幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

クミコさんのブログより「スターマスク」 ”その期待は、やはり、外れた。”

2020-05-22 10:41:41 | アベノマスク
https://ameblo.jp/kumiko926/entry-12598688491.html?frm_src=favoritemail NEW!2020-05-22

とうとう。やっと。ついに。
アベノマスクが届いた。

布マスクは、家に一枚あって、その着け心地と言うのは知っていた。
なので、期待はまったくしていなかった。

それでも。
もしかして。

政府がこれだけの予算で配るのだから、ナニカシラ進歩したものかもしれない。

その期待は、やはり、外れた。

やはり布マスクは、布マスク。
同封された説明書の、鼻と口をしっかり覆って、耳のゴムかけて、それからまた鼻のあたりをしっかりと密着させて、などいうのは、普通のプリーツマスクでのこと。
布マスクは、右左からすうすうと空気が漏れる。


それでも、返却したり、断ったりなんてできない。

やはり、こうして一枚一枚包装され、忙しい配達の人の手を借り、届いたものだ。
しかもけっこうな値段でもある。
それに、なんたってこれだけ世間の話題になったもの。
いわばスターだ。

この布マスクはスターマスクなのだ。

なので、試着してないもう一枚は、そのまま引き出しにしまった。

前からあった布マスクと共に、これからおそらく使われることもないだろうが、一緒にしまった。


しかし。

このマスクで、日々の公務を行ったアベさんはスゴイ。
こんなに息苦しいし、ずれるのに、よくがんばった。

他の誰も、このマスクをしていないのに、一人がんばった。
どれほどつらかったことか。

誰だよ、こんなマスク企画したのって、誰も見てないとこで怒り狂ったとしても不思議ではない。
私だったらそうなる。

もっと立体的な、布マスクだってあるじゃないか、って怒ったと思う。
私だったら怒る。


この二枚のマスクが来た時の絶望からいかに立ち上がるか、と、ずいぶん前のブログには書いたけど、もうそれからずいぶん時間も経ったし。
もしかして、来週明けには、緊急事態宣言解除の動きもあるというし。

なんか気が抜けてしまった。


でも。
ほんとは、これからが勝負なんだろうと思う。


自粛要請で、数カ月の無収入で生きながらえてきた人たちを、また地獄に突き落とすような、またもやの緊急事態宣言なんてのは、ごめんだ。

ずたずたになったのは、経済だけじゃない。
人の心も、そうだ。

それにしても。
日本の人たちは、ほんとにスゴイ。
日本が、今のところ、これだけの被害で済んでるのは、まったくもって国民という名の人たちの忍耐力のおかげだなあと、さっき掃除をしながら思った。
ううううう掃除機をかけながら、つくづくそうだよと思った。


少なくとも、為政者の腕じゃないことだけは、確か。
いい国民持って良かったね、って胸張って言ってやりたいくらいですわ。

感想
都内でようやくアベノマスクが配達されているようです。

それにしても、これに約480億円も使った安倍首相の判断能力。
いまだにアベノマスクは意味があったと言い続ける菅官房長官。
自民党公明党の議員はアベノマスクに違うマスクを付けて沈黙。

日本大丈夫でしょうか?
海外からも「エイプリルフールの冗談?」と揶揄されても反省がない。

黒川検事長は余人に持って代えがたいとのことで異例の法律無視の定年延長したら、賭けマージャンの常習者。

強行採決しようとした公務員法一括は見直して廃案。

張本さんだと”喝!”ですが、自民党内、公明党内に自分の安全を考え沈黙です。



黒川氏ケース、事件化困難?  賭けマージャン、過去に摘発も ”困難を理由に調査もしない!”

2020-05-22 09:35:15 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7a21e619f422649bebf3c5ebba509d4bfe0305e 時事通信社5/22(金)

 東京高検の黒川弘務検事長(63)が新聞記者らとの賭けマージャンを認め、辞表を提出した。

 過去には賭博容疑で芸能人や公務員が警察に摘発されたケースがあり、黒川氏立件の可能性も残るが、捜査幹部からは「事件化は難しいのでは」との声が出ている。

 賭けマージャンをめぐっては、タレントで漫画家の蛭子能収さんが1998年、東京都新宿区のマージャン店で警視庁捜査4課(当時)などに現行犯逮捕された。愛知県警は2013年、勤務中に賭けマージャンをしたとして県警の警察官6人を書類送検し、うち2人が罰金10万円の略式命令を受けた。

 朝日新聞社によると、黒川氏は同社社員や産経新聞記者、次長らと今月、記者の自宅で現金を賭けてマージャンをした。事実であれば賭博罪に当たるとみられ、刑法では「50万円以下の罰金または科料」と規定される。

 朝日新聞は1回の勝ち負けは1人当たり数千円~2万円程度などと発表。一方、ある捜査幹部は「仲間内での遊びの範囲内だったら、事件にするのは難しい」と指摘する。現行犯ではないため、「誰がどういう状況でいくら賭けていたか再現できるまで詳しく調べなければならない」といい、立件のハードルも高いと話す。

 別の捜査幹部も「闇カジノなど暴力団が後ろにいる賭博場などを狙って摘発するのが一般的」と説明。単純な賭けマージャンのみでの立件には慎重な姿勢を見せている。 

感想
1回に数千円から2万円とのこと。
3点1円ぐらいの賭けでしょうか。
ハコテン(持ち点がゼロ)になると、持ち点3万点ですから1万円。
勝ったり負けたりなので、一方的には負けないので、数時間だと数千円から2万円くらいになります。
きっと朝日新聞の記者も少なめに言っているでしょうから。
ただ、文春の10万円云々からは遠い話です。
10万円だとすると1点1円。
黒川氏に勝たす接待マーシャンでしょうから、このくらいの掛け率だと思います。
誰でも負けたら気分悪いですから、黒川氏の気分を良くするために賭けマージャンと称して接待していたと思います。

池袋の高級国民の事故は逮捕されませんでした。
高級国民は特別対応があるのでしょう。

まさに黒川検事長を検事総長にしたかったのは、「桜を見る会」の申告も検察が取り上げないなど、高級国民を守るためだったのでしょう。
詩織さん準強姦したと民法で認められた山口敬之氏の逮捕も直前で止めるのも東京地検のトップの指示でしょう。
法は高級国民のためにあるみたいです。
蛭子さんは高級国民でなかったのでしょう。

賭博が難しいなら収賄容疑で捜査して欲しいものです。
見返りは黒川氏からの情報リークです。
産経新聞は「取材だった。よってハイヤー代も経費」と断言されているのですから。

配布終了は緊急事態解除後・・・不織布マスク流通回復でますます要らないアベノマスク ”自民党&公明党議員の方はどう思われているのでしょう?”

2020-05-22 08:50:50 | アベノマスク
https://www.excite.co.jp/news/article/CocokaraNext_24802/ excite news [文/構成:ココカラネクスト編集部]2020年5月21日

 新型コロナウイルス対策で安倍首相がドヤ顔で打ち出したアベノマスクがあちこちで厄介者扱いされている。汚れや異物混入問題から「虫が出てきそうで怖くて開封できない」「バイキンが心配」といった不安や、「小さい」「暑い」という不満から使用しないケースが続出している。しかも、コロナ禍による極度の品薄で高騰していた不織布マスクのバブルがはじけ、安値で安定流通するようになったからなおさらだ。

・今すぐ読みたい→466億円はドブに・・・アベノマスク「安心の証」製品情報ゼロ、漏れ率100%の衝撃 https://cocokara-next.com/topic/abenomask-no-product-info/


 ところが、菅官房長官は20日の記者会見で「布マスクの配布などにより需要が抑制された結果、店頭の品薄状況が徐々に改善されて、また上昇してきたマスク価格にも反転の兆しがみられる」と説明。「東京などに(布マスクが)届き始めてから、店頭でマスクが売られ始めたんじゃないでしょうか。非常に効果があると思う」とも話した。しかし、アベノマスクの配布実績は、東京、大阪、北海道など13都道府県で約1450万枚。配布予定の1億3000万枚の10分の1に過ぎない。
 安倍首相が布製マスクの配布を発表したのは4月1日。その時期には中国製の不織布マスクが高値ながら店頭並び始めていた。東京周辺では新大久保や上野のアメ横、西川口、横浜中華街や伊勢佐木町の雑貨ショップなどで、1枚当たり100~150円。それが今では50枚入り1000円台は珍しくなく、1枚30円台にまで値を下げてきている。

「コロナ前の50枚入り不織布マスクの仕入れ値は1枚当たり5~7円ほどでしたが、世界中の争奪戦で原材料の不織布などの原材料価格も高騰。いま出回っているマスクの仕入れ値は35~50円ほどに膨らんでいます。ただ、異業種の参入で中国の生産量が急増して輸出量が戻り始めた上、国内の生産量も増加している。洗えるウレタン製マスクも広がり、需要の逼迫はずいぶん落ち着いた。むしろ、赤字幅が拡大する前に在庫をさばこうという投げ売りも出始めています」(流通関係者)
 ネット通販では50枚入り1000円程度はザラ。消費税と送料込みでも1枚20円ほどで手に入る・さらに値ごろなマスクがゴロゴロ。1枚30円台は当たり前。「原価マスク」「挑戦最安値」などの惹句で200枚入り4599円、100枚入り2299円で売られ、51枚入り1111円(いずれも税・送料込み)というのもあった。どれも1枚25円を切っている。いまだに行き渡らないアベノマスクに投じられた血税466億円はドブに捨てられたも同然だ。

感想
不思議なのが、自民党、公明党のどなたも、アベノマスクを問題にされないことです。
466億円+8億円(検品費用)+*億円(不良が多かったので追加発注)
約480億円も税金を使って効果もないものに問題だと思われないのでしょうか?
アンケートでも7割が使わないと言っています。

これだけのお金を生活苦の人に回せば少しでも本当の支援になったのですが。

https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/c24477ae9a9b739daaf9300ccd3ef9ea
アベノマスク宣言(替え歌) バージョンUp


賭け麻雀認めた検事長、定年後勤務延長なしなら「民間人」? 今後の捜査に影響も

2020-05-22 02:32:22 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20200521-00179569/ 前田恒彦 | 元特捜部主任検事 5/21(木)
 文春砲の直撃を受けて辞意を表明した東京高検検事長の黒川弘務氏。記者の自宅に上がりこみ、賭け麻雀をしていたうえ、ハイヤーまで用意されていた。容疑を認めているという。今後の捜査の行方は――。
悪質な賭博行為では?
 そもそも、現金を賭けて麻雀をやっていたということであれば、記者ともども、今のような単なる「調査」ではなく、きちんと賭博罪で「被疑者」として立件し、「捜査」しなければならない。
 最高刑は罰金50万円だ。元プロ野球選手や著名な漫画家など、検挙例は山ほどある。
 しかも、週刊文春の報道によると、「黒川氏は昔から、複数のメディアの記者と賭けマージャンに興じており、最近も続けていた」「その際には各社がハイヤーを用意するのが通例だった」とのことだし、一晩で1人10万円の金が動いたという話もある。かなり悪質性が高い。
 最高刑が懲役3年の常習賭博罪にあたるのではないかといった点まで視野に入れ、過去にさかのぼって捜査を行う必要がある。
 例えば、いつ、どこで、どの社のどの記者と、いかなるレートやルールで賭け麻雀をやっていたのかや、勝ち負けの結果や支払いはどうなっているのか、といった点だ。
 黒川氏の公用と私用の携帯電話を差し押さえ、通話履歴も入手し、メールやメッセンジャーアプリなどの送受信内容を分析したうえで、黒川氏が誰とどのようなやり取りをしているのか、また、いかなる交友関係を有しているのか、早急に特定を進める必要がある。
 特に、週刊文春が黒川氏に突撃取材した17日以降、関係者との間で口裏合わせと見られる行動がなかったかが重要となる。
贈収賄の目も
 一方で、実は「接待麻雀」だったという話もある。
 賭博罪が成立するには、勝敗の結果が偶然に左右されるものでなければならない。
 黒川氏が知ってか知らずか、記者ら3人が意を通じ合い、黒川氏にあえて当たり牌を振り込んで勝たせるようなことをしていれば、黒川氏が勝つことは偶然ではなく、はじめから仕組まれていたということになる。
 そうなると、賭博罪の成立には難がある。勝つ機会がないのにそれがあるように装って客を負けさせた「いかさま賭博」の胴元も、賭博罪ではなく、詐欺罪で処罰される。
 黒川氏の場合、その逆パターンだから詐欺罪には当たらないが、一方で、ハイヤーの手配を含め、接待した記者には贈賄罪、接待された黒川氏には収賄罪が成立するのではないかとも考えられる。
 もちろん、露骨に当たり牌を振り込むような麻雀をやって勝ったところで、面白くもないだろう。
 記者のほうも、うまく「さじ加減」をし、勝ったり負けたりを繰り返しつつ、最終的には黒川氏の勝ちで終わるような流れを演出していた可能性もある。
 そうなると、賭博罪のほうに傾いていくことから、実際に行われた賭け麻雀の具体的な状況が重要だ。
 それとともに、「便宜供与」の有無や内容、すなわち黒川氏が記者と頻繁に会い、賭け麻雀で勝たせてもらう見返りにどんな情報を漏らしていたのかといった点について、よく調べる必要がある。
記者との蜜月関係にも捜査のメスを
 その点は、贈収賄の成否だけの問題ではない。
 今回の件は、単なる賭け麻雀だけでなく、検察幹部と記者との蜜月関係や検察による恣意的リーク、メディアコントロールの実態にも波及する話だからだ。
 そもそも、特定の記者の自宅に上がり込み、記者と6時間半も接触しているというだけで、第一線で捜査や公判に従事している検察の現場からすると、許しがたいという声が上がるはずだ。
 そうした幹部に極秘の捜査情報を上げたらメディアに漏れる可能性ありということだけでも、現場にとって最低最悪の上司であり、誰もついていこうとは思わないからだ。
 確かに記者による「夜討ち朝駆け」はあるが、まずヒラ検事のところには来ないし、来たとしても会話すら交わさない。
 毎夕刻、幹部による記者レクのあと、記者と個別にやり取りする幹部もいるだろうし、一昔前なら、幹部が記者を自宅に招いたといった話もあった。
 しかし、さすがに記者と夜な夜な賭け麻雀を繰り返すとか、そのたびに記者が用意したハイヤーで帰るといった幹部など聞いたことがない。
 黒川氏の脇の甘さが最大の原因だが、今回の記者が黒川氏を自宅に招き入れられるほどズブズブの親密な関係を築けていたことについては、他社の記者としても驚きを隠せないのではないか。
 黒川氏の身の処し方について、極めて軽い訓告処分や、7千万円超の退職手当が出る依願退官でいいのか、むしろ懲戒免職に値する話ではないのかということを改めて判断するためにも、前提となるこうした事実関係について、徹底した捜査が求められる。
法的地位は不安定
 ただし、大前提として、クリアしておかなければならない最大の問題が横たわっている。
 そもそも、国家公務員法の勤務延長規定は検察官に適用されないから、黒川氏の勤務延長を決めたという1月31日の閣議決定は違法無効であり、黒川氏に交付された「8月7日まで勤務延長する」という2月7日付けの内閣辞令書も同じく違法無効ではないか、という点だ。
 もともと野党側が、これまでの国会審議の中で強く主張していたことでもある。
 そうなると、検察庁法の規定により、黒川氏は63歳となった2月8日の誕生日をもって定年で退官していたということになる。
 それ以後は、法的には検事長ではなく、元検事長にすぎない「民間人」ではないかというわけだ。
 賭け麻雀が賭博罪に問われるのは変わらなくとも、公務員ではないから、記者との接待麻雀は贈収賄に当たらなくなるし、公務員の倫理規定の適用もなくなる。
 さらには、定年退官後の民間人としての賭け麻雀を理由に、検事長であった2月にさかのぼって懲戒免職にしたり、退職手当を支払わないといった決定ができるのか、という複雑な問題まで生じてくる。
 政府は国会答弁の中で繰り返し勤務延長は有効だと主張しているから、今後も黒川氏についてはその方向で対処するだろう。
 しかし、いまだに司法審査を経ていない問題だ。
 裁判所がどう判断するのか、不確定要素が残されたままであり、やや不気味な事案であることは確かだ。
 検察にとってもメディアにとっても痛手となるので、ソフトランディングで終わらせることも考えられるが、そうなると国民から「検察は身内に甘い」という批判が巻き起こることは間違いない。(了)

感想
お金をかけて賭けマージャンやると賭博罪。
接待マージャンだとお金を黒川さんに渡すのが目的なので収賄罪。
定年延長が無効なら、黒川氏は民間人になるので収賄罪は適用されずに賭博罪が適用されるかどうか。

どちらにせよ訓戒は大甘な処分です。
産経新聞は「取材だった」と発言し、ハイヤー代を経費でだしています。
そうすると個人の問題ではなく、会社の責任も問われるでしょう。
朝日新聞も責任が問われます。

「夜と霧の明け渡る日に 未発表書簡、草稿、講演」ヴィクトール・E・フランクル著 ”人間とは、つねに決定する存在です”

2020-05-22 01:01:01 | 本の紹介
・ブーベンヴァルトの歌のリフレイン
おおブーベンヴァルト、われらは嘆き悲しむまい
どんな未来が待っていようと
それでもわれらは人生にイエスと言う
いつかその日は来るのだから-われらが自由になるときが!

・「悲劇的なトリアス(三位一体)」
苦悩、罪、死
人間の経験の構成要素で、どのような人生でもこのトリアスもこのトリアスから逃れることはできない。

・解放された仲間が経験したのは、心理学的に見れば、まぎれもなく離人症である。
すべてが完全に非現実的で、ありそうもなく、ただの夢のように感じられる。

・全員が生きていますように、帰郷して、皆の消息を確かめる瞬間がこわいです。

・長い間途方もない精神的プレッシャーを受けていた人間、つまり強制収容所に入れられた人間は、解放されたとしても、突然プレッシャーが取り除かれたためにむしろ精神的に危険な状態にさらされる。

・人生は無限に意味深く、そのために苦しみや挫折の中にすら意味があるにちがいないと、ますます思うようになりました。そして僕に残されている唯一の慰めは、自分は与えられた可能性を実現したのだと、良心をもって言えることです。

・36歳で僕はティリーを見つけた。72でまたチャンスが巡ってくるかもしれない、とね。・・・
ティリーへの憧れは、ぼくが生きるための心のパンです。深い苦難は僕にとって勲章のようなもので、より高い存在の近くにいることを感じさせてくれます。僕は聖書を手に取り、ヨブ記を少しよんでいます。・・・悪い胸騒ぎを覚えつつ詩篇のページを繰ります。「主を待ち望め/雄々しくあれ、心を強くせよ/主を待ち望め」
ティリーは僕を待っていてくれませんでした。・・・
強制収容所にいたときは不幸のどん底まで落ちたと思っていたのに、「解放」され「我が家」に帰ってはじめてほんとうのどん底が待っているとは。

・僕がきみの瞳を見られなくなっても
 きみは 見えなくても聞こえなくても そこにいる
 きみは僕のそばにいる もの言わぬ責務!
 だから信じる きみの存在は滅びていない
 だから僕はずっときみのもの
 僕の人生は忠誠の誓い ただそれだけ

・41年も生きてきましたが、誰かが僕についてたった一回だけ説教で取り上げた、その瞬間に本人がふらりと入ってくるなんて!(ヴォティーフ教会、ガルロッホが説教)

・ラビンドラナート・タゴールの詩
 私は寝て夢を見た
 人生は喜びかもしれないと。
 私は目を覚まして気づいた
 人生は義務だったと。
 私は働き、ついに気づいた
 義務は喜びだったのだと。

・ゲーテ
「行うこと、または耐えることによって、価値を高められない状況は存在しない」
可能であるなら自分で運命を変える。しかしそれしか道がないのであれば、運命を潔く引き受ける。そのどちらかなのです。

・ヘルダーリン
「自分の不幸の上に立つと、私の立ち位置は前より高くなる」

・私たちの人生は有限で、私たちの時間は限られ、私たちの可能性は制限去れています。こういう事実があるからこそ、何かを企てたり、ある可能性を生かして実現したり、成就したり、時間を有効に使ったりすることが意味を持ってくるのです。死とは、そうするように導く強制力です。ですから、私たちの存在はまさに責任存在である。ということの背景には、死があるのです。

・苦しみと死は、人間の存在を無意味なものとするのではなく、むしろそれがあるからこそ意味があるのです。この世での私たちの存在が一回きりであること、私たちの生涯は取り返しがつかないこと、人生の時間を満ち足りたものにしようとしまいと、それはすべて取り消しがきかないこと-それが、私たちの存在に重い意味を与えています。しかし、存在に重い意味を与えているのは、個々の人生の一回性だけではありません。毎日、毎時間、舞瞬間の一回性も、私たちの存在に、恐ろしいけれども素晴らしい責任を負わせているのです。

・「あたかも二度目の人生を生きているように生きよ。しかも一度目は、しようとしたことすべてをまちがって行ってしまったかのように」

・ユダヤ教の律法学者ヒレルは、およそ2000年前に次のように述べました。
「もし私がそれをしなければ-他の誰がするだろうか? しかしもし私がそれを自分のためだけにするなら-いつするのだろう?」

・フリードリヒ・ヘッベル
「人生それ自体が何かなのではない-人生は何をする機会なのだ!」

・たとえそこでは他のすべてを奪うことができ、事実、奪っていたとしてもです。自由は被収容者のもとに残りました、

・強制収容所から解放されて、家に帰ってきた人のことを想像してください。彼はあちこちで、肩をすくめる人々に遭遇するかもしれません。それに何よりも、彼は他の人からくりかえし二つの決まり文句を聞かされることになるでしょう。
「私たちは何も知らなかったんですよ」
「「私だって苦しんだんですよ」

・もっとも善い人々は、生還できなかったのです!ですから私たち生存者は、いわれのない恩寵を受けていると強く思わざるをえませんでした。遅ればせながらこの恩寵にふさわしい存在となり、不充分ながらもそれに値する者となることが、死んだ仲間に対する自分たちの責任であるように思えました。そしてこの責任は、他者と私たち一人一人の良心を呼び覚まし、覚醒しつづけることによってしか果たせないと思ったのです。

・残されているのはただ一つ、行動だけです。しかも日常の中での行動です。私自身も、講演でこれまで述べてきたことに基づいて、手本となるような生き方をするように迫られています。

・人間とは、どんな条件にもかかわらず、窮乏と死にもかかわらず、身体的・心理的な病気の苦悩のもかかわらず、たとえ強制収容所の運命の下にあったとしても、人生にイエスということができる存在なのです!

・ニーチェ
「『なぜ』生きるのかを知っている者は、ほとんどすべての『どうやって』と折り合いがつけられる」

・むしろ今重要なのは、悪の連鎖を断ち切ることでしょう。あることに対してそれと同じことで報いると、つまり悪をもって悪に報いるのではなく、今しかないこの一回限りのチャンスを利用するのです。さらに畳みかけるように悪で応え、「目には目を、歯には歯を」という行動をとらないことによって悪に打ち勝つのです。

・たとえば片方の手に潰瘍ができたとして、反対側の手は、潰瘍ができたのは自分の側ではないからと安心しているわけにはいきません。なぜなら病気にかかっているのは、有機体全体だからです。

・人間存在はその都度何かを決定する存在だと考えます。人間存在は責任存在であり、なぜかと言えば人間は本質的自由だからです。

・こうした犠牲者の中で生き残った私たちは、生き残ったことを、満足して受け止めるのではなく、一つの責務と感じています。私たちは、ガス室送りになったり撲殺されたりした仲間や家族に対し、自分たちは現在どのような責任をはたすべきかを自問しなければなりません。

・あらゆる恐怖政治と強制収容所に関する心理学から導き出される最高の知恵は、すべてはその人間にかかっているということになります。

・死を間近にするという極限の体験をした人は、一般的に言って、不安に陥りがちになったり、臆病になったりはせず、むしろ逆に何も恐れないようになるのです。

・ヴォルフガング。シュタウテ監督
映画「殺人者は我々の中にいる」

・人間とは、つねに決定する存在です。

・私は誰かを集団的な罪に問うことは拒否します。・・・。いずれにしても罪というものは、個人の罪でしかありません。つまり、自分自身がした何かに対する罪と、場合によっては、することを怠ったことによる罪です。

・ワシントンアメリカ議会図書館は、この本「夜と霧」をアメリカにおいてもっとも影響があった10冊の本の1冊に選んだ。

感想
ヴィクトール・フランクルが始めたロゴセラピーは生きるためのヒントを与えてくれるように思います。
そして少しでも人生を意味あるものにできるかもしれません。
特に人生から過酷な問いかけがあるとき、ロゴセラピーを知っているとその苦痛にも意味を見出し、人生にイエスと言えるのでしょう。

ロゴセラピーについては下記のサイトをご覧ください。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)