・精神の抵抗力とは、人間の根本能力です。その抵抗能力によって私たち人間は、限界があるとはいえ、きわめてきびしい条件や状況に抵抗することができます。外界の状況がきびしくても、心理的な状況がきびしくても、それに打ち克つ能力が私たち人間にはあるのです。
・最終的には、その人がどんな人間になるかは、素質にも環境でも依存しないからです。そして人間は、精神の抵抗力を行使することによって、条件や状況を克服することができるのです。
・ドイツの精神科医であるヨハネス・ランゲが、ある一卵性双生児の事例について発表したところによると、双子のうちの一人は、抜け目のない犯罪者になりましたが、もう一人は、おなじように抜け目のない刑事になりました。素質はまったくおなじでしたが、決定的だったのは、抜け目なさという遺伝的能力ではなく、その能力をどのような目的のために発揮するか、どんなことをするかということだったのです。
・人間は責任を負うことができる存在だ。人間は、責任をごまかして逃げてはならないのです。そうすることはつまり、自分の人間としての尊厳をそこなうことになるのです。
・フランクルが囚人たちに
「みなさん、あなたがたは人間だ。私とおなじように人間だ。あなたがたは、人間だから、自由だ。人間だから、責任がある。あなたがたには、ばかなこと、ずるいこと、犯罪をしでかす自由があった。だけど、よく考えてください、いまは、自分自身を乗り越えて成長する責任があります。罪を犯した事実を乗り終えて成長する責任があります。
・脳外科医のハーヴェイ・カッシングはかつてこう言いました。
「人生に耐える唯一の方法は、なんらかの課題をいつもかかえておくことだ」
・アルバート・シュヴァイツァーはこう言っています。
「これまでに出会った中でほんとうに幸福な人たちは、なんらかの仕事に没頭している人たちだった」
・精神の抵抗力をもつためには、世界と自分自身とから距離を置くことができなければなりません。さらに、そのような自己距離化を行うことができるためには、世界と自分自身を客観化しなければなりません。
・キェルケゴール
「幸福の扉は、外に向かって開く」
・旧約聖書に賢者ヒレルの格言が記されています。
「もし私がそれをしなければ、だれがするのだろうか。しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら、私はなんであろうか。そして、もし私がいましなければ、いつするのだろうか」
・母がガス室で窒息死するのに13分もかかったことを聞いていたのです。
・「みなさん、ロゴセラピーは、まだけっして完成されてはいません。私が試みたのは礎石を敷くことです。みなさんがロゴセラピーという建物をはじめて建設するのです」
・一冊の本が出ました。「ロゴセラピーの現状」という題の本です。30名の執筆者がその中で自分の主張を述べています。・・・その本の前書きで私ははっきりとこう言っておきました。それぞれの執筆者が別々のことを、ある意味では私が賛成しかねるようなことも言っているが、かれらには、その権利があり、完全な自由がある、ロゴセラピーには正当というものはないのだから、と。
・フロイトの弟子ヴィルヘルム・シュテーケルが言った言葉を引用したのです。つまり、巨人の肩の上に立っている小人は、いつでも巨人より少し先を見通すことができる、ということです。
・ロゴセラピーは、あくまでもセラピーであり、しかも精神療法であるということです。つまりそれは、精神医学上の治療法なのです。
・ロゴセラピーとは、厳密な意味での「分析」です。もちろん、その分析というのは、精神分析という狭い意味での分析ではありませんが。・・・自分が持っている課題があること、自分が、もしかすると自分だけが、実現することができる課題があることに気づくのです。こうして、責任存在が意識化されます。責任存在こそ人間存在の本質なのです。そのとき、カール・ビューラーが言う」ああそだったか体験」がなされます。患者は一挙に合点がいきます。「そうだ、なにかしなければならない。この状況に田だが万している必要はない。私はこの状況を変えなければならない。世界を変えなければならない」
・触媒的作用を受けるとき、患者は自発的に反応します。ロゴセラピーでは、医師は患者の視野が広がるように手助けできるだけです。
・ファウストは、「はじめにことばありき」という聖書の一文を「はじめに意味ありき」という文に変えてみてから「はじめに行為ありき」という文にゆきついたわけです。
フランクル「はじめに意味ありき、そして見よ、意味は行為であった」と言えるでしょう。ことばによってではなく、行為によって、しかも責任ある行為によって、私たちは人生に答えるのです。
・ほかの人々は、どの方向に行くのか。そうすることによって私たちは、だいたいのところ自分が正しい進行方向にいるのか、正しい航路にいるのかを測ることができます。そして、私たちの場合、それは意味への航路なのです。
・ロゴセラピーは万能薬ではないからである。
あらゆる方法があらゆる症例に対しておなじように効果的であることはありえないし、また、あらゆる臨床医があらゆる方法を使っておなじ効果をあげることもありえない。
・ポール・E・ジョンソンは、かつて大胆にも次のように主張した。
「ロゴセラピーは、他の治療法に対する対応治療法ではない。むしろ、ロゴセラピーに含まれる積極的特徴からいって、他の治療法に対する挑戦であると言ってよい」
・ジョンソンが言う積極的特徴がなにであるかは、N・ペトリロヴィッチが述べていることから明らかである。かれは、ロゴセラピーはあらゆる他の精神療法とは異なり、神経症の次元にとどまらず、その次元を超えて人間固有の現象の次元に進んでいく、と述べている。
・人間固有の現象を治療手段として用いることができる。その現象とは、他でもない、人間存在の二つの基礎的人間学的特徴、つまり、その一つは、人間存在の自己超越であり、もう一つは、やはり人間存在に固有の、自己距離化の能力である。
・ドイツ連邦共和国では「医師の治療を受けた薬物依存青少年のうち治る見込みがあるのは10%以下である」。アメリカでも、平均11%である。それに対して、アルヴィン・R・フレーザーは、自ら所長を務めるカリフォルニア麻薬中毒リハビリテーション・センターで、ロゴせたぴーを用いて、40%を治癒させている。
・アルコール依存症についてもおなじである。慢性アルコール依存症の重度の章令では90%が底知れない無意味感に悩んでいることが確認された。・・・「ロゴセラピーだけが、統計的に意味のある進歩を示した」。
・ルイス・S・バーバーは、自ら所長をしている犯罪者校正センターで、6か月のうちに、テストに基づいて確認される意味実現体験のレベルを、86.13から、103.46にまであげることに成功した。かれあh、更生センターを「ロゴセラピー的環境」に作り上げたのである。しかも、合衆国の平均累犯率が40%にのぼるのに対して、バーバーは、累犯率を17%にすることができた。
・どもりの症例に対する逆説志向の適用を論じた文献は数多い。
・ロゴセラピーでは、過剰反省の治療には、脱反省の方法が用いられる。
・ロゴセラピーには、5つの適用領域があると言えよう。
1) 精神因性の神経症の症例に適用される。精神因性の神経症は、まさに精神因性のものであるから、なによりも意味の喪失によって生じたものである。
2) 心因性神経症の症例では、脱反省と逆説志向の形で用いられる。
3) たんに身体因性の病気一般を対象とするだけではなく、とりわけ、不治の身体因性の病気を対象とするからである。つまり不治の病気の場合は、その苦悩の中にあっても、つまり最後まで、患者が意味を発見できるようにすることだけが重要である。その意味発見は、態度価値を実現するという形で可能になる。
4) 無意味感や空虚感や実存的空虚などの社会因性の現象と対決するのである。
5) 医師として病人を治療するのではなく、苦悩している人々を人間として助けることが託されている。
・ジークムント・フロイトはかつてこう書いている。
「私が述べたことはすべて、補足され、増築され、さらに訂正されるのを待っている」
とはいえ、精神分析は、将来の精神療法にとって依然として基礎であり続けるであろう。
感想;
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-
ロゴセラピーは自分の人生を考えるときに多くのヒントを与えてくれます。
そして、自分の人生をより意味あるものを選択していくことができるようにしてくれるように思います。
苦悩にも意味がある。
何のために生きているのか。
意味がないと思うと人は生きるのがとても辛くなります。
「人生から私に意味を問いかけてくる。それにどう応えるか」
「あたかも二度目の人生を生きるように生きる」
・最終的には、その人がどんな人間になるかは、素質にも環境でも依存しないからです。そして人間は、精神の抵抗力を行使することによって、条件や状況を克服することができるのです。
・ドイツの精神科医であるヨハネス・ランゲが、ある一卵性双生児の事例について発表したところによると、双子のうちの一人は、抜け目のない犯罪者になりましたが、もう一人は、おなじように抜け目のない刑事になりました。素質はまったくおなじでしたが、決定的だったのは、抜け目なさという遺伝的能力ではなく、その能力をどのような目的のために発揮するか、どんなことをするかということだったのです。
・人間は責任を負うことができる存在だ。人間は、責任をごまかして逃げてはならないのです。そうすることはつまり、自分の人間としての尊厳をそこなうことになるのです。
・フランクルが囚人たちに
「みなさん、あなたがたは人間だ。私とおなじように人間だ。あなたがたは、人間だから、自由だ。人間だから、責任がある。あなたがたには、ばかなこと、ずるいこと、犯罪をしでかす自由があった。だけど、よく考えてください、いまは、自分自身を乗り越えて成長する責任があります。罪を犯した事実を乗り終えて成長する責任があります。
・脳外科医のハーヴェイ・カッシングはかつてこう言いました。
「人生に耐える唯一の方法は、なんらかの課題をいつもかかえておくことだ」
・アルバート・シュヴァイツァーはこう言っています。
「これまでに出会った中でほんとうに幸福な人たちは、なんらかの仕事に没頭している人たちだった」
・精神の抵抗力をもつためには、世界と自分自身とから距離を置くことができなければなりません。さらに、そのような自己距離化を行うことができるためには、世界と自分自身を客観化しなければなりません。
・キェルケゴール
「幸福の扉は、外に向かって開く」
・旧約聖書に賢者ヒレルの格言が記されています。
「もし私がそれをしなければ、だれがするのだろうか。しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら、私はなんであろうか。そして、もし私がいましなければ、いつするのだろうか」
・母がガス室で窒息死するのに13分もかかったことを聞いていたのです。
・「みなさん、ロゴセラピーは、まだけっして完成されてはいません。私が試みたのは礎石を敷くことです。みなさんがロゴセラピーという建物をはじめて建設するのです」
・一冊の本が出ました。「ロゴセラピーの現状」という題の本です。30名の執筆者がその中で自分の主張を述べています。・・・その本の前書きで私ははっきりとこう言っておきました。それぞれの執筆者が別々のことを、ある意味では私が賛成しかねるようなことも言っているが、かれらには、その権利があり、完全な自由がある、ロゴセラピーには正当というものはないのだから、と。
・フロイトの弟子ヴィルヘルム・シュテーケルが言った言葉を引用したのです。つまり、巨人の肩の上に立っている小人は、いつでも巨人より少し先を見通すことができる、ということです。
・ロゴセラピーは、あくまでもセラピーであり、しかも精神療法であるということです。つまりそれは、精神医学上の治療法なのです。
・ロゴセラピーとは、厳密な意味での「分析」です。もちろん、その分析というのは、精神分析という狭い意味での分析ではありませんが。・・・自分が持っている課題があること、自分が、もしかすると自分だけが、実現することができる課題があることに気づくのです。こうして、責任存在が意識化されます。責任存在こそ人間存在の本質なのです。そのとき、カール・ビューラーが言う」ああそだったか体験」がなされます。患者は一挙に合点がいきます。「そうだ、なにかしなければならない。この状況に田だが万している必要はない。私はこの状況を変えなければならない。世界を変えなければならない」
・触媒的作用を受けるとき、患者は自発的に反応します。ロゴセラピーでは、医師は患者の視野が広がるように手助けできるだけです。
・ファウストは、「はじめにことばありき」という聖書の一文を「はじめに意味ありき」という文に変えてみてから「はじめに行為ありき」という文にゆきついたわけです。
フランクル「はじめに意味ありき、そして見よ、意味は行為であった」と言えるでしょう。ことばによってではなく、行為によって、しかも責任ある行為によって、私たちは人生に答えるのです。
・ほかの人々は、どの方向に行くのか。そうすることによって私たちは、だいたいのところ自分が正しい進行方向にいるのか、正しい航路にいるのかを測ることができます。そして、私たちの場合、それは意味への航路なのです。
・ロゴセラピーは万能薬ではないからである。
あらゆる方法があらゆる症例に対しておなじように効果的であることはありえないし、また、あらゆる臨床医があらゆる方法を使っておなじ効果をあげることもありえない。
・ポール・E・ジョンソンは、かつて大胆にも次のように主張した。
「ロゴセラピーは、他の治療法に対する対応治療法ではない。むしろ、ロゴセラピーに含まれる積極的特徴からいって、他の治療法に対する挑戦であると言ってよい」
・ジョンソンが言う積極的特徴がなにであるかは、N・ペトリロヴィッチが述べていることから明らかである。かれは、ロゴセラピーはあらゆる他の精神療法とは異なり、神経症の次元にとどまらず、その次元を超えて人間固有の現象の次元に進んでいく、と述べている。
・人間固有の現象を治療手段として用いることができる。その現象とは、他でもない、人間存在の二つの基礎的人間学的特徴、つまり、その一つは、人間存在の自己超越であり、もう一つは、やはり人間存在に固有の、自己距離化の能力である。
・ドイツ連邦共和国では「医師の治療を受けた薬物依存青少年のうち治る見込みがあるのは10%以下である」。アメリカでも、平均11%である。それに対して、アルヴィン・R・フレーザーは、自ら所長を務めるカリフォルニア麻薬中毒リハビリテーション・センターで、ロゴせたぴーを用いて、40%を治癒させている。
・アルコール依存症についてもおなじである。慢性アルコール依存症の重度の章令では90%が底知れない無意味感に悩んでいることが確認された。・・・「ロゴセラピーだけが、統計的に意味のある進歩を示した」。
・ルイス・S・バーバーは、自ら所長をしている犯罪者校正センターで、6か月のうちに、テストに基づいて確認される意味実現体験のレベルを、86.13から、103.46にまであげることに成功した。かれあh、更生センターを「ロゴセラピー的環境」に作り上げたのである。しかも、合衆国の平均累犯率が40%にのぼるのに対して、バーバーは、累犯率を17%にすることができた。
・どもりの症例に対する逆説志向の適用を論じた文献は数多い。
・ロゴセラピーでは、過剰反省の治療には、脱反省の方法が用いられる。
・ロゴセラピーには、5つの適用領域があると言えよう。
1) 精神因性の神経症の症例に適用される。精神因性の神経症は、まさに精神因性のものであるから、なによりも意味の喪失によって生じたものである。
2) 心因性神経症の症例では、脱反省と逆説志向の形で用いられる。
3) たんに身体因性の病気一般を対象とするだけではなく、とりわけ、不治の身体因性の病気を対象とするからである。つまり不治の病気の場合は、その苦悩の中にあっても、つまり最後まで、患者が意味を発見できるようにすることだけが重要である。その意味発見は、態度価値を実現するという形で可能になる。
4) 無意味感や空虚感や実存的空虚などの社会因性の現象と対決するのである。
5) 医師として病人を治療するのではなく、苦悩している人々を人間として助けることが託されている。
・ジークムント・フロイトはかつてこう書いている。
「私が述べたことはすべて、補足され、増築され、さらに訂正されるのを待っている」
とはいえ、精神分析は、将来の精神療法にとって依然として基礎であり続けるであろう。
感想;
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-
ロゴセラピーは自分の人生を考えるときに多くのヒントを与えてくれます。
そして、自分の人生をより意味あるものを選択していくことができるようにしてくれるように思います。
苦悩にも意味がある。
何のために生きているのか。
意味がないと思うと人は生きるのがとても辛くなります。
「人生から私に意味を問いかけてくる。それにどう応えるか」
「あたかも二度目の人生を生きるように生きる」