『性暴力と修復的司法-対話の先にあるもの』 小松原織香著(成文堂、第10回西尾学術奨励賞)
修復的司法
・私は私の書いた文章の中に嘘があるのではないかと何度も読み返してしまう。私の不安は以下の四つに起因している。
1) 思い出せない点があることだ。
肝心の私の性暴力被害の記憶は、途切れ途切れで断片的になっている。これは、おそらく「解離」という精神障害が起きたことが理由だと思われる。
2) 私は意識的に都合の悪い箇所は削除していることだ。
出来事を再現するときに、すべての情報を等しく盛り込むことはできない。
3) 私はおそらく、記憶の改変や捏造を行っている。
特に、彼と私だけの二人きりの部屋で起きたことには、なんの物証もなければ目撃証人もおらず、私の記憶だけが頼りである。
4) 私はいくら真実を書こうとしても、書けた気がしないことである。
実はこれが、私にとって一番深刻で、どうしようもない問題である。
・私の証言を信じられないのは、私自身である。
「当事者は嘘をついているのではないですか」
そう聞かれて、私が動揺するのは、身に覚えがあるからだ。
・トラウマティックな経験で苦しむ人を見かけると、多くの人はきっと「専門家の助けが必要だ」と思うだろう。だが、私の助けになってくれたのは、同じ当事者同士の繋がり、自助グループでの活動だった。
・私の経験から考えると、自助グループの活動は、「自分の経験を語ることで、自己を形作る」というよりは、「他者の語りを、自己の経験に重ねていく」ことに近い。性暴力の自助グループでは、それぞれの経験や置かれている状況は異なっている。それにもかかわらず、誰かの語る経験の中の細部に、思わぬ形で自分の経験と共通するものを見出してしまうことがある。
そういうとき、私はいつも胸の奥が震えだすような感覚を持つ。ある経験を語っている人の言葉だけでなく、その人の見た景色や味わった感覚が、直接流れ込んでくる。こうした誰かの語りに対する自己の動揺を「共振」と呼んだりする。・・・
臨床心理学では、カウンセラーがこのような共振を起すことを戒められることもあるようだ。しかしながら、私は自助グループでは積極的に共振し、同一化していくなかで、孤独だった自己から解放されていった。
・私は明確な目標を手に入れた。
「私は修復的司法の研究者になろう」
10年後に私は実際に修復的司法の研究者として、性暴力事例にも適用が可能であると主張する博士論文を書き、書籍として出版するに至った。
・マツウラは「支援する者/される者」の間に権力関係があり、当事者は支援者に服従させられ、暴力にさらされていることを告発した。
私にとってマツウラ論文は先人から渡された手紙であり、当事者として闘っていくための秘伝の忍法帖だった。当時の私は、支援者たちの言動のひとつひとつに取り乱し、傷ついていたからである。
注)2005年『女性学年報』第26号 マツウラマムコ「「二次被害」は終わらない「支援者」による被害者への暴力」
・私は回復することを選んだことにより、自分自身の<赦し>の問題から遠ざかったことにも気づいた。ハーマンの指摘は正しく、回復すればするほど、老司者は赦すことへの興味関心を失っていく。しかし、それはあのとき許すことを希求した私の願望が間違いや偽りだったことを意味しない。あの、傷ついて死にかけていたあのときにこそ、<赦し>への道は私の前に拓かれていた。
注)真の赦しは加害者が告白、償い、修復を通してそれを求、受けるに値するまでは与えられ得ないのである。
他方、デリダは加害者がまったく悔いず、償いもせず、同じ罪を繰り返すなかでこそ真の赦しは与えられると主張した。
多くの人は二つの言説を習えたとき、ハーマンを支持するだろう。だが、私はデリダを支持した。それこそが、私の生きていた当事者の世界だった。許すに値しない加害者の前で、<赦し>を与えるしかなかった、あの日。
「あれはなんだったのか」
一瞬、垣間見た<赦し>の影を追って、私は研究者になる道を進んでいく。
・私が影響をうけたのは「(ベテルの家の)当事者研究」ではなく、当事者を主体する運動団体の言説である。特に、障害者運動を担った「青い芝の会」や女性解放運動のウーマンリブの言葉は、私の心の奥深くに食い込んでいた。
青い芝の会は、脳性マヒの当事者が中心となったグループで、1957年にお互いの経験を語る会や家の外へ出かける活動等からスタートした。・・・
青い芝の会は「介助者手足論」を打ち立て、障害者の生活を支援するヘルパーは個人的な意思は必要なく、当事者のしたいことを黙って手伝えばいいと主張した。すなわち、障害者に対して優しさや愛情をもって関わることを拒絶し、生きていくために必要な介助のみに価値を置くのである。
・田中美津が1972年に出版した『いのちの女たちへ 取り乱しウーマン・リブ論』を、私はのめり込んで読んだ。
「いってみれば運悪く蹴つまずいてしまった女が、誰か助け起こしてくれるんじゃないかと、長い間惨めったらしく待っていただ、結局自分で起きあがるしかないと気づいて、このあたしがクズであるハズないじゃないか! と立ち上がったのがあたしのリブであった。」
この田中の言葉は、自分のことを言っているとしか思えなかった。
・これらの経験をもとに私が理解したことは、「私の研究において、当事者であることは本質的な問題ではない」ということだった。
私の内部から発生した「<赦し>とはなにか」という問いや、修復的司法への関心は間違いなく暴力の経験に結びついている。・・・
単純な話だった。私が日本で適切に支援者に「わかってほしい」と思ってしまうのは、かれらが「わかってない」からである。支援者が「わかっている」のであれば、そもそも私の「わかってほしい」という葛藤も生まれない。そんな葛藤が生まれてくること自体が不当なのだ。そう自分の中で腑に落ちたとき、私はもう迷わなかった。
「支援者に、当事者の世界を理解させねばならない」
それが私の研究の目的であった。
・そんななか、大学院生だった友人が自死を選んだ。・・・
生前に友人はこんなことを言ったことがある。
「サバイバーという言葉は、生きている人を肯定する。でも、それは死にたい人、死んでしまった人を否定する言葉だ」
・「なぜ、私は研究しようとしているのか」
私の頭の中ではその問いがぐるぐる回っていた。私は研究への熱意を失い、
「いつ大学院を辞めようかと」ということばかり考えるようになった。
このころ、私がのめり込んだのが「ケータイ小説」を書くことだった。・・・
ケータイ小説が面白いのは、ランキングシステムが搭載されており、小説が読まれば読まれるほど、順位が上がっていくことだ。・・・
「私の小説を読みたいと思っている人がいる」
そのことは、精神状態がぐらぐらになっていた当時の私にとって、一番の心の支えになった。
・・・。「壁ドン」とちょっとエッチなエピソードさえ入っていれば、かれらはどんなお話にでも飛びこんでいくことに気付いた。・・・
若い女の子たちのなかには確実に当事者がいるし、かれらを納得させるために必要なのは、圧倒的な資料でしかないと思った。・・・
そのうちに、私はどの小説にも、被害者と加害者の対話や<赦し>の問題が含まれていることに気づいた。
・日本に生まれた当事者として地べたに這いつくばって考えてきた<赦し>の話は、もしかすると武器になるかもしれないと思った。(ヨーロッパの「修復的司法」の学会の場において)
・私は支援者と闘う決意をして研究者になり、それしか選ぶ道はないと自分を奮い立たせてきた。しかし、私は研究者の隣で当事者として語ることもできたのだ。自分の当事者として弱さを否定することなく、そのままに思いを語るばがあったのかもしれない。
・「私は嘘をついている」かどうかは、証言者だけの秘密だ。つまり、私は、「当事者である」と名乗ることによって、「当事者でないかもしれない」という秘密を背負うことになる。そして、その秘密は、私自身も明かすことのできない秘密である。
そこまできて、私はこう考えた。
「だったら、そのことを丸ごと書けばいいのではないか」
つまり、私が「性暴力被害者であるかどうか」ではなく、そうした「秘密を抱える当事者」として生きてきて、研究者になった経緯を書けばいいのではないかと思ったのである。
私が言えなかったのは、被害経験が恥ずかしいからでも、勇気がないからでもない。新しい秘密、すなわち、「私は嘘をついている」かどうかの、誰とも共有できない秘密を抱えるのが苦しかったからだ。どうやっても、私は「嘘をついている」という強迫観念から逃れられない。
それでも、私が性暴力被害者である名乗ったのはなぜか。それは、過去の私が他から得られなかった情報を、これから生きる人々へ手渡したかったからだ。
これまで、性暴力被害者について書かれた本はたくさん出版されてきた。暴力後に被害者は深いトラウマを抱えるため、治療対象にされ、保護が必要だとみなされてきた。サバイバーを称え「勇気ある存在」だと褒めている本もあった。だが、私が知りたい知識はどこにも書いてなかった。つまり、こんなトラウマを背負って混乱し、「支援者」を憎み恐れ、「研究者」に不信を抱く「当事者」が、どうすれあ「研究者」になれるのかという知識である。
もっと言えば、私がほしかったのは、どうすれば被害の記憶を抱えたままで、もっと強くなり、自らの道を歩く力を得ることができるようになるのか、という情報だった。そのアンサーの一つとして、この本を書いた。
感想;
著者は研究することで立ち直れたようです。
性暴力を受けたことで大きなトラウマを抱え、大変な辛い思いもたくさんされたと思います。
まさに人生が狂ってしまったと思います。
起きたことにも何か意味があると考え、著者はそれから「修復的司法」で博士号取得、出版と著者だからできる道を歩まれているようです。
そしてポスドクとして水俣病の研究をされています。
今の状況で、人生に意味を見いだす。
見いだせるとそれは大きな生きるエネルギーになるのでしょう。
意味は自分のためもありますが、誰かのため、何かのための方がより大きなエネルギーになるようです。
ロゴセラピーでは、
「人生に意味を見いだすと考えずに、人生の方から自分に問いかけてきて、さあどうするか?」
と問われていると考えます。
そしてそれに応えて生きることで、意味を見いだしていくと考えます。
修復的司法
『赦すこと 赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』ジャック・デリダ著
青い芝の会
など、知らないことがたくさんありました。
当事者は嘘をつく
支援者が被害者を傷つける
このような視点もなかったです。
いろいろな先人からの教えをどう自分で生かしていくかなのでしょう。
そのためには、やはり読書は大切だと思いました。
同じようなことで多くの先人が悩み苦しみ、そしてもがいて見つけた結果があります。
自分の悩みはまったく同じではないですが、多くのヒントを与えてくれるのでしょう。
まさに著者が多くの先人たちから学ばれていました。
修復的司法
・私は私の書いた文章の中に嘘があるのではないかと何度も読み返してしまう。私の不安は以下の四つに起因している。
1) 思い出せない点があることだ。
肝心の私の性暴力被害の記憶は、途切れ途切れで断片的になっている。これは、おそらく「解離」という精神障害が起きたことが理由だと思われる。
2) 私は意識的に都合の悪い箇所は削除していることだ。
出来事を再現するときに、すべての情報を等しく盛り込むことはできない。
3) 私はおそらく、記憶の改変や捏造を行っている。
特に、彼と私だけの二人きりの部屋で起きたことには、なんの物証もなければ目撃証人もおらず、私の記憶だけが頼りである。
4) 私はいくら真実を書こうとしても、書けた気がしないことである。
実はこれが、私にとって一番深刻で、どうしようもない問題である。
・私の証言を信じられないのは、私自身である。
「当事者は嘘をついているのではないですか」
そう聞かれて、私が動揺するのは、身に覚えがあるからだ。
・トラウマティックな経験で苦しむ人を見かけると、多くの人はきっと「専門家の助けが必要だ」と思うだろう。だが、私の助けになってくれたのは、同じ当事者同士の繋がり、自助グループでの活動だった。
・私の経験から考えると、自助グループの活動は、「自分の経験を語ることで、自己を形作る」というよりは、「他者の語りを、自己の経験に重ねていく」ことに近い。性暴力の自助グループでは、それぞれの経験や置かれている状況は異なっている。それにもかかわらず、誰かの語る経験の中の細部に、思わぬ形で自分の経験と共通するものを見出してしまうことがある。
そういうとき、私はいつも胸の奥が震えだすような感覚を持つ。ある経験を語っている人の言葉だけでなく、その人の見た景色や味わった感覚が、直接流れ込んでくる。こうした誰かの語りに対する自己の動揺を「共振」と呼んだりする。・・・
臨床心理学では、カウンセラーがこのような共振を起すことを戒められることもあるようだ。しかしながら、私は自助グループでは積極的に共振し、同一化していくなかで、孤独だった自己から解放されていった。
・私は明確な目標を手に入れた。
「私は修復的司法の研究者になろう」
10年後に私は実際に修復的司法の研究者として、性暴力事例にも適用が可能であると主張する博士論文を書き、書籍として出版するに至った。
・マツウラは「支援する者/される者」の間に権力関係があり、当事者は支援者に服従させられ、暴力にさらされていることを告発した。
私にとってマツウラ論文は先人から渡された手紙であり、当事者として闘っていくための秘伝の忍法帖だった。当時の私は、支援者たちの言動のひとつひとつに取り乱し、傷ついていたからである。
注)2005年『女性学年報』第26号 マツウラマムコ「「二次被害」は終わらない「支援者」による被害者への暴力」
・私は回復することを選んだことにより、自分自身の<赦し>の問題から遠ざかったことにも気づいた。ハーマンの指摘は正しく、回復すればするほど、老司者は赦すことへの興味関心を失っていく。しかし、それはあのとき許すことを希求した私の願望が間違いや偽りだったことを意味しない。あの、傷ついて死にかけていたあのときにこそ、<赦し>への道は私の前に拓かれていた。
注)真の赦しは加害者が告白、償い、修復を通してそれを求、受けるに値するまでは与えられ得ないのである。
他方、デリダは加害者がまったく悔いず、償いもせず、同じ罪を繰り返すなかでこそ真の赦しは与えられると主張した。
多くの人は二つの言説を習えたとき、ハーマンを支持するだろう。だが、私はデリダを支持した。それこそが、私の生きていた当事者の世界だった。許すに値しない加害者の前で、<赦し>を与えるしかなかった、あの日。
「あれはなんだったのか」
一瞬、垣間見た<赦し>の影を追って、私は研究者になる道を進んでいく。
・私が影響をうけたのは「(ベテルの家の)当事者研究」ではなく、当事者を主体する運動団体の言説である。特に、障害者運動を担った「青い芝の会」や女性解放運動のウーマンリブの言葉は、私の心の奥深くに食い込んでいた。
青い芝の会は、脳性マヒの当事者が中心となったグループで、1957年にお互いの経験を語る会や家の外へ出かける活動等からスタートした。・・・
青い芝の会は「介助者手足論」を打ち立て、障害者の生活を支援するヘルパーは個人的な意思は必要なく、当事者のしたいことを黙って手伝えばいいと主張した。すなわち、障害者に対して優しさや愛情をもって関わることを拒絶し、生きていくために必要な介助のみに価値を置くのである。
・田中美津が1972年に出版した『いのちの女たちへ 取り乱しウーマン・リブ論』を、私はのめり込んで読んだ。
「いってみれば運悪く蹴つまずいてしまった女が、誰か助け起こしてくれるんじゃないかと、長い間惨めったらしく待っていただ、結局自分で起きあがるしかないと気づいて、このあたしがクズであるハズないじゃないか! と立ち上がったのがあたしのリブであった。」
この田中の言葉は、自分のことを言っているとしか思えなかった。
・これらの経験をもとに私が理解したことは、「私の研究において、当事者であることは本質的な問題ではない」ということだった。
私の内部から発生した「<赦し>とはなにか」という問いや、修復的司法への関心は間違いなく暴力の経験に結びついている。・・・
単純な話だった。私が日本で適切に支援者に「わかってほしい」と思ってしまうのは、かれらが「わかってない」からである。支援者が「わかっている」のであれば、そもそも私の「わかってほしい」という葛藤も生まれない。そんな葛藤が生まれてくること自体が不当なのだ。そう自分の中で腑に落ちたとき、私はもう迷わなかった。
「支援者に、当事者の世界を理解させねばならない」
それが私の研究の目的であった。
・そんななか、大学院生だった友人が自死を選んだ。・・・
生前に友人はこんなことを言ったことがある。
「サバイバーという言葉は、生きている人を肯定する。でも、それは死にたい人、死んでしまった人を否定する言葉だ」
・「なぜ、私は研究しようとしているのか」
私の頭の中ではその問いがぐるぐる回っていた。私は研究への熱意を失い、
「いつ大学院を辞めようかと」ということばかり考えるようになった。
このころ、私がのめり込んだのが「ケータイ小説」を書くことだった。・・・
ケータイ小説が面白いのは、ランキングシステムが搭載されており、小説が読まれば読まれるほど、順位が上がっていくことだ。・・・
「私の小説を読みたいと思っている人がいる」
そのことは、精神状態がぐらぐらになっていた当時の私にとって、一番の心の支えになった。
・・・。「壁ドン」とちょっとエッチなエピソードさえ入っていれば、かれらはどんなお話にでも飛びこんでいくことに気付いた。・・・
若い女の子たちのなかには確実に当事者がいるし、かれらを納得させるために必要なのは、圧倒的な資料でしかないと思った。・・・
そのうちに、私はどの小説にも、被害者と加害者の対話や<赦し>の問題が含まれていることに気づいた。
・日本に生まれた当事者として地べたに這いつくばって考えてきた<赦し>の話は、もしかすると武器になるかもしれないと思った。(ヨーロッパの「修復的司法」の学会の場において)
・私は支援者と闘う決意をして研究者になり、それしか選ぶ道はないと自分を奮い立たせてきた。しかし、私は研究者の隣で当事者として語ることもできたのだ。自分の当事者として弱さを否定することなく、そのままに思いを語るばがあったのかもしれない。
・「私は嘘をついている」かどうかは、証言者だけの秘密だ。つまり、私は、「当事者である」と名乗ることによって、「当事者でないかもしれない」という秘密を背負うことになる。そして、その秘密は、私自身も明かすことのできない秘密である。
そこまできて、私はこう考えた。
「だったら、そのことを丸ごと書けばいいのではないか」
つまり、私が「性暴力被害者であるかどうか」ではなく、そうした「秘密を抱える当事者」として生きてきて、研究者になった経緯を書けばいいのではないかと思ったのである。
私が言えなかったのは、被害経験が恥ずかしいからでも、勇気がないからでもない。新しい秘密、すなわち、「私は嘘をついている」かどうかの、誰とも共有できない秘密を抱えるのが苦しかったからだ。どうやっても、私は「嘘をついている」という強迫観念から逃れられない。
それでも、私が性暴力被害者である名乗ったのはなぜか。それは、過去の私が他から得られなかった情報を、これから生きる人々へ手渡したかったからだ。
これまで、性暴力被害者について書かれた本はたくさん出版されてきた。暴力後に被害者は深いトラウマを抱えるため、治療対象にされ、保護が必要だとみなされてきた。サバイバーを称え「勇気ある存在」だと褒めている本もあった。だが、私が知りたい知識はどこにも書いてなかった。つまり、こんなトラウマを背負って混乱し、「支援者」を憎み恐れ、「研究者」に不信を抱く「当事者」が、どうすれあ「研究者」になれるのかという知識である。
もっと言えば、私がほしかったのは、どうすれば被害の記憶を抱えたままで、もっと強くなり、自らの道を歩く力を得ることができるようになるのか、という情報だった。そのアンサーの一つとして、この本を書いた。
感想;
著者は研究することで立ち直れたようです。
性暴力を受けたことで大きなトラウマを抱え、大変な辛い思いもたくさんされたと思います。
まさに人生が狂ってしまったと思います。
起きたことにも何か意味があると考え、著者はそれから「修復的司法」で博士号取得、出版と著者だからできる道を歩まれているようです。
そしてポスドクとして水俣病の研究をされています。
今の状況で、人生に意味を見いだす。
見いだせるとそれは大きな生きるエネルギーになるのでしょう。
意味は自分のためもありますが、誰かのため、何かのための方がより大きなエネルギーになるようです。
ロゴセラピーでは、
「人生に意味を見いだすと考えずに、人生の方から自分に問いかけてきて、さあどうするか?」
と問われていると考えます。
そしてそれに応えて生きることで、意味を見いだしていくと考えます。
修復的司法
『赦すこと 赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』ジャック・デリダ著
青い芝の会
など、知らないことがたくさんありました。
当事者は嘘をつく
支援者が被害者を傷つける
このような視点もなかったです。
いろいろな先人からの教えをどう自分で生かしていくかなのでしょう。
そのためには、やはり読書は大切だと思いました。
同じようなことで多くの先人が悩み苦しみ、そしてもがいて見つけた結果があります。
自分の悩みはまったく同じではないですが、多くのヒントを与えてくれるのでしょう。
まさに著者が多くの先人たちから学ばれていました。