幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

ホンダがレアアース不使用の磁石を実用化、「まさに一挙両得」=中国  ”必要は発明の母”

2016-07-18 07:40:20 | 社会
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e3%83%9b%e3%83%b3%e3%83%80%e3%81%8c%e3%83%ac%e3%82%a2%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%82%b9%e4%b8%8d%e4%bd%bf%e7%94%a8%e3%81%ae%e7%a3%81%e7%9f%b3%e3%82%92%e5%ae%9f%e7%94%a8%e5%8c%96%e3%80%81%e3%80%8c%e3%81%be%e3%81%95%e3%81%ab%e4%b8%80%e6%8c%99%e4%b8%a1%e5%be%97%e3%80%8d%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd/ar-BBupvNR?ocid=spartandhp#page=2 モーニングスター株式会社
ハイテク機器に必要不可欠なレアアース(希土類)の世界における生産量の大半を占めるのは中国であり、日本も中国からレアアースを調達している。だが、2010年に尖閣諸島(中国名:釣魚島)近海で発生した漁船衝突事故を受け、中国はレアアースの事実上の輸出制限を行い、レアアース価格は一時的に高騰した。(イメージ写真提供:123RF)© Searchina 提供 ハイテク機器に必要不可欠なレアアース(希土類)の世界における生産量の大半を占めるのは中国であり、日本も中国からレアアースを調達している。だが、2010年に尖閣諸島(中国名:釣魚島)近…
 ハイテク機器に必要不可欠なレアアース(希土類)の世界における生産量の大半を占めるのは中国であり、日本も中国からレアアースを調達している。だが、2010年に尖閣諸島(中国名:釣魚島)近海で発生した漁船衝突事故を受け、中国はレアアースの事実上の輸出制限を行い、レアアース価格は一時的に高騰した。

 中国メディアの駆動之家はこのほど、ホンダと大同特殊鋼がこのほど、重希土類を一切使用しない「重希土類完全フリー磁石」を実用化したことを伝え、2016年秋に発表予定の新型「FREED(フリード)」に採用すると伝えた。

 記事はまず、電子産業や自動車産業の発展に伴い、希土類の需要が増大していることを指摘する一方、希土類の供給量の伸びは鈍化していることを指摘し、各自動車メーカーは現在、希土類の使用量を減らす取り組みを行っていると紹介した。

 さらに、中国が世界最大の希土類生産国であることを指摘し、「この事実が日本企業の懸念につながっている」と伝え、過去に中国が事実上の輸出制限を行ったことで、日本企業が希土類調達で苦境に直面したことを指摘。また、この苦境は日本に教訓を与えたとし、それは「中国産の希土類に依存することはリスクだということ」と論じた。

 一方で記事は、ホンダが重希土類を使用しない磁石の開発に成功したことは「希土類の供給量の少なさというボトルネックを回避しつつ、希土類の需要増加を背景としたコスト上昇という問題を解決できるもの」と伝えており、ホンダの「重希土類完全フリー磁石」の実用化はまさに一挙両得と言えそうだ。(編集担当:村山健二)

感想
ピンチはチャンスとよく言われています。
しかし、実際はピンチの大きさで自分で諦めてしまっていることが多いです。
多くの人が諦める。それは競合優位に立てるチャンスだと。

成功者の多くがピンチを体験しています。
また、本来狙ったことではなく、偶然の出会いを生かした人も多くいます。

ロゴセラピーでの「人生が自分に問いかけてくる」、それはピンチの問いかけもあるのでしょう。
そのピンチを生かすと、結果的にそのピンチは最大のチャンスだったことになります。

自分の持っている力を信じてやっていくことなのでしょうね。
せっかくの人生ですから、周りの目を気にし過ぎずに、自分がやってみたいことを自分がよいと思う方法でやることなのでしょう。
その時に大切なのは、”亡己利他”の気持ちなのでしょう。

男性だけの問題ではない 誤解されていた「ひきこもり女子」とは  ”引きこもり70万人?”

2016-07-17 01:08:08 | 社会
http://news.livedoor.com/article/detail/11770888/2016年7月16日
ざっくり言うと
「ひきこもり女子」の知られざる実態を取り上げている
女性のひきこもり当事者の中に、性被害にあった人たちもいるとのこと
「ひきこもり=男性」との誤解があり、社会に問題提起する必要があるという

「ひきこもり=男性」じゃない! 気付かれなかった女性たち、専門家も誤解 当事者が見つけた居場所とは

 すっかり日常用語になった「女子会」ですが、最近、ひきこもり経験者の女子会ができ始めています。「ひきこもり=男性」というイメージの陰で、女性のひきこもりは長年注目されない存在でした。「ひきこもり女子会」は、女性の当事者たちがようやく見つけた居場所になっているようです。(朝日新聞東京社会部記者・原田朱美)

女子会じゃないと来られない
 6月末、東京・渋谷で開かれた「ひきこもり女子会」にお邪魔しました。
 集まった女性は、約30人。会場となった小さな会議室は、ほぼ満席でした。若い人から、白髪交じりの人まで。年代は様々です。

 「女子会じゃないと、来られなかったです」
 「男性が苦手で。女性同士で話せるのは安心します」
 「当事者会に行ってみたけど、私しか女性がいなくて、居づらくて」
 
 参加者たちが、こぼした言葉です。
 「ひきこもり=男性」というイメージをもつ人は、多いのではないでしょうか。

 ひきこもりの当事者たちが集まる場所は全国各地にありますが、参加者のほとんどまたは全部が男性ということが多いそうです。実際は、女性のひきこもりは少なくないのですが、男性ばかりの場所は居づらく、当事者会に行けないという女性たちがいます。
 
 一部ですが、男性参加者から好奇の目で見られることもあり、さらにハードルが高くなっているようです。

女性限定の場所へのニーズ
 この「女子会」は、ひきこもりの経験者でつくる「ひきこもりUX会議」が企画しました。
 運営メンバーの中に女性が2人いて、この日もコーディネーターを務めました。

 そのうちのひとり、林恭子さん(49)は「女性限定の居場所にニーズがあると確信はありました」と話します。
 
 UX会議は昨年、女性のひきこもり当事者向けに、メイクと服のコーディネート講座を開きました。ひきこもる女性たちの中には、自分の見た目に自信を持てない人が少なくありません。外出するハードルを下げようと、講座は計4回開きました。
 いずれも予想を超える人数が集まり、すべての会で満席に。
 
 そこで今回、本格的に女子会を開くことにしたそうです。
 女子会には、首都圏だけでなく、静岡や群馬からわざわざ来たという人もいました。
 
 参加した女性たちは、口から言葉があふれ出るかのように、次々に自分のことを語っていました。
 この場所に、とても強いニーズがあったんだなあと、痛感させられます。

 ちなみに、「外出できるならひきこもりではないのでは?」と思う人もいるかもしれません。
 「本当に家から一歩も出られない」という人は、もちろん来られません。当事者会は、少しずつ出られるようになった人、かつてひきこもりを経験し体験を語りたい人と、いろんな状況の人が参加できます。
 
 UX会議は、今後も女子会を続ける方針で、次回は8月23日を予定しています。
 こうした女性限定のひきこもり当事者の集まりは、最近ようやく登場し始めた、新たな動きです。

「女性のひきこもりは少ない」という思い込み
 横浜市の当事者会「ひき桜」でも、6月から、通常の居場所会とは別に、女子会を始めました。
 担当する成瀬さん(39)は、「ひき桜」の運営メンバーのうち、唯一の女性です。女子会には、男性の運営メンバーは参加しません。
 
 「女性のひきこもりは少ないという思い込みは当事者自身にもあって。メディアの『女性の方がコミュニケーション力が高く社交性があるから、ひきこもりは少ない』なんていう分析を聞いて、『女性なのに社交性がない自分って相当ダメなんだな』と追い詰められる人もいます。ただでさえひきこもり状態であることに負い目を感じるのに、立場のなさを感じ、さらに閉じこもってしまう」

 「でも、ネットで他の女性のひきこもり当事者の声を探していくと、けっこうな数が見つかる。そして、みんな自分と同じような負い目や肩身の狭さを感じていました。実は女性のひきこもりは結構いるのに、出ていける場所がないだけなんじゃないか、需要があるのに供給がない状態なんだと気付きました」
 こちらも女子会は好評で、参加してみたいという問い合わせがあちこちからきているそうです。

 成瀬さんは言います。

「同じ立場の女性とできるだけたくさん会う事で、安心したい。悩みや苦しみや不安を共有したい。友達がほしい。ひきこもりである事を隠したり負い目を感じる事なく、おしゃべりして楽しみたい。そういう居場所をつくることで、それぞれが抱える問題を解決する糸口が見つかり、社会に問題提起できたらいいなと思います」

存在に気付かれていなかった女性たち
 女性のひきこもりが注目され始めたのは、ここ数年です。
 
 そのきっかけが、ジャーナリストの池上正樹さんです。著書「ひきこもる女性たち」(2016年5月発売、ベスト新書)などで、存在に気付かれていない女性のひきこもりがあると、問題提起しています。

 池上さんに聞きました。

 「私自身も、『ひきこもりは男性特有の問題だ』という先入観がありました」。一般に女性は、昼間に家にいても、必ずしも不自然ではありません。しかし男性は、昼間に近所で姿を見られると「あの人は仕事をしていないのか?」と怪しまれやすいです。そのため、家から出られなくなり、女性よりもひきこもりになりやすいと言われています。

 「でも、偶然、あるひきこもり女性からのメールをネットメディアで紹介したら、すごい数の反響が女性から届いたんです。その後も、女性のひきこもり特集を書くたびに、その数は増えていった。今では、私のもとに届く当事者からのメールは、男女半々です。女性たちの話を聞いていると、ひきこもり男性と同じ心理状態でした」

専門家にもある誤解
 池上さんは「メディアがえがく『男性が薄暗い部屋の中に閉じこもっている』という典型的なひきこもり像は、実は専門家や支援者側ももっている」と指摘します。
 
 「女性の当事者に『女性は結婚したら解決するよ』『買い物に出られるなら元気でしょう』と言ってしまう専門家や支援者は少なくありません。本人たちは、自分が抱える生きづらさを分かってもらえず、絶望し、社会から排除されていく。ひきこもりという状態は、なった経緯も状態も、千差万別です。例えば買い物には行けても、それ以外は家にこもり、友達もおらず、社会から隔絶され、心を閉ざしていれば、本質的にひきこもり状態と同じです」

 また、社会的にあまり知られていない点として、池上さんは「女性のひきこもり当事者の中に、性被害にあった人たちがいる」ことを挙げます。実態把握は難しいですが、例えば、子どもの頃に受けた被害を「なかったこと」にして成長し、ふとしたことで傷が戻ってきて、ひきこもってしまう事例があるそうです。こういう女性は、男性主体の居場所に行くのはとてもハードルが高いです。
 「ひきこもり女子会」は、今回例に挙げた「ひきこもりUX」や「ひき桜」以外にも、数は少ないですが、何件か事例があります。

 池上さんは「女子会は、ようやく都会でできはじめたくらいなので、地方はまだまだ。当事者会のあり方は、多様であっていい。『ひきこもり=男性』というイメージにとらわれず、それぞれの当事者の思いに寄り添うことが大事です」と話します。

感想
引きこもり人数は70万人と言われています。
ほとんどが男性です。
しかし、女性の引きこもりは統計に出てこないそうです。
”家事手伝い”という隠れ蓑があるからだそうです。
ですから、実際の引きこもりはもっと多いと言われています。

ネット社会は声が出せなかった人々が、ネットでつながることができる良さがあります。
一人では弱いです。仲間と一緒になることで、力を得たりできるのだと思います。




阿川佐和子さん 「サワコの朝 寺尾聰さん」 "出逢いと病気がきっかけに”

2016-07-16 10:42:58 | 生き方/考え方
この方のおかげで、ルビーの指輪を自分で買いました。
[ルビーの指輪]が12週トップだったのはまだ破られていない。
134万枚のヒット。
19歳の時、ザ・サべージのメンバーとしてバンドに参加した。
「雨あがる」で日本アカデミー最優秀男優賞受賞した。
2人の初対面はサワコさんの実家。父の作品のドラマ化で出演者が集まった。「あひるの学校」の打合せで50数年前。20台の前半だった。
デビューが学生バンド。実は3年連続で高校1年生を体験した。最初は野球で入ることになったがある理由で入れなくて、別の高校に翌年入った。進級できない息子に両親は。父親はそろそろ進級は?母親は進級できないのは人さまにはなかなかできないことだからと赤飯を炊いてくれた。

1曲目エルトン・ジョン「悲しみのバラード」 朝に聴くと癒される曲。
違うバンドに移ったら、人生を変えた人に出逢った。俳優を目指した“きっかけ”になった。
三保さんが「俳優になった方がよい」言ってくれた。そして「黒部の太陽」で俳優デビュー。父は石原さんと仲が良かった。石原プロに入った。渡哲也さんには病気の時も大変お世話になった。29歳で瀕死の重病を経験。胃穿孔で4日間意識がなかった体重が20kg減った。胃を80%取った。元気が20年戻らなかった。友だちは元気に頑張っている。自分はもうだめだなと思った。

「ルビーの指輪」34歳の時134万枚の大ヒット。仕事をセーブした時にできた。
仕事がなく収入がなかったので、自分の作った曲をまとめて、レコード会社の何社かに持って行ってレコード化になった。松本隆さんに作詞をお願いした。松本さんは「木綿のハンカチーフ」の作詞をされていた。作詞の内容のおかげで「ルビーの指輪」が売れた。
ジュエリー協会で感謝状とルビーの指輪をプレゼントしてくれた。そんな大げさな会だと思わなかった。当時は生意気だった。俺は歌手じゃない。俳優だと。俳優なのに歌手と思われた。最初は嫌だったがその気持ちがなくなったのは親父が亡くなってからだった。そして「お父さんに似てきましたね」と父親が亡くなるまでは嫌だったが亡くなってからは言われると嬉しくなった。しかし、父が生きている時はそのような気持ちになれなかった。40歳の時に父、宇野重吉が他界した。父親から。「100人が100人の読み方がある。最後にさよならがあるだろう。その前の人がどういうさよならを言うかによって違うんだよ。その人がそのさよならをどういう気持ちで言ったか」。台本を“さかのぼって”意味を掴むことを教えて貰った。
黒澤明「雨あがる」に主演することが決まっていた。父からの遺言だった。父からの言葉はいくつかあり、“居合抜きを3段まで取っておく”など。黒澤明からいっぱい学んだ。父の凄さを感じた瞬間、「舞台には映画のようなアップがない」と言ったら、父から「観客全員の目が自分一人に向かう」と言われた。

日曜劇場「仰げば尊し」が始まる。自分の体験に重なっている。
2曲目エリック・クラプトンの「枯葉」。聴くと心が落ち着く曲。イブモンタンとは違った良さがある。同い年くらいかと。少し枯れてくると良いなと。「もうなっていますよ。まだまだお元気です」笑。

同い年の人にあったら、蛭子さんに逢ったら同い年で、えっ、もうこんな歳かと思った。

感想
俳優が歌を出したと思ったら、もともとは歌手としてバンド出身でした。
偉大な親を持つと子どもは大変と言われています。
お話を聴いていて、素直に父親と接して来られたのだと思いました。
人生も人との出逢い、病気との出逢いをきっかけにされたようでした。
まさにロゴセラピーで言う「人生からの問いかけにYesと答えてできることをやっていく」の生き方をしてこられたように思いました。


「生前退位」とは何か 歴史や法制度をひもとくと ”時の権力者が勝手な解釈を”

2016-07-16 03:01:48 | 社会
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7G55W8J7GUTIL03N.html?rm=838 編集委員・宮代栄一 編集委員・北野隆一 多田晃子2016年7月15日

 天皇陛下が意向を示した「生前退位」。実現すれば江戸時代以来、約200年ぶりとなる。陛下は数年前から繰り返し周囲に思いを伝えてきたとされるが、どのような背景があるのか。今後の課題や展望は。歴史や法制度をひもとき、考えてみた。

天皇陛下、生前退位の意向 皇后さま皇太子さまに伝える
天皇陛下の歩み

■皇室典範などの改正が必要

 生前退位を実現するには、皇室典範改正などの法的措置が必要だ。皇室典範第4条には「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)が、直ちに即位する」とあり、皇位継承は天皇が亡くなったときしか想定されていない。

 旧皇室典範は1889(明治22)年、大日本帝国憲法(明治憲法)と同時期に制定。伊藤博文らは「天皇が終身大位にあるのはもちろんであり、随意にその位をのがれるということはもってのほかである」と論じ、「大元帥」で「統治権総攬(そうらん)者」でもある天皇の終身在位のしくみを作った。

 戦後、象徴天皇制を掲げる現憲法制定に伴い、法学者や官僚らが現行の皇室典範を議論した際は「天皇が自ら欲した場合は事情によって(退位を)認めることが必要ではないか」との意見も出た。だが「天皇の責任を果たすため、終身その位にとどまることが必要」「退位を認めると上皇による弊害など混乱の恐れがある」などとして盛り込まなかった。退位の自由を認めると不就任の自由も認めることになり、天皇制の存立が揺るがされる、との意見も出た。

 こうした考え方はその後も受け継がれた。1984年4月、80歳を超えた昭和天皇の生前退位について国会で質問があり、山本悟・宮内庁次長(当時)が、皇室典範に生前退位の規定がない理由について①退位を認めると上皇や法皇などの存在が弊害を生ずる恐れがある②天皇の自由意思にもとづかない退位の強制があり得る③天皇が恣意(しい)的に退位できるようになる、などと答弁している。

 また現行憲法で天皇は「国政に関する権能を有しない」と定められていることからも、天皇が自身の意向で生前に退位することは政治的行為にあたるのではないかとの議論もある。

 ログイン前の続き一方、現行の皇室典範制定の際、生前退位を認めない代わりに、天皇に代わって国事行為を行う「摂政」を置く要件を緩めた。

 現行皇室典範は第16条第2項で「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」としている。この中の「重大な事故」の要件を幅広く解釈する考え方だ。

 旧皇室典範でも摂政の制度はあり、大正天皇の病が重くなってから皇太子時代の昭和天皇が摂政を務めた。一方、昭和天皇が1987~89年に病に倒れた際には、摂政は置かれなかった。昭和天皇が望まなかったためとみられ、当時の皇太子さま(いまの天皇陛下)と浩宮さま(いまの皇太子さま)が約1年4カ月間、国事行為を昭和天皇に代わり臨時代行した。

■江戸後期までの約半数が生前に譲位

 日本書紀によると、皇位継承は古代から天皇の死去に伴う形が一般的だった。だが、大化改新のきっかけとなったクーデター「乙巳(いっし)の変」(645年)直後に皇極(こうぎょく)天皇が退位して以来、江戸後期まで全体の半数近くが生前に位を譲っている。

 古代は亡くなった天皇の皇后などが中継ぎとして在位し、次代の男性天皇に譲位するケースが目立つ。だが、天武天皇の皇后から即位した持統天皇は孫の文武(もんむ)天皇に位を譲った後も、702年に亡くなるまで太上(だいじょう)天皇(上皇〈じょうこう〉)として政治に関与し続けた。

 平安時代末期にはこれが定着した形として、「院政」が始まった。1086年に譲位した白河上皇が、幼少だった堀河天皇に代わって政治をみるようになって以来、鎌倉時代に至るまで、時の天皇の父や祖父にあたる院(太上天皇)を中心に政治が行われた。院政期には、生後7カ月で即位した天皇が3年足らずで位を譲った例などもあり、退位は必ずしも天皇自身の意思で行われたものばかりではなかった。譲位後の上皇が政変に関わった例もあった。

 約200年前の江戸後期の光格(こうかく)天皇以来、天皇が生前に位を譲った例はない。1889年制定の旧皇室典範が天皇の生前退位を認めていないのはこのような歴史的経緯もあるとみられる。内大臣を務めた木戸幸一氏の日記によると、昭和天皇は終戦後、戦争責任を巡って「自分が一人引き受けて退位でもして納める訳には行かないだろうか」と話したと伝わるが、実現しなかった。(編集委員・宮代栄一)

■皇位継承で新しい年号に


 生前退位が実現すると、次の天皇には皇位継承順位1位の皇太子さまが即位する。いまの天皇陛下が即位した際には、歴代天皇が受け継ぐ「三種の神器」を引き継ぐ「剣璽(けんじ)等承継の儀」のほか、各国の賓客を招く国の公式行事「即位の礼」などの皇位継承の儀式が行われた。

 元号は、1979年に制定された元号法で「皇位の継承があった場合に限り改める」と一世一元制を定めており、新たな元号に改められることになる。

 天皇陛下が退位後にどのような地位となるかも、皇室典範改正をめぐる議論の俎上(そじょう)に載せることになる。江戸時代までは太上天皇、上皇などと呼ばれ、天皇に準じた待遇とされた。また、生活のための予算措置や住まいについても検討する可能性がある。

 さらに、皇太子さまの次の皇位継承者についても、重要な課題となる。皇室典範は皇太子について「皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という」と定める。跡継ぎを意味する皇嗣になるのは現行制度では直系の男子のみ。いまの皇太子ご夫妻に男子がいないため、次の皇太子がいないということになる。

 皇位継承順位が現在2位の秋篠宮さまは、現行制度では「皇太弟」とはならず、即位まで「宮家」の扱いにとどまる。皇太子家のお世話をする宮内庁の部署「東宮職」は設置されず、職員数や予算には制約がある。皇室典範改正の議論が行われる際には、こうした点についても検討されることになりそうだ。(編集委員・北野隆一)

■国民の声を聞き議論を 皇室の歴史や制度に詳しい古川隆久・日本大教授(日本近現代史)の話

 昭和天皇は、戦争責任の自覚から側近と退位について意見交換するなどしていたが、連合国軍総司令部(GHQ)の意向や退位後の問題などもあって踏みとどまった。戦後の象徴天皇制は世襲を前提に維持されており、政治権力から切り離された天皇の地位を担保してきたとも言える。

 天皇陛下が体力的な問題で公務ができなかったり、満足に公務ができないことがストレスになったりしている実態があれば対応しなければいけない。その場合、生前退位か、摂政を置くのか、どういうやり方が今の日本に合っているかを皆で考えることが必要だ。

 未成年や重病以外のケースなどで摂政を置くことや、皇室典範に規定のない生前退位は、安易に考えない方がいい。また、退位を認める基準や退位後の地位についても明確にし、恣意(しい)が入らないようにしないといけない。そのため、政令改正ではなく、きちんと議論したうえでの法改正、皇室典範改正をするべきだ。

 今回の事態は想定していない大きな出来事なので、国民の声を聞いたうえで十分議論することが大事だ。(多田晃子)

感想
天皇は男性だけ。生前退位はできない。
これらは明治時代に時の権力者が決めたことです。

天照大神は女性ですし、多くの女性の天皇がいました。
生前退位も多くの実績がありました。
それらを無視して今のようにしただけです。

視点を変えれば今の皇室典範が過去の歴史を反映していないだけなんだと思います。


石原良純、鳥越俊太郎氏への好意的発言が話題 ”自民都議連の姑息な拘束”

2016-07-15 20:00:00 | 社会
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e7%9f%b3%e5%8e%9f%e8%89%af%e7%b4%94%e3%80%81%e9%b3%a5%e8%b6%8a%e4%bf%8a%e5%a4%aa%e9%83%8e%e6%b0%8f%e3%81%b8%e3%81%ae%e5%a5%bd%e6%84%8f%e7%9a%84%e7%99%ba%e8%a8%80%e3%81%8c%e8%a9%b1%e9%a1%8c/ar-BBum3Ho?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp#page=2日刊スポーツ
 タレントの石原良純(54)が鳥越俊太郎東京都知事候補(76)について好意的な発言をしたとして、自民党東京都連が所属する国会議員や地方議員に配布した「都知事選挙における党紀の保持について」と題された文書の禁止事項にあたるのではないかとネット上で話題になっている。

 同文書は、都連会長の石原伸晃経済再生担当相、幹事長の内田茂都議らの連名で、党が推薦していない候補者を応援した場合、「除名などの処分対象になる」とし、議員本人だけでなく親族による応援も禁じる内容。「都知事選は東京五輪・パラリンピックを控えた都政のかじ取り役を決める極めて重要な戦い」とし、<1>党公認・推薦候補者以外の者の応援<2>党公認・推薦候補者を不利に陥れる行為<3>反対党の候補者の応援-を禁じている。

 石原は13日生放送のフジテレビ系「バイキング」に出演。鳥越氏が出馬会見の際に、憲法改正問題は東京都も無関係ではないとし「自分なりに流れを少し、元に戻す力になれれば」と、出馬を決めた理由のひとつとしてあげたことについて、「東京から国を変えるって最初に言い出したのは石原(慎太郎)都知事かな。最初は『何をこの人は言ってるんだ。何を急に言い始めたんだろう』って思ったけど、でも東京っていうのは、それだけ世界に発信できる力があるんで、その中で鳥越さんはそう思われた。それに違和感を持つ方もいるけども、僕は東京の力ってそういうのがあるし、その中で『物申したい』って出られたんだろうな、と」と理解を示し、「鳥越さんの今までのことを見てきた方は、信頼感を持たれる方も多いんじゃないですかね」と発言していた。

感想
”議員本人だけでなく親族による応援も禁じる内容”
本人はわかりますが、親族も禁止とは、良識ある大人の判断でしょうか?
日本の民法は、6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族を「親族」として定める(民法第725条)。ウィキペディアより
誰を応援するかは個人の判断で憲法でも信条の自由は保証されています。
自民党・公明の候補の増田氏の親族は全て増田さんの応援なのでしょうか?
もし、増田氏の親族の誰かが、他の候補を応援したら、都議連は増田氏を処分されるのでしょうか?
小泉元首相が原発反対で原発推進の自民・公明の増田候補以外の候補を応援するような発言があったら、小泉進次郎を処分されるのでしょうか?

江戸時代の五人組制度のような連帯責任を取らせているように思いました。

このような文書を考え、作成した人が政治を担っているとすると恐ろしいように感じました。
自分に反対するものは許さないと。一族郎党処罰だと。
豊臣秀吉の怒りをかって、秀次は切迫させられ、女子どもも皆殺しになりました。
そんな時代に戻ったような印象を受けました。

石原良純さんの発言を問題にすればするほど、自分たちがいかに社会の常識から外れているかをPRするかということを理解されていると良いのですが・・・。