幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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五輪マラソン札幌決定も瀬古氏「納得できます?」、原監督&次晴氏「ナメられてる」 ”森大会委員長と橋本聖子五輪相が受け入れたから、IOCも提案/決定事項と!”

2019-11-04 18:04:04 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/dailychushisportsgeinou/sports/dailychushisportsgeinou-20191104084.html 2019/11/04 (デイリースポーツ)
 2020年東京五輪マラソンの札幌移転が1日に決着してから3日が経過した4日になっても、TBS系の生番組「ひるおび!」では異論が収まらなかった。

 マラソンが東京で実施された場合とほぼ同じコースで行われた五輪代表選考レース、MGCの実現に尽力してきた日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトリーダー・瀬古利彦氏(63)は「3年かけて(MGCを)作ったんですよ。それが鶴の一声でね、はい札幌!ってね、それ納得できます?瀬古さんに一つも相談もないんですよ。瀬古さんに言ったらたぶん反対すると思って言わなかったんでしょうね」と、いまだに怒りが収まらない様子。

 ノルディック複合の世界選手権団体金メダリストで長野五輪代表の荻原次晴氏(49)は「東京開催が決まった時から、マラソンはつらいだろうなって誰だって分かってたわけじゃないですか。それはIOCも分かってたわけですけど、今回の強引な進め方で、IOCはさらに信頼というか、落とした気がしますね」と、IOCのやり方に苦言。「長く準備をされてきた人たちの感情に全く配慮してないし、開催都市をナメてますよね」と不快感を示した。

 青山学院大学陸上部の原晋監督(52)は「初めてIOCの力の強さというのが皆さん分かったんじゃないですかね。ですから、オリンピックって昔は、各都市、手を挙げて、やらさしてくださいって話でしたけど、昨今はそこまでの人気じゃないですから、ちょっともうこれからは、手を挙げる都市は少なくなるんじゃないですかね」と、今回の一件が今後の五輪開催に悪影響を与える可能性を指摘。次晴氏同様、「日本人がナメられているというような感覚なんですよね」と不快感を示していた。

感想
森実行委員長と橋本聖子五輪相が強く拒否をしていたら、IOCも決定とは発言できなかったでしょう。
多くの関係者や選手が取り組んできたのを、最後に無駄にされたのがこのお二人ではないでしょうか?

マスコミはIOC云々と言っていますが、このお二人の責任についてはコメントされていません。
100億円ほどのお金を無駄に、そしてマラソンの国立競技場の入場収入をなくして、かつチケット申し込みの不便を、申し込んだ人の負担を強いたのはこの二人だったのだと思うのですが?

マラソンがなくなるくらいの決意で拒否する姿勢で臨めばさすがのIOCもここまで強引には進められなかったと思います。
お二人の上には安倍首相がいらっしゃったかどうか不明ですが、どうしてもっとお二人が混乱に輪をかけた人だとコメントないのかな?と不思議に思います。


「犯罪被害者 いま人権を考える」河原理子著 “先ずは聴くことから”

2019-11-04 00:33:38 | 本の紹介
・どうして当事者なのに連絡(ひき逃げ犯の起訴)がなかったのか。この人(大久保恵美子さん 長男を飲酒ひき逃げ運転で亡くした)だけそうだったのか、みんなそうなのか、「?」が頭の中にたくさん点灯して、混乱しました。それまで私は、被害者・遺族には当然、警察か検察が事件の節目には連絡するものと、どこかで思い込んでいました。

・「文藝春秋」1998年4月号 柳田邦男さんが、被害者の思いと「書くことの原罪」について書いていました。
《報道あるいはジャーナリズムには、「原罪」とでもいうべきものがいつもつきまとっている。「原罪」には二つある。一つは、報道すべき事件の性質によっては、法律で定められた規制枠を超えざるをえないことがあるということだ。もう一つの「原罪」とは、悲惨な事件や事故や災害の報道につきまとう問題だ。真相究明のために事実を詳しく伝えること自体が、被害者の心を傷つけることにもなりかねないという二律背反のジレンマのなかで、やはり報道せざるをえないという選択をしていることである。では、そのような「原罪」を償うには、どうすればよいのか。・・・》
一晩悩んで、腹をくくりました。
「私は書きたいと思います。理由はただ一つ。現実を変えるため。いつかあの子が読んだらどうしよう、ではなく、いつかあの子に読んでほしいと思えるものにしましょう」
そう、ご家族に伝えて合意して、「犯罪被害者」の連載は始まりました。

・「被害者はどこに行ったら救われるのですか」
母が家庭裁判所を訪ねたとき、調査官に言われた。
「加害者のための研究は進み加害者のための法律はあっても、この国に被害者を守る法律はありません。理解もない。だから、あなたたち被害者が声をあげ、被害者のつらさを訴え、社会を変えていく必要があります」

・立法を考える手がかりとして、椎橋教授は、(1)捜査や裁判に関する被害者への情報提供、(2)被害者の訴訟参加、(3)性犯罪被害者の法廷での保護、(4)金銭的救済策、などの項目を示した。いずれも欧米諸国を中心に、実現されているものだ。

・神奈川県警の板谷さんは、1996年4月に女性刑事3人で「性犯罪被害110番」を始めて、以来のべ4,000人の声を受けとめてきた。
板谷さんはまた、「刑事がだめなら民事訴訟があるというが、被害者はその前に出費を強いられている」と指摘した。「まず病院に行く。その治療費はもとより、10数万円の中絶費用も被害者が払っている。
辻本育子弁護士は、民事訴訟の問題点を話した。「原告に立証責任があるが、被害者は忘れたい気持ちが強く、問題の日を特定できないこともある。一方で、証拠に制限がなく、相手はプライバシーを暴く証拠を次々出せる」

・図書館で「残された親たち」を見つけた。交通事故で子どもを失った親たちが悲嘆の底から生きていく姿を描いたこの本で、早苗さんは、ボランティア組織「全国交通事故遺族の会」を知った。すぐ会長の井出渉さん、政子さん夫妻に電話した。「告訴状を出した方がいい。そうしないと何も教えてもらえない」と言われ、「目が覚める気がした」。・・・
8月。地検から通知のはがきが届いた。「起訴」の文字に〇がついていた。
「裁判になりました」遺族の会の理事に電話すると「起訴にも、公判と罰金がある。確認したほうがいいよ」と教えられ、あわてて副検事に電話した。

・この春、優子さんは、大学生になった。(息子さんをパチンコ屋で20歳の男に因縁をつけられて殴られ、意識を失って鼻から下全部がマヒして、かむことも話すこともできなくなった) 「人は結局、人のなかでした生きられない。人によってこそ、いやされるものもあるとわかった」と優子さんは言う。

・埼玉県嵐山町の町議、渋谷登美子さんは、ボートピア建設計画に反対し、昨年の9月議会の開会前夜、知らない男たちに鉄の棒で手足を殴られた。
私に間違えられて住民のAさんも襲撃されました。Aさんの障害は重く、私は比較的形象でした。

・取材のなかで驚いたことは多々あれど、私が一番驚いたのは、被害者に聞いても事件のことがよくわからない、ということだった。

・取材を始める前に、私は頭のなかでぼんやりと、こんな予想をしていた。
<被害者は事件直後の状態が一番悪くて、そこから少しずつ回復していく>
とことが、実際に聞いてみると、より悪くなっていった被害者が少なからずいた。

・イギリスの被害者憲章のイントロダクションには、こう書かれている。
「あなたがどのように取り扱われようと、被った被害を取り戻すことはできません。けれど、犯罪の後の手続きが、犯罪により被った傷をより悪くさせることがないようにすることを、私たちは目指しています」

・近い人には話せない 家族のなかの亀裂
<被害者・遺族は、第三者の支援がなくても、かぞくのなかでなぐさめたり励ましたりして、支え合っているのではないか>
この予想もまた、覆された。

・大久保さん(飲酒運転で息子を殺された)は、被害者の立ち直りに必要なものとして、三つを挙げた。
1)理不尽な出来事を繰り返し話せる場所と、人があること。
2)被害者同士で、世間の目を気にせずに、心おきなく子どもの自慢話をしたり、周りの心ない言動でこんな風に傷ついたと話したり、泣きながらでも話せる場があること。ただし、被害を比べないこと。「〇〇の被害の方がもっと大変」「あなたはまだ、もう一人子どもがいるじゃない」・・・
3)自助グループを支える専門家
  話し合いのなかで、これからの自分の前向きの生き方をみつけるには、温かい人間性のある専門家の支援が必要。当事者だけだと、なかでぐるぐる回ってしまう。
「聞いてください」
私があなたに話を聞いて欲しいとと思って話をしているときに
あなたがアドバイスを始めたら その瞬間
あなたは私のしてほしいことを裏切っていることになる。
アドバイスはもう 本に出ています。
私は 無力ではないんです。
悲しみと失望でくじけてしまっているかもしれないけれど 無力ではありません。

・大久保恵美子さん 被害者支援ボランティア
子どもを突然亡くした親は、ふたつの時間を生きるようになるという。止まったままの時間と、現実に移りゆく時と。「季節や年月日が、よく、わからなくなりました」
1990年の秋、18歳の長男がひき逃げされ死んだ。翌日ひき逃げ版が出頭。飲酒運転だったことがわかる。
泣いて泣いて、泣き暮らした。保健婦の仕事も手に付かず、食事も作れなくなった。やがて夫はいらだった。「いつまで泣いてるんだ」。黙って耐える夫が理解できなかった。

・被害者の多くは「真実が知りたくて民事裁判を起こすのに」、裁判するなんて変わった人、と見られる。10分間で終わる弁論のために、仕事を休み、往復7,8時間かけて裁判所に通えば、「何回行くんや」「金がたくさん入ったやろ」と陰口をたたかれる。・・・
被害者の孤独は、予想を超えて深く、長く続いていた。

・連載「犯罪被害者 手紙から」の取材を進めていって、最後に「癒し」が隠れたテーマになった。手紙をいただいた三月には、予想もつかないことだった。事件により、あるいはその後の仕打ちにより、どれだけ傷つけられたか、苦しみと怒りを吐き出すような手紙が多かった。けれど、話を聞くうちに、その人たちは自分で考えを整理し、自分の進む方向を探っていた。同じ苦しみを味わう人が出ないようにするにはどうしたらいいか、ということまで真剣に考えていた。

・東京医科歯科大「犯罪被害者相談室」の初代室長で、現在は武蔵野女子大教授を務める精神科医の小西聖子さんが、何度か話していた。
「被害者のカウンセリングは非常に重いけれど、人間には立ち直る力があるんだと感じることができる。そこからまた、私自身もエネルギーをもらっているような気がする」

・警察の被害者連絡制度
 知らせる内容
 ・捜査状況
 ・容疑者の名前等
 ・どこの検察庁に事件を送ったか
 ・起訴・不起訴
 ・どこの裁判所で公判が開かれるか

・検察の被害者通知制度
 知らせる内容
 ・事件の処理結果
 ・公判期日
 ・裁判結果

・「犯罪被害者の権利宣言」七つの権利
 公正な処遇を受ける権利/情報を提供される権利/被害回復の権利/意見をのべる権利/支援を受ける権利/再被害からまもられる権利/平穏かつ安全に生活する権利

・国などが「被害者の権利を保障するため」講じるべき施策という形で示した。刑事手続き関係で掲げたのは、次の五項目
 ・処分決定前に犯罪被害者に意見を述べる機会を与える。
 ・関係機関が、進行状況に応じて、手続きの説明や通知をする。
 ・刑事手続きの記録を可能な限り早く、閲覧、謄写できるようにする。
 ・被害者のプライバシーが不必要に侵害されないようにする。
 ・証言妨害や報復を受けないようにする。

・ビクティムサポート(略称VS)「全英犯罪被害者援護協会」
年間1270万ポンド(約25億円)にのぼる内務省の補助金を主な財源に、約900人の有給職員と1万6千人のボランティアが被害者を支える。
「あのとき彼女が助けてくれなかったら、僕は生きていなかった」
事件直後、「だれとも話したくない」と感じていたホワイトさん(パブで、店主ら三人の男にいきなり鉄棒で殴られて重体となった。意識が戻ったのは一週間後、「二度と、歩いたり話したりできないでしょう」と医師は告げた))は、そのとき、自分のなかでふくれあがった怒りや混乱を、だれか第三者に聞いて欲しいと感じていた。病院から帰宅すると、VSの若い女性ボランティアが待っていた。
「まだうまくしゃべれない私の話を、彼女はとてもあたたかく聞いてくれた」。
それから七年、会っていない。「でも、今でも彼女はここにいると感じられる」。
いまホワイトさんは、VSのボランティアとして、事件の遺族らを支えている。
「自分もだれかの役に立てるんじゃないか」と、ふと思ったのだという。

・「ボランティアは、カウンセラーとは違う。どんな人にも平等に対応できること。信頼できる人柄であることや、相手をそのまま受け入れられることが大切」(ロンドンのVS本部アン・バイニ―副事務局長)

・「新・被害者憲章 犯罪被害者のためのサービス基準についての宣言」(米国)
あなたが期待できること
 ・通報した犯罪が捜査され、その後の情報を知らされること
 ・その犯罪によりどんな影響を受けたのかを説明する機会
 ・証人として出廷するときは、経緯と細やかさをもって遇されること
 ・情緒的・実践的なサポートが提供されること

・「遺族は、死んでしまった人のことを語りたい。でも司法にそういう場はない。遺族同士なら、余計な説明がいらないし、私たちは偽りの希望を語らない。『いつになれば忘れられるの』とよく聞かれるが、私は『痛みは五、六年たてばコントロールできるようになるが、一生なくならない』と答える。」

・被害者の意思ではない力ずくの性行為だったと裁判所は認めながら、なぜ強姦ではないのか。背景には「ささいな暴行・脅迫の前にたやすく屈する貞操の如きはは本条によって保護されるに値しないというべきであろうか」(刑法解説書=初版65年)という考えが、ちらつく。ここに、被害者の恐怖や苦痛は、想定されていない。
冒頭の、店長による強姦を訴えた女性は、昨年末、東京高裁の法廷で、「なぜ逃げなかったのか」と裁判官や弁護士に聞かれて、答えた。「逃げようにも逃げられなかったのです」
拒絶の明確な意思はありました」。そして、叫ぶように言った。「私は、舌をかんで死ぬことはできませんでした」
力では到底かなわず、抵抗すれば殺されるかもしれない。それでも抵抗せよ。という司法の要求は、酷だ。

・性犯罪用語の書き換えの経緯は、正確にはわからない。戦後、探した限りでは最も古い、日本新聞協会が1955年に出した「言いかえ集」に、「強姦」は「暴行」と書くよう指標が示されている。これは新聞協会の「新聞用語懇談会」が、当用漢字以外の漢字を使った難語の言い換えを示したもので、懇談会のメンバーは全員男性だった。

・ドキュメンタリー番組「レイプの主張」を作ったロジャー・グラーエフさんは、被害者が裁判に期待するものは4つある、と言った。
1)二度と起こさないことの保証
2)なぜ自分が選ばれたかの説明
3)償いや謝罪
4)処罰
なのに、裁判システムは、この逆を言っている。

・最後に、ここに記すことのできなかった人も含めて、私にその体験を言葉にして託してくれた、被害者、その家族の皆さんに、深く深く感謝します。あなたたちがいなかったら、この本が生まれることはありませんでした。

感想
声をあげないとよくなっていかない。
まさに、皆さんが声をあげてきたから少しずつ改善されてきたのでしょう。
記者が報道するだけでなく、被害者にとって何ができるかを問い続けて来られたのだと思います。

それにしても今までは被害者に対するフォローがあまりにも不十分だったということを知りました。