・2004年、私は米国の刑務所を舞台に、ライファーズ(Lifers:終身刑、もしくは無期刑受刑者)をめぐるドキュメンタリー映画を政策した。
・記憶は十年程遡る。1990年代末、私は日本のある女性刑務所から講演依頼を受けた。ちょうど私が企画・制作した米国の更生プログラムに関する番組が放送された直後だった。番組では、米国で再犯率を劇的に抑えている民間の更生施設を取りあげた。そこでは、犯罪者同士の語り合いを通して幼少時代の被害体験を掘り起こし、そこから自らの罪に直面させていくという手法を使っている。私は、日本の刑務所がそのような取組みに関心を持ったのだと思い、喜んで講師を引き受けた。・・・
受刑者は特別な理由がなければ話すことを許されていない。・・・
実は講演を引き受けた時、話す対象は当然受刑者だと思っていた。そうではないと知って、その可能性はないのか聞いてみた。しかし、電話の向こうで一笑に付されてしまった。・・・
ゲストの意見は要約するとこんな感じだ。番組は素晴らしかった。・・・。日本の矯正施設は質の高い職業訓練をはじめとして世界に誇る内容のプログラムを提供している。日本にはこのような更生プログラムは馴染まないし、必要もない。・・・
日本の刑務所では、罪を犯した人がその犯罪行為を根本的に考えるようなプログラムが不十分だ。
・「ここには、すでに、TCが存在している。」その横で、ナヤが続けた。「カオリも、自分の目でよく確かめてみて。」
TCとはTherapeutic Communityの略で、日本では「治療共同体」や「回復共同体」と訳されている。ある考え方や手法を使って、同じ類の問題もしくは症状を抱える人たちの回復を援助する場のことだ。多くの場合、同じ問題や症状を共有する人々が語り合うことを通して互いに援助しあう、自助グループのスタイルをとる。
1940年代半ばに英国の精神科医らが精神病院で始めたのが、TCの最初だと言われている。米国ではそれから十年程度の1958年に、元アルコール依存者のチャック・ディートリックが始めたシナノンという組織によって、その後TCムーブめんとと呼ばれるまでに広まっていった。
アミティは、シナノン出身であるナヤ・アービター、ペティ・フレイズマン、ロッド・ムレンの三人が、1981年にアリゾナ州のツーソンで開始したNPOである。現在は、アリゾナ州、カリフォルニア州、ニューメキシコ州の三州で活動する厚生施設だ。
・島根あさひ社会復帰促進センター、刑務所という思いもよらぬ場所で、いや、最も不可能と思えた場所で、巻かれた種を、それぞれの方法で、大切に育もうとしている人々がいた。
・その場にいたスタッフは、一人を除く全員が元受刑者で、かつて深刻な問題を抱えていた当事者だった(米国のアミティの活動)。
・いくら捕まってもナヤが薬物の使用や密売を止めなかったのは、自らの苦しみを、それがたとえ一瞬だったとしても、忘れさせてくれるのがヘロイン売人だったからだという。日本でも、自傷行為に走る若者たちが、「血が流れているときだけは、生きている気がする」と発言することがあるが、それは、納屋の「自宅よりも刑務所の方が真実味があって、現実的に感じられた」という当時の状態に置き換えられる。言い換えると、子供という無力な存在にとって、薬物や自傷行為は生き延びるための方法だったと言えるのかもしれない。
・番号から名前への旅
アミティでは、プログラムの運営に関わるスタッフのことを「デモンストレーター(体現者)」と呼ぶ。その大半が当事者である。彼らは、「人は変わることができる」ということを、かつての自分や現在の生き様を示すことによって体現するという重要な役割を担っている。・・・
いかなる人生を送ってきたか、どんな問題を抱えていたか。それらにどう向き合い、どう乗り越えてきたか、どんな問題を抱えていたか、それにどう向き合い、どう乗り越えてきたか。さらには、今をどう生きているのか。それが将来にどうつながると思うか。過去から未来に続くストーリーを語り、自分を丸ごとさらけ出すことによって、他社の人生に揺さぶりをかける。目の前の他者は、かつての自分だったともいえるのだ。このプロセスを、納屋は「番号から名前の旅」と名付けた。刑務所では通常、名前ではなく、受刑番号で呼ばれる。アミティのプログラムは、逆に、彼らが自分の名前を取り戻していくことを後押しする。だが、それは服役する前にもどるのでは決してない。むしろ、自らの名前を新たに獲得していうプロセスなのだ。
・ファンは拘置所の受刑者に対して、次のようなスピーチを行っている。
「かつて自分にとっては、人間関係なんて何の意味も持たなかった。なぜって俺は根性が悪くて、冷酷な人間だったから。それにしても俺たちの多くが、いちばん憎んでいるものに成り下がってしまったなんて、皮肉だと思わないか? おれはもうそんな自分をやめた。なぜって、それはこのコミュニティが、人に関心を持つ人々によって成り立っていて、人に関心を持つことを知らない俺たちに、その方法を教えてくれたから。人に関心を持ったり、人を愛したりする方法を教えるなんて、変だって思うかもしれないが、その手ほどきを受ける必要がある人間だっているんだ。俺自身、血縁者に対してさえ関心を持ったり、愛したりっていうのが全くなかったからね。昔は、自分の人生なんて、全く無意味だと思ってた。しかし今はちがう。生きることにこそ意味があると感じるんだ。
・「墓場まで持って行くつもりのことを話せなければ、本音を話したことにはならない。」
・自らのストーリーや生き様を示すことで、レジデントが自分の被害体験や問題行動に向き合えるように導き、社会復帰後はそれぞれが社会のなかにサンクチュアリを形成していけるように手助けするのが、彼らの役目だった。
・番組では、「従軍慰安婦」という戦時における性暴力をめぐり、償いと回復の可能性を探ろうとしていた。しかし、放映の数日前になって理不尽な要求が立て続けになされ、制作会社という弱い立場にいた私たちは、最終段階で編集作業から身を引かざるを得ない状況に追い込まれた。そして、私たち制作者の意に反した形で番組は放送されてしまったのである。
この「改ざん」の背景に「政治的介入」があったことは、数年後、関係者の証言や報道によて知るところとなったが、当時はまだ明らかになってはいなかった。ただ、政策の過程で直感的に「異常事態」に気づいた私は、自分なりに抵抗をした。それが十分だったか、適切だったかは十年経った今もわからない。・・・
しかし、現実はその逆だった。局の関係者たちは、「改ざんはなかった」とうそぶき、「制作会社の取材が酷かったから」と、編集に介入したkとをお正当化しようとした。・・・
私は、そんな日本のテレビ現場で仕事を続けていく気持ちになれなくなっていた。ただ、テレビ業界を辞めた後のあては全くなかったし、今まで築いてきたキャリアや人間関係を全て断たねばならないのが恐ろしくもあった、私自身、デッドエンドに立たされているような気がして、希望を見失い、途方にくれていたのだった。
サンディエゴのドノバン刑務所に足を延ばしたのはそんな最中だった。ラモンやレイエクは私を大いに励ましてくれた。業界の掟に逆らっても、「真実」に向き合うという私のとった選択は間違っていないと確信できたし、その後も裁判で結城を持って、自分の言葉で「真実」を語ることを、ライファーズが後押ししてくれたのだと思う。
・ケルビンの子どものように、母親か父親が刑務所に服役中の受刑者の子どもが、米国には少なくとも190万人から230万人いるといわれている。その大半が十歳以下で、べいこくの43人のこどもに1人、もしくは、2、3%の子どもの親が刑務所に服役中の受刑者だ。
・「修復的司法(Restorative Justics)という発想を私が耳にしたのは、1990年代の半ばのことだったと思う。・・・。
修復的司法とは、非行や犯罪を、従来の刑法に従って「国に対するしんがい」と見なすのではなく、「人や人間関係に関する損害」と捉える発想であり、犯罪によって生じた問題を解決するために、加害者と被害者の関係改善を試みるアプローチだ。事件が起きると、被害者、加害者、影響を受けたコミュニティの三者が集い、対話を通して、修復を試みていく。
・処遇される側から処遇する側へ
「自分は、同じ受刑者仲間に助けられたんだ。誰もがお手上げだった乱暴者のこの俺が、だよ。非人間的な状態から抜け出す鍵を、仲間から渡されたんだ。その鍵を必要としている仲間がたくさんいるのに、ポケットにしまいこんだままなんて、もったいないと思わないか?」
・ナヤはあるエピソードを紹介した。LAのアミスタッドで働くスタッフが、ダウンタウンで白人の子どもたちのグループにビラを渡された。そこには「どうか飲酒運転をしないで」と書かれてあった。そこから2,3km程南のサウスセントラルにあるアミスタッドに戻ってくると、黒人の子どもたちのグループが手書きのバナーを持って立っていた。そこには「どうか撃たないで」と書かれてあった。暮らす場所によって、これだけ問題の質が違う。
・アミティに来てからしばらくは、ショック状態だったという。期待していた特効薬(脱ドラッグ)など存在しないことはすぐにわかった。あったのは、「本当のことを語る」という辛くて果てしない作業だった。
・アミティでは驚くほど自分と似た感情を抱いている人がいた。死んでも話せないと思っていたことを、少しずつ語れるようになっていった。
・二年後、日本のとある女子刑務所を訪問した。・・・。その刑務所には、子どもを胸に抱く母親の銅像があった。刑務官はそれを指し、著名な女性政治家がデザインしたと誇らしげに言った。そして、受刑者にはこれを毎日見て、外にいる子どもに思いを馳せ、刑をしっかり務めるためだと言った。希望を目の前につるされたまま、手も足も縛られたままの状態で、つべこべ言わずに反省しろ、と言われているようなものだ。この刑務所で行っていることは沈黙の強要であり、ディスエンパワメント(無力化)ではないか。私が受刑者なら、反省ところか、恥と罪悪感と屈辱感でいっぱいになり、正気でいられないだろう。私のこの強い違和感は、シャナの発言と重なる。
「沈黙と孤立が人間の最大の暴力行為だということです。折れた腕はいつかくっつくし、血が流れていれもその上からバンドエイドを貼ればいい。歯が欠けたら入れ歯を入れればいいのですが、沈黙や孤立に即効で効く治療薬はない。それらは強く感情を傷つけ、深い心の傷を残します。」
・日本でも、無期刑が終身刑化している。服役中に死亡する人も多く、また、釈放された受刑者の平均刑期は35年を超えている。
・贖罪(atonement)には深い、隠された語源がある。at-one-mentのmentは心の状態を表すから、一つになる(at-one)、平和になる(at-peace)心の状態を意味している。食事あのプロセスは、私たちを再び一つに、全人格に統合しうる。言い換えると、私たちが恥、罪悪感、怒り、痛みを感じると時、私たちは自らと、他者と、私たちが神だと信ずる者との間で折り合いをつける必要がある。悪事が引き起こされた後に、贖罪は、私たちを神もしくは神聖なるものから私たちを引き離している幕を、引きあげる(そして両者を対面させる)ことができる。無神論者だとしても、他者や人生そのものとの和解から利を得るだろう。
感想;
https://www.asahi.com/articles/DA3S14276507.html
再犯者率、過去最悪 前年より微増48.8% 犯罪白書 朝日新聞 2019年11月29日
法務省は29日、昨年の犯罪件数や傾向をまとめた2019年版犯罪白書を公表した。警察が昨年把握した刑法犯の認知数は、81万7338件(前年比約11%減)で、戦後最少を更新した。また、検挙者のうち再犯した人の割合を示す再犯者率は、前年より0・1ポイント増えて48・8%となり、過去最悪となった。
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/52ad73a8995d94ee8281beb5cea17245
「反省させると犯罪者になります」 岡本茂樹著 "人は自分がされたことを、人にして返すものです"
日本の刑務所は形だけ従わしているので、再犯率が高いです。
犯罪はもちろん悪いことです。
ただ、犯罪者も育った環境の犠牲者だったのです。
だからと言ってその罪が許されるわけではありません。
社会にも責任の一端があると思います。
米国の凶悪犯人の育った環境を調べたら、親がドラッグ、アル中、犯罪などを犯している率が6割程度あったそうです。
もちろん、そのような環境でも立派に育った方もいらっしゃいます。
周りに愛してくれる、支えてくれる人がいたかどうかにも左右されます。
人は人生の意味を見出すとこれだけ変われるのかとの実際の多くの実践者の例が紹介されていました。
そしてその人たちが今度は手を差し伸べる側に回っています。
人生を生きるには難しい出来事に遭遇します。
先が見えない場合もあります。
そんな時、希望/生きる意味を見出した人は、自明灯のように真っ暗な時でも足元を照らしてくれます。
著者の坂上香さんはご自分の生きる意味を見出しておられるのだなと思いました。
こういう方が活動できる日本であって欲しいし、またそうしなければならないと思いました。
日本にも受刑者を支えている人がいます。
彼もその一人です。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/kaerunouta.html
ほんにかえるプロジェクト -かえるのうた 応援サイト
(引用)
私は十数年に及ぶ受刑生活の中で、常に支援を受けていました。そのおかげで今も自由の身であるのですが、私のように家族とも知人ともつながりを持てる人は実に稀で、多くの受刑者は社会で孤立し、塀の中でも孤立したままであることが多い。孤立から生まれる疎外感は人の心をむしばみ、時に事件をも引き起こさせることがあるのではないでしょうか。 ではどうすれば改善できるのでしょうか?私は特に「外部交通」と呼ばれる面会と文通が必要と思います。この二つの手段が受刑者を社会とつなぎ、再び社会の一員としてやり直せるように働きかけることができると思う。だれが言い出したのはわかりませんが、「反省は一人でもできるが、更生は一人ではできません」という言葉があります。私もその通りだと思っています。
・記憶は十年程遡る。1990年代末、私は日本のある女性刑務所から講演依頼を受けた。ちょうど私が企画・制作した米国の更生プログラムに関する番組が放送された直後だった。番組では、米国で再犯率を劇的に抑えている民間の更生施設を取りあげた。そこでは、犯罪者同士の語り合いを通して幼少時代の被害体験を掘り起こし、そこから自らの罪に直面させていくという手法を使っている。私は、日本の刑務所がそのような取組みに関心を持ったのだと思い、喜んで講師を引き受けた。・・・
受刑者は特別な理由がなければ話すことを許されていない。・・・
実は講演を引き受けた時、話す対象は当然受刑者だと思っていた。そうではないと知って、その可能性はないのか聞いてみた。しかし、電話の向こうで一笑に付されてしまった。・・・
ゲストの意見は要約するとこんな感じだ。番組は素晴らしかった。・・・。日本の矯正施設は質の高い職業訓練をはじめとして世界に誇る内容のプログラムを提供している。日本にはこのような更生プログラムは馴染まないし、必要もない。・・・
日本の刑務所では、罪を犯した人がその犯罪行為を根本的に考えるようなプログラムが不十分だ。
・「ここには、すでに、TCが存在している。」その横で、ナヤが続けた。「カオリも、自分の目でよく確かめてみて。」
TCとはTherapeutic Communityの略で、日本では「治療共同体」や「回復共同体」と訳されている。ある考え方や手法を使って、同じ類の問題もしくは症状を抱える人たちの回復を援助する場のことだ。多くの場合、同じ問題や症状を共有する人々が語り合うことを通して互いに援助しあう、自助グループのスタイルをとる。
1940年代半ばに英国の精神科医らが精神病院で始めたのが、TCの最初だと言われている。米国ではそれから十年程度の1958年に、元アルコール依存者のチャック・ディートリックが始めたシナノンという組織によって、その後TCムーブめんとと呼ばれるまでに広まっていった。
アミティは、シナノン出身であるナヤ・アービター、ペティ・フレイズマン、ロッド・ムレンの三人が、1981年にアリゾナ州のツーソンで開始したNPOである。現在は、アリゾナ州、カリフォルニア州、ニューメキシコ州の三州で活動する厚生施設だ。
・島根あさひ社会復帰促進センター、刑務所という思いもよらぬ場所で、いや、最も不可能と思えた場所で、巻かれた種を、それぞれの方法で、大切に育もうとしている人々がいた。
・その場にいたスタッフは、一人を除く全員が元受刑者で、かつて深刻な問題を抱えていた当事者だった(米国のアミティの活動)。
・いくら捕まってもナヤが薬物の使用や密売を止めなかったのは、自らの苦しみを、それがたとえ一瞬だったとしても、忘れさせてくれるのがヘロイン売人だったからだという。日本でも、自傷行為に走る若者たちが、「血が流れているときだけは、生きている気がする」と発言することがあるが、それは、納屋の「自宅よりも刑務所の方が真実味があって、現実的に感じられた」という当時の状態に置き換えられる。言い換えると、子供という無力な存在にとって、薬物や自傷行為は生き延びるための方法だったと言えるのかもしれない。
・番号から名前への旅
アミティでは、プログラムの運営に関わるスタッフのことを「デモンストレーター(体現者)」と呼ぶ。その大半が当事者である。彼らは、「人は変わることができる」ということを、かつての自分や現在の生き様を示すことによって体現するという重要な役割を担っている。・・・
いかなる人生を送ってきたか、どんな問題を抱えていたか。それらにどう向き合い、どう乗り越えてきたか、どんな問題を抱えていたか、それにどう向き合い、どう乗り越えてきたか。さらには、今をどう生きているのか。それが将来にどうつながると思うか。過去から未来に続くストーリーを語り、自分を丸ごとさらけ出すことによって、他社の人生に揺さぶりをかける。目の前の他者は、かつての自分だったともいえるのだ。このプロセスを、納屋は「番号から名前の旅」と名付けた。刑務所では通常、名前ではなく、受刑番号で呼ばれる。アミティのプログラムは、逆に、彼らが自分の名前を取り戻していくことを後押しする。だが、それは服役する前にもどるのでは決してない。むしろ、自らの名前を新たに獲得していうプロセスなのだ。
・ファンは拘置所の受刑者に対して、次のようなスピーチを行っている。
「かつて自分にとっては、人間関係なんて何の意味も持たなかった。なぜって俺は根性が悪くて、冷酷な人間だったから。それにしても俺たちの多くが、いちばん憎んでいるものに成り下がってしまったなんて、皮肉だと思わないか? おれはもうそんな自分をやめた。なぜって、それはこのコミュニティが、人に関心を持つ人々によって成り立っていて、人に関心を持つことを知らない俺たちに、その方法を教えてくれたから。人に関心を持ったり、人を愛したりする方法を教えるなんて、変だって思うかもしれないが、その手ほどきを受ける必要がある人間だっているんだ。俺自身、血縁者に対してさえ関心を持ったり、愛したりっていうのが全くなかったからね。昔は、自分の人生なんて、全く無意味だと思ってた。しかし今はちがう。生きることにこそ意味があると感じるんだ。
・「墓場まで持って行くつもりのことを話せなければ、本音を話したことにはならない。」
・自らのストーリーや生き様を示すことで、レジデントが自分の被害体験や問題行動に向き合えるように導き、社会復帰後はそれぞれが社会のなかにサンクチュアリを形成していけるように手助けするのが、彼らの役目だった。
・番組では、「従軍慰安婦」という戦時における性暴力をめぐり、償いと回復の可能性を探ろうとしていた。しかし、放映の数日前になって理不尽な要求が立て続けになされ、制作会社という弱い立場にいた私たちは、最終段階で編集作業から身を引かざるを得ない状況に追い込まれた。そして、私たち制作者の意に反した形で番組は放送されてしまったのである。
この「改ざん」の背景に「政治的介入」があったことは、数年後、関係者の証言や報道によて知るところとなったが、当時はまだ明らかになってはいなかった。ただ、政策の過程で直感的に「異常事態」に気づいた私は、自分なりに抵抗をした。それが十分だったか、適切だったかは十年経った今もわからない。・・・
しかし、現実はその逆だった。局の関係者たちは、「改ざんはなかった」とうそぶき、「制作会社の取材が酷かったから」と、編集に介入したkとをお正当化しようとした。・・・
私は、そんな日本のテレビ現場で仕事を続けていく気持ちになれなくなっていた。ただ、テレビ業界を辞めた後のあては全くなかったし、今まで築いてきたキャリアや人間関係を全て断たねばならないのが恐ろしくもあった、私自身、デッドエンドに立たされているような気がして、希望を見失い、途方にくれていたのだった。
サンディエゴのドノバン刑務所に足を延ばしたのはそんな最中だった。ラモンやレイエクは私を大いに励ましてくれた。業界の掟に逆らっても、「真実」に向き合うという私のとった選択は間違っていないと確信できたし、その後も裁判で結城を持って、自分の言葉で「真実」を語ることを、ライファーズが後押ししてくれたのだと思う。
・ケルビンの子どものように、母親か父親が刑務所に服役中の受刑者の子どもが、米国には少なくとも190万人から230万人いるといわれている。その大半が十歳以下で、べいこくの43人のこどもに1人、もしくは、2、3%の子どもの親が刑務所に服役中の受刑者だ。
・「修復的司法(Restorative Justics)という発想を私が耳にしたのは、1990年代の半ばのことだったと思う。・・・。
修復的司法とは、非行や犯罪を、従来の刑法に従って「国に対するしんがい」と見なすのではなく、「人や人間関係に関する損害」と捉える発想であり、犯罪によって生じた問題を解決するために、加害者と被害者の関係改善を試みるアプローチだ。事件が起きると、被害者、加害者、影響を受けたコミュニティの三者が集い、対話を通して、修復を試みていく。
・処遇される側から処遇する側へ
「自分は、同じ受刑者仲間に助けられたんだ。誰もがお手上げだった乱暴者のこの俺が、だよ。非人間的な状態から抜け出す鍵を、仲間から渡されたんだ。その鍵を必要としている仲間がたくさんいるのに、ポケットにしまいこんだままなんて、もったいないと思わないか?」
・ナヤはあるエピソードを紹介した。LAのアミスタッドで働くスタッフが、ダウンタウンで白人の子どもたちのグループにビラを渡された。そこには「どうか飲酒運転をしないで」と書かれてあった。そこから2,3km程南のサウスセントラルにあるアミスタッドに戻ってくると、黒人の子どもたちのグループが手書きのバナーを持って立っていた。そこには「どうか撃たないで」と書かれてあった。暮らす場所によって、これだけ問題の質が違う。
・アミティに来てからしばらくは、ショック状態だったという。期待していた特効薬(脱ドラッグ)など存在しないことはすぐにわかった。あったのは、「本当のことを語る」という辛くて果てしない作業だった。
・アミティでは驚くほど自分と似た感情を抱いている人がいた。死んでも話せないと思っていたことを、少しずつ語れるようになっていった。
・二年後、日本のとある女子刑務所を訪問した。・・・。その刑務所には、子どもを胸に抱く母親の銅像があった。刑務官はそれを指し、著名な女性政治家がデザインしたと誇らしげに言った。そして、受刑者にはこれを毎日見て、外にいる子どもに思いを馳せ、刑をしっかり務めるためだと言った。希望を目の前につるされたまま、手も足も縛られたままの状態で、つべこべ言わずに反省しろ、と言われているようなものだ。この刑務所で行っていることは沈黙の強要であり、ディスエンパワメント(無力化)ではないか。私が受刑者なら、反省ところか、恥と罪悪感と屈辱感でいっぱいになり、正気でいられないだろう。私のこの強い違和感は、シャナの発言と重なる。
「沈黙と孤立が人間の最大の暴力行為だということです。折れた腕はいつかくっつくし、血が流れていれもその上からバンドエイドを貼ればいい。歯が欠けたら入れ歯を入れればいいのですが、沈黙や孤立に即効で効く治療薬はない。それらは強く感情を傷つけ、深い心の傷を残します。」
・日本でも、無期刑が終身刑化している。服役中に死亡する人も多く、また、釈放された受刑者の平均刑期は35年を超えている。
・贖罪(atonement)には深い、隠された語源がある。at-one-mentのmentは心の状態を表すから、一つになる(at-one)、平和になる(at-peace)心の状態を意味している。食事あのプロセスは、私たちを再び一つに、全人格に統合しうる。言い換えると、私たちが恥、罪悪感、怒り、痛みを感じると時、私たちは自らと、他者と、私たちが神だと信ずる者との間で折り合いをつける必要がある。悪事が引き起こされた後に、贖罪は、私たちを神もしくは神聖なるものから私たちを引き離している幕を、引きあげる(そして両者を対面させる)ことができる。無神論者だとしても、他者や人生そのものとの和解から利を得るだろう。
感想;
https://www.asahi.com/articles/DA3S14276507.html
再犯者率、過去最悪 前年より微増48.8% 犯罪白書 朝日新聞 2019年11月29日
法務省は29日、昨年の犯罪件数や傾向をまとめた2019年版犯罪白書を公表した。警察が昨年把握した刑法犯の認知数は、81万7338件(前年比約11%減)で、戦後最少を更新した。また、検挙者のうち再犯した人の割合を示す再犯者率は、前年より0・1ポイント増えて48・8%となり、過去最悪となった。
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/52ad73a8995d94ee8281beb5cea17245
「反省させると犯罪者になります」 岡本茂樹著 "人は自分がされたことを、人にして返すものです"
日本の刑務所は形だけ従わしているので、再犯率が高いです。
犯罪はもちろん悪いことです。
ただ、犯罪者も育った環境の犠牲者だったのです。
だからと言ってその罪が許されるわけではありません。
社会にも責任の一端があると思います。
米国の凶悪犯人の育った環境を調べたら、親がドラッグ、アル中、犯罪などを犯している率が6割程度あったそうです。
もちろん、そのような環境でも立派に育った方もいらっしゃいます。
周りに愛してくれる、支えてくれる人がいたかどうかにも左右されます。
人は人生の意味を見出すとこれだけ変われるのかとの実際の多くの実践者の例が紹介されていました。
そしてその人たちが今度は手を差し伸べる側に回っています。
人生を生きるには難しい出来事に遭遇します。
先が見えない場合もあります。
そんな時、希望/生きる意味を見出した人は、自明灯のように真っ暗な時でも足元を照らしてくれます。
著者の坂上香さんはご自分の生きる意味を見出しておられるのだなと思いました。
こういう方が活動できる日本であって欲しいし、またそうしなければならないと思いました。
日本にも受刑者を支えている人がいます。
彼もその一人です。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/kaerunouta.html
ほんにかえるプロジェクト -かえるのうた 応援サイト
(引用)
私は十数年に及ぶ受刑生活の中で、常に支援を受けていました。そのおかげで今も自由の身であるのですが、私のように家族とも知人ともつながりを持てる人は実に稀で、多くの受刑者は社会で孤立し、塀の中でも孤立したままであることが多い。孤立から生まれる疎外感は人の心をむしばみ、時に事件をも引き起こさせることがあるのではないでしょうか。 ではどうすれば改善できるのでしょうか?私は特に「外部交通」と呼ばれる面会と文通が必要と思います。この二つの手段が受刑者を社会とつなぎ、再び社会の一員としてやり直せるように働きかけることができると思う。だれが言い出したのはわかりませんが、「反省は一人でもできるが、更生は一人ではできません」という言葉があります。私もその通りだと思っています。