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コロナ病床30~50%に空き、尾身茂氏が理事長の公的病院 132億円の補助金「ぼったくり」 ”ようやく大手マスコミが批判!”

2021-09-01 15:32:08 | 新型コロナウイルス
https://news.yahoo.co.jp/articles/b7d53a203635ef158d9d8c027941d174efa28d19 9/1(水) 10:00AERA dot.

 政府分科会の尾身茂会長が理事長を務める地域医療機能推進機構(JCHO)傘下の東京都内の5つの公的病院で、183床ある新型コロナウイルス患者用の病床が30~50%も使われていないことが、AERAdot.編集部の調査でわかった。全国で自宅療養者が11万人以上とあふれ、医療がひっ迫する中で、コロナ患者の受け入れに消極的なJCHOの姿勢に対し、医師などからは批判の声があがっている。

 編集部が厚労省関係者から入手した情報によると、JCHO傘下にある都内5病院のコロナ専用病床183床のうち、30%(8月29日現在)が空床であることがわかった。

 5病院のうち最もコロナ患者の受け入れに消極的だったのは、東京蒲田医療センターだ。コロナ専用病床78床のうち42床が空床で、半数以上を占めた。その他には、東京山手メディカルセンターは37床のうち35%(13床)が空床となっている。東京高輪病院は18床のうち10%強(2床)が空床だった。東京新宿メディカルセンターはコロナ専用病床50床が満床だった。東京城東病院はこれまでコロナ専用の病床はゼロだ。

 都の集計によると現在、自宅療養者は2万人以上、入院治療調整中の患者は約6800人に上る。厚労省関係者はこう批判する。

「尾身氏は国会やメディアで『もう少し強い対策を打たないと、病床のひっ迫が大変なことになる』などと声高に主張していますが、自分のJCHO傘下の病院でコロナ専用ベッドを用意しておきながら、実は患者をあまり受け入れていない。こんなに重症患者、自宅療養者があふれているのに尾身氏の言動不一致が理解ができません。JCHOの姿勢が最近になって問題化し、城東病院を9月末には専門病院にすると重い腰を上げましたが、対応は遅すぎます。そもそもコロナ病床の確保で多額の補助金をもらっていながら、受け入れに消極的な姿勢は批判されてもしかるべきではないか」

 厚労省はコロナの患者の受け入れ体制を整えるため、コロナ専用の病床を確保した病院に対して、多額の補助金を出している。

 例えば、「病床確保支援事業」では新型コロナ専用のベッド1床につき1日7万1千円の補助金が出る。ベッドは使われなくても補助金が出るため、東京蒲田医療センターでは使われていない約40床に対して、単純計算で、1日284万円、1か月で約8500万円が支払われることになる。

その上、新たに重症患者向けの病床を確保した病院に1床あたり1950万円、中等症以下の病床には900万円を補助するなどの制度もある。JCHOが公表したデータによると、全国に57病院あり、稼働病床は約1万4千床。そのうち、6・1%にあたる870床をコロナ専用の病床にしたという。これまでいくらの補助金をもらってきたのかJCHOに尋ねると「すぐには回答ができない」(担当者)という。

 しかし、厚労省関係者から入手した情報によると、2020年12月から3月だけでもJCHO全57病院で132億円の新型コロナ関連の補助金が支払われたという。

「コロナ病床を空けたままでも補助金だけ連日、チャリチャリと入ってくることになる。まさに濡れ手で粟で、コロナ予算を食い物にしている。受け入れが難しいのであれば、補助金を返還すべきです」(厚労省関係者)

 JCHOは厚生労働省が所管する独立行政法人で、民間の病院とは異なり、公的な医療機関という位置づけだ。JCHO傘下の病院はもともと社会保険庁の病院だったが、公衆衛生の危機に対応するため、民営化はせずに独法として残った経緯がある。尾身氏は厚労省OBでJCHO理事長に14年より就任している。
 
 医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は「JCHOの存在意義が問われる」と指摘する。

「世界では国公立などの病院が先ずは積極的にコロナ患者を受け入れている。日本でも当然、国公立やJCHOなどの公的医療機関が受け入れるべきでしょう。そもそもコロナ患者を受け入れる病床数も少ないですし、このような危機的な状況で患者受け入れに消極的というのであれば、補助金を受け取る資格はないし、民営化したほうがいいのではないでしょうか」(上氏)

 JCHOの見解はどうか。AERAdot.編集部が、JCHOにコロナ患者の受け入れの実態を質すと、8月27日現在の数字として、5病院全体では確保病床の30%が空床であり、東京蒲田医療センターでは約50%が空床であることを認めた。

 尾身氏のコメント全文は後述するが、コロナ患者の受け入れに消極的なことについて、東京蒲田医療センターの石井耕司院長は書面で以下のように回答した。

「JCHOは、国からの要請に基づきJCHO以外の医療逼迫地域(北海道・沖縄等)の病院へ、全国のJCHO病院から看護師の派遣を行ってきました。しかし、全国的な感染拡大に伴い、各地域においても看護師のニーズが高まってきた結果、全国のJCHO病院から当院への派遣が困難となってきました。(中略)今回、国や都からの受け入れ増加の要請に応えるため、8月16日から看護師を追加で確保し、受け入れ増加に向けて取り組んでいます」

 補助金を返還するつもりはあるのか。尾身氏、東京蒲田医療センターの石井院長ともに「JCHO全体の取り組みについて、国や自治体からの要請に応じてきたものであり、東京都の令和3年度新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(医療分)実施要綱に基づき申請を行ったものであります」と回答するにとどめた。返還するつもりはなさそうだ。

「蒲田医療センターに関しては、8月初旬ではコロナ患者の受入は20数人で搬送要請を一貫して避け続けていた。恒常的に人手が足りずに対応できないのなら、補助金だけ受け入れ続けるのは、あきらかなぼったくりだと思います」(前出の厚労省関係者)

 人手不足については、「非常勤の医師や看護師を本気で集めれば、対応できる」(上氏)などと疑問の声があがる。

 この危機的状況においてどこまで本気で取り組むか。理事長たる尾身氏の手腕が問われている。

(AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
*  *  *
尾身茂氏からの回答全文は以下の通り

 私共、JCHOは、これまでに国からの増床の要請について、全国のJCHO病院、特にJCHO都内5病院と連携・役割分担しながら対応してきました。この結果、都内JCHOの5病院では全病床の13%程度にあたる189床のコロナ病床を確保しました。

 昨日、東京蒲田医療センターの石井院長が回答したとおり、東京蒲田医療センターにおいては、新型コロナウイルスの発生初期より、国からの要請に積極的に応えてきました。

 例えば、クルーズ船患者の受け入れの際に1病棟(29床)を確保、さらに、令和3年2月には、もう1病棟(49床)の患者さんの転院等を行い、コロナ専用病棟に転換しました。その際、新たに生じる看護師不足については、全国のJCHO病院からの派遣によって確保してきました。

 また、JCHOは、国からの要請に基づきJCHO以外の医療逼迫地域(北海道・沖縄等)の病院へ、全国のJCHO病院から看護師の派遣を行ってきました。しかし、全国的な感染拡大に伴い、各地域においても看護師のニーズが高まってきた結果、全国のJCHO病院から東京蒲田医療センターへの派遣が困難となってきました。

 このため8月27日(金)時点では、東京蒲田医療センターでは5割程度の受入れとなっておりますが、JCHOの都内のその他の病院では確保病床の9割程度を受け入れており、全体では確保病床の7割程度の受け入れとなっております。

 東京蒲田医療センターでは、国や都からの受け入れ増加の要請に応えるため、8月16日から看護師を追加で確保し、受け入れ増加に向けて取り組んでいます。

 なお、JCHO全体の取り組みについて、国や自治体からの要請に応じてきたものであり、東京都の令和3年度新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(医療分)実施要綱に基づき申請を行ったものであります。

感想
「褌を締めなおして・・・」
自分の褌を締めなおして、コロナ感染者を受け入れて欲しいものです。

言うだけで、行動が伴っていません。

菅首相も身内に対しては言えないのでしょうか?
「もっところな感染者をうけいれなさい!」と

これまでネットでは批判されていましたが、ようやく大手マスコミが取り上げました。

自宅療養の父死亡…安否確認は2週間なし 娘が訪問して見た光景…父は心肺停止、母は重症化 "医療&保健所崩壊の埼玉、自分の家族でも「残念」で済ませるの?”

2021-09-01 14:54:54 | 新型コロナウイルス
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8b1ab0ec510a02f71980ec61f2c740f00456dd6 9/1(水) 8:24 埼玉新聞

 埼玉県さいたま市は31日、新型コロナウイルスに感染して自宅療養中に死亡した60代男性について、健康観察の電話に応答しない状態で、「県宿泊・自宅療養者支援センター」が2週間にわたり安否確認をしていなかったと明らかにした。同センターは同時期に業務が逼迫(ひっぱく)しており、市保健所への連絡はなかったという。

 市保健所によると、男性は8月11日に陽性と判明。保健所職員が12日午後、13日午前に電話をして、発熱などの症状を聴き取り、軽症と判断して13日午後、同センターに引き継いだ。男性には糖尿病の基礎疾患があったという。

 男性は13日午後~18日まで自動架電装置による1日4回の連絡に応答はなく、センターの看護師が19、21、24日に直接電話したが応答はなかった。市への報告がない理由について、市はセンターから聴き取りができていないという。

 同居の妻も陽性で自宅療養し、23日からセンターが健康観察を担当。看護師が24日に電話で話し、自動架電装置に27日まで記録が残っていた。妻は体調悪化で、男性の異変に気付かなかったとみられる。

 別居の娘が連絡が取れないとして、27日に男性方を訪れて119番。救急隊員が駆け付けたときには心肺停止状態で、県警は25日に死亡したとみている。妻は重症化しており、搬送されて入院した。

 市保健所の西田道弘所長は「通常であれば電話に出なければ訪問して安否確認する。8月中旬以降、保健所もセンターも業務が逼迫し、十分な対応ができなくて結果的に亡くなられたことは残念に思う」と述べた。

感想
さいたま市の保健所長は過去にもいろいろやるべきことをしてませんでした。
対応できなかったら、上司に状況を説明してなんとかするのが所長の責務でしょう。

もし、自分の親でも「残念に思う」で片付けられるのでしょうか?
自分の担っている業務の意味を考えていただきたいです。

日本は先進国と思っていました。
コロナでは後進国になっています。
さいたま市は税金も高いです。
その税金、何に使っているのでしょう?

「日本が生んだ偉大なる経営イノベーター小林一三」鹿島茂著 ”百歩先を読んで行動する!”

2021-09-01 01:01:44 | 本の紹介
・小林一三の企業家としてのスタートが1907年の箕面有馬電気軌道の設立と専務取締役だとすると、それは日本の人口状態が、死亡率が順調に低下していったのに対し、出生率は高止まりして自然増加率が最大になった第二期に相当していたということである。つまり、小林一三は、日露戦争後の若年人口がどんどん増加していく最も良い時期に箕面有馬電気軌道を始めたということなのだ。

・小林がこの鉄道が有望だと見抜いたのは、不動産の格安さであった。箕面有馬電気軌道を計画してから分譲地開発を思いついたのではなく、分譲地となるべき土地の安さと優良さに気づいていたがために箕面有馬電気軌道は行けると判断したのだ。まさに人口学的な発想というほかない。

・どんな経験であっても、まったく無駄というものはないのだ。計数の得意な創造的起業家という小林の特質は、三井銀行時代の下積みがなければ養われることはなかったのである。

・「少年音楽隊」をそのまま導入したのでは三越の模倣となってしまうから、少女唱歌隊→少女歌劇団としたというもので、これには十分正当性がある。

・「歌劇団」へのこだわり
1)「歌劇団」と銘打ったのは実に宝塚少女歌劇団が最初であったからである。
2)この歌劇団が演目のために臨時に編成された団体ではなく、その団員をゼロから育てる学校でもあったこと。

・北浜銀行は箕面有馬電気軌道乗っ取りの好機到来と見たのか、北浜銀行の持ち株をすぐに引き取れと言ってきた。小林に持ち株を引き受けるだけの資金がないと見越しての挑戦である。小林は断固、これを受けて立つことにした、乾坤一擲の大勝負である。
こうして小林は、図らずも箕面有馬電気軌道の大株主となり、「実質的社長」から「本当の社長」へと一歩近づいたのである。

・事業は無理してはいけない。病人に無理が禁物なやうに、事業も無理をしたら必ず失敗する。

・要するに阪神の方で、ひとを見くびってゐたことが、今日落伍することになった理由だ。あの場合先方に目のある人間がゐたら、現在のやうなことにはなってゐなかったらう。

・利益はお客に返しなさい
うなぎ屋の主人から渡された決算報告書を見た小林は、「相当に儲かっている。この上儲ける必要はない、これから、儲けをお客に返しなさい」といい、女中へのチップを廃止するように提言し、主人がチップは女中の給料になっていると反論すると、こう述べたというのである。
「女中の給料は、店費から出せばいいじゃないか。それがすなわち、利益をお客に返すのだ。お客に利益を返せば、お客はまた利益を持って来る。チップを廃せば、よい店だとなって、お客が多く来る。その利益は、チップ廃止の損失に勝る」

・「阪急百貨店店員心得書」
1) 吾々の受くる幸福はお客様の賜なり
2) 職務に注意しお客様を大切にすべし
3) その日に為すべき仕事は翌日に延ばすべからず
4) 不平と怠慢は健康を害す。職務を愉快に努めよ。
5) 会社の盛衰は吾々の双肩にあり、極力奮闘せよ。

・五島慶太は一から十まで小林が阪急で成功したことを東京で試みて成功を収めたのである。
数々の乗っ取り劇で「強盗慶太」と呼ばれるようになる傲岸不遜な五島慶太さえ、小林に対しては終生、頭が上がらず、「今日の私があるのは小林先生のおかげ」と語っていたと伝えかれる。

・「君、えらい人ってのは、つまり世の中に対して貸勘定の多い人ってこどだね」

・「リラの花咲く頃」には恋人たちは、森へ野へと出かけて行って、春の悩ましい思いのために
気違いのようになる、それが春だ、という意味の歌で、私はパリで流行っていたこの歌の、リラの花をすみれの花に書変えた。すみれの花もリラの花と一緒にパリの花の一つで、パリではすみれを小さなブーケにして、花屋の店や街角で冬でも売っている。
リラの花には、恋人たちを狂わしき気持ちに駆り立てて森や野へ出掛けさせてしまうような性的な魔力があるのだが、白井鐵造はこれは「清く、正しく、美しく」の宝塚にはふさわしくないと不意識のうちに判断して、そのような性的な蠱惑作用のない「すみれ」に代え、「恋に恋する乙女」の花園たる宝塚にふさわしい「すみれの花咲く頃」を創りだしたのである。

・演劇と映画の二本立てで拡大路線へ
演劇革命のために創立された株式会社東京宝塚劇場は1933年4月に至って、日比谷映画劇場の建設がきまったことにより、急遽、演劇と映画を二本柱とした興行会社へと大きく舵を切ることになる。

・小林が仕掛けた「興行の近代化」というイデオロギー戦争が業界そのものを変革させる原因となったのである。この意味で、小林一三の功績は興行の世界においてもまことに偉人であると言わざるをえない。

・千里先の見える人は、世の中から気狂い扱いにされる。現状に踏み止まるものは、落伍者となる。百歩先を見て、事を行うものが世の成功者である。

・関西の私鉄の中で、阪急沿線には大学や高校が多いという事実が浮かび上がってくるのである。
阪急は乗客増加策のひとつとして学校の誘致をはかった。

・誰の眼にも明らかな形で、「軍部に反対し、官僚に反対し、統制に反対し」た人間は、小林を除くと一人もいなかったのだから。(商工大臣になって)

・小林が手塩にかけて育てた企業や団体は、東宝を除くと戦時下の統制によって解体されたり活動停止に追い込まれたりした。

・昭和20年11月5日から翌年の3月に公職追放令を受けて辞任するまで、小林は5か月間、国務大臣兼戦災復興院総裁として難局に当たることになるのである。

感想
一介の会社員がどうして阪急電車のオーナー社長になったのかと思いましたがよくわかりました。
約500頁の大作です。

小林一三氏は大臣に戦前戦後に計2回されていたのを初めて知りました。

阪急沿線にはたくさんの高校、大学があります。
私が通っていた大学も阪急沿線沿いでした。