幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「安倍元首相の死は自業自得だ」と言う安倍批判派の人たちに伝えたい「安倍晋三・昭恵夫妻」の知られざる姿 ”自業自得でなく、社会不安の結果”

2022-07-16 12:40:00 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/86d66705f90a9a5a52a09e7cd1d4fb9c17e485f1 7/12(火) 15:16 プレジデントオンライン
2019年4月13日、東京都内の新宿御苑で開かれた「桜を見る会」での安倍晋三首相(左・当時)と昭恵夫人。この会には約1万8000人のゲストが招待された。 - 写真=EPA/時事通信フォト

安倍晋三元首相は生前、さまざまな批判にさらされた。本当はどんな人物だったのか。安倍晋三氏、安倍昭恵氏の取材を重ねてきたライターの梶原麻衣子さんは「安倍元総理は、夫婦関係や人付き合いについては極めてフラットで、むしろリベラルだった」という――。

■「晋ちゃん、晋ちゃん」と声をかけた

 「行く先々で、初めてお会いした方々が『応援しています』『昭恵さん、頑張って』と声をかけてくださる。そのたびに、『夫は本当に多くの方に支えていただいていたんだな』と思うんです。私も、たくさんのご縁に感謝しながら日々を過ごしています」

 こんな一言からも、安倍昭恵さんの夫・安倍晋三元総理に対する思いや姿勢が伝わってくる。声を掛けられているのは昭恵さん自身だが、それは「夫への応援」なのだ、ととらえているのだ。

 それだけに、安倍元総理が銃撃されたと聞いた際、真っ先に思い浮かんだのは昭恵さんのことだった。しばらくして、搬送先の病院に向かう昭恵さんの気丈な姿がテレビに映った。昭恵さんが病院に到着して間もなく、安倍元総理の死亡が確認されたと報じられている。

 医療関係者のコメントを見るに、家族が到着するのを待って、「蘇生処置を止める」ことを確認した、ということなのだろう。報道によれば、昭恵さんは安倍元総理に「晋ちゃん、晋ちゃん」と声をかけたというが、返事はないままだった。昭恵さんの心中はいかばかりだったか、想像を絶する。

■晋三さんとよく訪れた富士山の別荘

 冒頭の昭恵さんの言葉は、雑誌『プレジデント』誌2021年1月1日号に掲載された〈日本再発見!  安倍昭恵さんと神々の旅 富士山信仰編〉と題する記事からの引用だ。筆者はこの取材に同行し、昭恵さんと早朝から夜までご一緒し、富士山周辺の聖地を巡礼した。

 取材は2020年11月下旬に行われた。安倍総理が退陣を表明した2カ月後のことで、コロナ流行の波と波の間の、つかの間の収束期のことだった。「コロナの終息を祈る」という意味もあり、冨士講と言われる富士山信仰の拠点や、普段は立ち入りが禁じられている「人穴」という噴火でできた溶岩洞穴などを巡った。

 「人穴」は、戦国乱世以来、多くの人たちがこの地で修業をし、祈りをささげてきた場所だ。昭恵さんも、足場の悪い洞穴の中を進み、神妙な面持ちで祈りをささげていたのが印象的だった。最後に取材の感想を聞くと、「心が祓われる、洗われる気持ちになりました。この感覚はうまく言葉にできません」と、晴れやかな表情で語っていた。

 富士のある山梨県は都内の自宅、夫の選挙区である山口に続く「サードプレイス」だという。夫ともよく訪れた別荘があり、「総理夫人・政治家の妻」としての役割から、ほんのひと時、離れられる場所だったという。仕事の場でもいつも自然体でいる昭恵さんだが、それでもリフレッシュの場は必要だ。

感想
この記事を読んで頭に浮かんだのは、ナチス時代のヨーゼフ・メンゲレ医師です。
アウシュヴィッツ強制収容所でユダヤ人捕虜をガス室に送り込む判断をした医師です。
もちろん、そんな非道な医師と比較すること自体問題で比較できません。

メンゲレ医師は、子どもたちをガス室に送り込みました。
また人体実験もしました。

メンゲル医師は家庭に戻ると良き父、良き夫でした。
しかし、行ったことは、命令に従い子どもたちを含む多くのユダヤ人をガス室に送り込みました。

安倍元首相は、お友だち、後援会、支援してくれる人にはとても至れり尽くせりだったのでしょう。
しかし、票にも献金にも結び付かない人への支援は後回しだったように感じます。
いろいろな疑惑、国会で100以上の虚偽、そのための公文書偽造・・・。
それと家族思い、フランクな知人との交際・・・。

比較対象ではないのは分かっていますが、家族思いのメンゲレ医師の、ナチスの命令に従い多くの人の命の絶った姿が浮かんできました。
メンゲレ医師は人としての視点が欠けていたのです。
いくら命令でもやってはいけないことは、やってはいけないのです。
メンゲレ医師は逃亡先のサンパウロの海で心臓発作で亡くなっています。
ナチスの戦争責任者追及がきちんと行われたのです。
それにしても、日本人は亡くなると、疑惑も水に流してしまうようです。

安倍元首相への追悼と、その仕事への評価は別だ…死を美化してはならない(三枝成彰) ”岸田首相は過去の疑惑をきちんと検証していただきたい”

2022-07-16 11:52:52 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/cec565223c47ca9dbc1f28f95329b18805d977b3 7/16(土) 7:26日刊ゲンダイDIGITAL
 安倍元総理には謹んで哀悼の意を表します。

 その上で申し上げたいことがある。彼個人への追悼と政治家としての評価をいっしょくたにした“悲劇の英雄”としての美化が始まった。「モリカケサクラ問題」も解決していないのに忘れられたかのようだ。これはおかしい。

自民・世耕弘成氏が統一教会の関連団体に所属していた? 青学大教授と提訴合戦に

 森友学園問題では、昭恵夫人が名誉校長の小学校建設に伴い国有地が鑑定額より8億円も安く売られ“忖度”が取り沙汰された。また国会に提出する文書の改ざんを強要された近畿財務局職員が命を絶っている。

 加計学園問題では獣医学部新設の認可に際し「総理のご意向」うんぬんという文書があったとされる。経営者と安倍さんが友人で、優遇が疑われた。獣医学部が日本にわずかしかない理由は、細菌兵器の研究を始める恐れがあるからだという説がある。国が表立ってできないことを、安倍さんは秘密裏に進めようとしたのではないか。

 国会での「桜を見る会」の質疑で、安倍さんは118回もの虚偽答弁をしたが不起訴となり、捜査は終結した。

 いずれも安倍さんが亡くなり、真相の追及は難しくなった。

 彼は政治家としては何も残さなかったと思う。ただ世界にいい顔をし、カネをばらまいただけだ。アベノミクスも何の効果もなかった。

 日本には過ちを犯した人が亡くなればすべて「水に流して」なかったことにする“美徳”があるが、それは世界に通用しない。ドイツではナチスの罪に対する猛烈な反省があり、今でもそれを忘れない。

 一方の日本は、いまだに110万柱の兵士の遺骨収集をせずにいることからもわかるように、戦争の反省をきちんとしたとは言いがたい状況にある。

 参院選で自民党が過半数を得て、憲法改正と「防衛費をGDPの2%に」との安倍さんの“遺言”も実現しつつある。小国ならともかく1億2500万人の日本の2%は大きい。1%でも約7兆円弱の世界9位。2倍の14兆円なら米の102兆円、中国の37兆円に次ぐ世界3位の軍事大国となる。

 政府は中国を仮想敵国と考えているのか? 人口が10倍の大国に勝てるはずがない。かつて「鬼畜米英」を掲げて無謀な戦争に突入した事実を忘れたのか? その忘れっぽさは“美徳”ではなく、ただの恥さらしだ。

 私は自衛隊を否定はしないし、敬意を持っている。人気の自衛官のドラマ「テッパチ!」も着眼点はよい。しかし、一途に仕事に取り組む若者を描くことが国のために死ぬことへの美化につながってはいけない。

 国に命を捧げるほど愚かなことはない。ウクライナもゼレンスキー大統領が戦争をやめればこれ以上の死者は出ないはずだ。領土の一部をロシアに渡したとしても、国民の命を優先すべきだ。

 太平洋戦争でも国の威信を守るために大勢が亡くなった。国民は国のために生きるわけではない。どこの国でも若者たちは夢を追い、恋もしたいだろう。死んでは元も子もない。

 少なくとも私は国のために死にたくない。自由に生きられない国はごめんだ。
(三枝成彰/作曲家)

感想
安倍元首相の殺害は、どんな理由があってもあってはいけないことです。
殺害は、山上容疑者の私怨です。
テロでも民主主義への挑戦でもないです。
たんなる私怨による殺害です。

犠牲者になられたことで、疑惑に蓋をするとか、忘れるとか、なかったことにすることはしてはいけないことです。

森本毅郎がラジオで驚きの声 安倍元首相の葬儀でリスナー「95%が国葬反対」 ”国葬するなら、岸田首相は疑惑を解明して、本当に国葬に値する人物かを検証していただきたい”

2022-07-16 11:15:55 | 旧統一教会
https://www.tokyo-sports.co.jp/social/4322933/ 2022年07月15日 16時14分パーソナリティーの森本毅郎(東スポWeb)
 TBSラジオ「森本毅郎 スタンバイ!」が15日の放送で、今秋に予定される安倍晋三元総理大臣の国葬について「リスナーの95%が反対」と伝えた。

 番組では岸田文雄首相が14日に行った会見で、遊説中に凶弾に倒れて亡くなった安倍元首相の「国葬」を今秋に行う方針を明らかにしたと伝えた。リスナーにツイッターとメールで意見を募集し、番組の最後に〝リアルな声〟を届けた。

 番組パーソナリティーの森本毅郎は「いやいやいやいや、たくさん来ました。皆さんの関心の高さを示しているようで…。しかも反対が95%。びっくりしちゃいますね」と圧倒的反対に驚きの声を上げた。「テレビの映像で毎日のように花を手向ける人たちの列が報道されているんで、結構、安倍さんを悼んで賛成する方が多いかと思いましたが95%が反対でした」

 ツイッターで寄せられた意見として「国葬よりお別れの会を会費制でやった方が故人も喜ぶんじゃないですか。ホテルニューオータニなら絶対5000円で仕切れるでしょう。サントリーも無償でいろいろ提供してくれるでしょう」と公費の私物化と批判された「桜を見る会」に引っかけたものを紹介。森本は笑いながら読み上げ「こういう皮肉が出ちゃうんですね」とコメントした。

 またモリカケ問題(森友学園の決裁文書改ざん、加計学園の獣医学部新設)、日本会議との関係、旧統一教会との関わりを指摘するものが多く、メールでは「国会を軽視しウソを繰り返し、まずいものには隠蔽、改ざん。間接的に人を死に追いやった責任も取らず、税金で賠償金を払わせて強引に幕引き。こんな指導者が国葬に値するのか」「民主主義を守るためといった言い回しは大いに違和感があります。心の痛む事件ではありましたが、事件の本質は民主主義への攻撃ではないし、民主主義を壊してきたのは自民党の方ではなかったのでしょうか」「容疑者の動機は民主主義を破壊することではなかったのではないでしょうか」「自民との関わりがあるとされる統一教会。この問題から国民の目をそらそうとしているようで気持ちが悪いです」「安倍さんの功罪を検証しないうちに神格化しようとしている雰囲気に怖さを感じます」と厳しい反対の声が届けられたと紹介した。

 安倍元首相は在任期間が最長だったことが強調されるが「戦後の国葬は吉田さんだけですが、安倍さんが勝てるのは在任期間だけではないでしょうか。モリカケ、桜、アベノマスク、東京五輪、日本会議、統一教会など多くの疑惑を残していった安倍さんに国葬を行うのは政府与党の臭い物にフタ、芳香剤散布のような思惑が感じられます」「外交を自負されていたが北方領土、拉致問題では後退していたと感じる」と実績に疑問を抱くリスナーも多いようだ。

 自民支持のリスナーからは「国葬となると税金を使うので当然批判も出るでしょう。あんな悲しい亡くなり方をした方に批判が出るようなことをしてほしくないと思いました。こんなやり方をする自民党が悪いと思います」の意見も寄せられた。〝国葬反対〟の声を呼び上げた森本は「いやいや、今日は反対のオンパレードでした」と締めくくった。

感想
外交問題は、多額のお金のバラマキだけでした。
ロシアにも3,000億円バラマキしただけです。

詩織さんの準強姦犯(民事)の山口敬之氏の逮捕中止命令出させた人が警察庁長官。
検察も動かず。
タクシーでゲロして、ぐでんぐでんの詩織さんを無理やりホテルに連れ込む山口氏をホテルマンが見ていますし、ビデオもあるのに、起訴さえされませんでした。
安倍元首相のとても大事なお友だちだからです。

なにより、ひどいのは日本の将来の若者支援をして来ず、貧困の連鎖が続いています。
日本の将来がさらに暗くなるとの負債を将来背負っていることです。
日本をダメにした人を、さらに未来にまで悪影響を与えた人を、税金使って国葬は理解できません。
まあ、自民党に投票した人の責任でもありますが。

今度さらに岸田政権は安倍元首相と言う目の上のたんこぶも取れ、我が世の春でしょう。
国葬で自民党の保守層も手なずけようとされています。
その保守層が統一教会とつながっていて、結果的に今回の事件の源流にもなったのですが。

「降りていく生き方 『ベテルの家』が歩む、もうひとつの道」横川和夫著 ”悩む人生を生きる価値”

2022-07-16 05:30:05 | 本の紹介
ベテルの家では、人間の弱さを大切にしながら、当事者性を重んじ、仲間に支えられながら、自分の思いや気持ちをできるだけ言葉にして語ることをこころがけている。そうすることで、彼らの症状は軽くなり、自分らしく生きている。
 問題を抱え、絶望している人たちにとって、また当事者性を、そして言葉を奪われ、苦しんでいる多くの若者たちにとって、彼らの回復の道筋は闇のなかの燭光となるにちがいない。

・「援助とは、関係を支援すること」
病気を抱えた彼らとの関係づくりができること、関係づくりのできるソーシャルワーカーになることが、私自身の切実なテーマになって行きました。

・「早坂潔さんが変わったきっかけがあるとすれば、いちばんは『ベリー オーディナリー ピープル』のビデオが出て、あちこちから講演の依頼が多くなって、私や川村先生が呼ばれていく。そこへ彼もいっしょに行く、そのことでしょうね。一年に何十回となく、私や川村先生が話すことを、彼はそばで聞いているわけです。これまでに80回は超えているでしょう。そして、聞いたことを自分の体験とつねに重ねあわせていく、そうしているうちに、自分の歯車が回ってきたんですね」

・「早坂潔をいじめなくなったんだわ。いままでは自分が嫌いで嫌いで、自分の顔もイヤだったし、声も嫌いだったけどさ、でも、いいヤツなんだよと思えるようになった。そしたら言葉が出るようになったんだ。自分を嫌いなときは、人の言うことも聞けなかったというか、『くさいから風呂に入りなさい』と言われても、言われたままで・・・。自分は汚いもんだと思ってたから。どうでもいい、おれはダメな人間だとあきらめていたからね。だから病気というパフォーマンスでしか訴えられなかったし、汚らしくしていると言葉が見つからない。日本語が語れないみだいだな」
「いままでは問題が起きると、アッパラパーになっていたんだけども、いまは、ちゃんと問題を受け入れることができるようになったんだわ。それは自分の力だけではできないな。周りの人たちがスパスパ言ってくるから、それを切り捨てるんじゃなくて、受け容れていったんだ。『くさいからシャワー浴びなさい』って言われて、きれいにするということを身につけると、おもしろいっていうか、楽しいんだわ」
嫌いな自分が好きになる。ありのままの自分を受け容れることができるようになったら、こうも雄弁に語ることができるようになるのか。

・「私は病気の人たちに、『いま、困ったり苦しんだりしていることって、とても大切なことだよ』といつも言います。『それをけっして、あなたの個人的なものに終わらせないで、ある種の苦悩において、多くの人と連帯しようよ』って。治すとか、社会復帰とか、障害を克服するとかいったうわべではなく、あなたの苦しんでいるその苦労そのものが、根本的に人と連帯するんだ、ということの価値を伝えたい。そういう役割を背負ったものとして、いっしょにやっていこうよと」

・「ぼくが浦河に来て、精神障害をもった人たちに出会って、本来的に人間に与えられているはずの苦労を奪われているということでした。病院を退院してきた回復者のメンバーたちに、『商売をやってみないか』と提案したのは、奪われた苦労をいっしょにわかちあってみたかった。メンバーたちが見失ったり、忘れかけたりしていた苦労をもう一度取り戻し、それを共有したかったからなんです」

・べてるの家がたどり着いたのが、降りていく生き方だという。人間はまた、死に向かっておりていく存在でもあるのだから、と向谷地さんは言う。だからこそ、人間らしさを損なう不必要なものを無理に身につけることをせず、淡々と、ありのままを生きていく、そして悩みを回復するのではなく、悩みを悩みとして受け入れる。

・「私たちは、そういう事実をどこかに置き去りにして、ただ向上しよう、なにかをとり入れよう、改善しようという営みをやりつづけている。そういう意味では、深い生き方とはあいいれない。背伸びした社会や人生のイメージをもってしまっているんですね。しかし、人間は病気であれ、なんであれ苦悩する存在なんだということを、べてるの家ではちゃんと見せ、主張していく。その点では、ささやかながら、精神医療の世界でも役割を果たしていると思います」

・降りていく生き方。悩みや苦労を回避したり、放りだしたりするのではなく、人間らしく生きるためには、それを担う姿勢が大切なのだと向谷地さんは説くのである。

・統合失調症をもった人が、まずその基本を理解する。つまり自分自身がどこに障害を持っているかを知ることが第一歩になる。

・「統合失調症はそういう認知障害から起きる病気で、けっして個人的な性格だとか、結果だとか、だらしなさとかで起きる病気ではないんです。つまり、病状やメカニズムを知り、その認知障害に対して自分がどう対処するかという力を獲得するのが大切なんです」
べてるの家にやってきた幻聴が聞こえる人たちは、最近、幻聴か現実かを見極めるために、聞こえる声をメモして、たがいにチェックすることを始めている。

・川村さんによると、べてるのメンバーの回復は、年々、早くなってきているという。先輩たちがものおじしないで講演会で話をし、“爆発”しながらも少しずつ回復していく姿を見て、学んでいくのである。

・自分を語れるようになる・・・言葉にすれば簡単なようだが、じつはもっとも難しい作業である。

・『愛しすぎる女たち』ロイン・ノーウッド著(落合恵子訳)

・向谷地さんは、こう説明する。
「べてるの家では心理カウンセリングみたいに、一対一でじっくり話を聞いていくうちにどんどん変わっていった、というイメージはほとんどないですね。一対一で生まれてくるものは、暑い時の清涼飲料水のようなもので、一見、心地良いのだけれど、長持ちしないんですね。むしろ、問題を起こすことで人とどうつながれるか、だれとつながるきっかけになったか、ということをだいじにしています。だから下野さんや賀代さんのようなベテランメンバーには、川村先生も私も、『一対一で話を聞いて欲しい』と言ってきても冷たいんです」

・統合失調症の清水里香さん
「病気が治らないまま、症状がいまも続いている中で生きつづけて、なおかつ、そういういまの自分がいいと、肯定的に自分を見られるようになった」

・人間に対する信頼感。浦河でいちばん力を入れているのは、この失われた信頼感をいかに回復させていくかである。

・愛さんが、べてるの家と児相や施設での対処の仕方の違いを説明してくれた。
「無断で離院して帰ったら、看護婦さんが『ああ、お帰り。なにか食べてきたの。おみやげは』って。あとすごく嬉しかったのは、児相に連絡をとったり、大切なことをするときは、『こうするけど、どう?』と、いちいち愛に相談してくれたことです。知らないうちに勝手に住所を教えたりしないで、だいじなことは、ひとつひとつ確認してくらたのがよかったと思います」

・オランダの学校
「校則はあります。それは『人間らしく行動するこ』ということです」
驚いて、「それだけですか」「人間らしく行動するとは、具体的にどんなことですか」と、私たちは矢継ぎばやに質問した。
「それは生徒が自分で考え、自分で決めることです。あまり細かい規則をつくると、生徒は自分の頭で考えなくなるので、つくりません」

・自分の思いや気持ち、考えを言葉にするという“思いの言語化”が、昔から日本社会では軽視されきた。というより、逆に、「黙って食べろ」「黙って仕事をしろ」といったぐあいに、思いを言語化しないことが美徳とされる文化を私たちはつちかってきたのではなかったか。それがいま、引きこもる若者たちが増え、また国際化が進む中で、自分の思いを言語化することの大切さが、あらためて求められているといってよい。

感想
悩むことの大切さ。
ロゴセラピーでは悩むことにも意味があると教えてくれます。

統合失調症の人は社会生活が送れない日常の問題を抱えておられる人が多いですが、程度の差こそあれ、私たちもいろいろな問題を抱えており、何とかそれと折り合いをつけながら、日常生活をこなしているのではないでしょうか。
べてるの家の取り組みは、そんな私たちにヒントを与えてくれているように思いました。

ありのままの自分を認める。
さらにできれば、自分を好きになる。
こんな問題やよくない点もあるけど良い点もあり、そんな自分を先ずは受け容れ、好きになることなのでしょう。
好きになれなくても、愛おしく思うことなのでしょう。

べてるの家に関する本を多く読みましたが、ベテルの家のすごさが分かったのは、『当事者研究』の本を読んだからです。

自分の幻聴や幻覚を仲間で話し合う。
そしてそれにどう対処したらよいかを皆からアドバイスもらって考えて実践する。
そしてその結果を皆に報告する。
上手く行かなければまた皆からアドバイスもらって実践してみる。
それをお互いにやることで、上手く幻聴や幻覚と付き合っていく道をみつけるとのことです。

悩みながら生きている自分が素晴らしい。
悩みを自分だけに留めずに、話してみる。
多くの生きる上でのヒントをもらったようでした。

「『べてるの家』から吹く風」向谷地生良著 ”精神科医に本当のことを話さない”

べてるの家 「技法以前」&「当事者研究」  向谷地生良著