関係、そして友情。
シューマンは精神的な病もあり47歳で死去。
その後の奥さんを支え、友情が、愛情に。
そして44年以上の友情はとてもステキです。