幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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【本人寄稿】私が岸田首相に「逃げるんですか」と会見で問いかけた理由/Arc Times 編集長・尾形聡彦 ”記者会見というドラマをやっているだけ/自由な質問を受けつけない”

2023-06-04 03:34:34 | 社会

 G7広島サミット最終日の5月21日、岸田文雄首相の記者会見の最後に私は声を上げた。 
「総理、事前に決まっていた社だけではなくて、質問させていただけないでしょうか」 しかし、岸田首相は、明らかに聞こえていたのに無視し続けた。「1問だけでいいので」などと私が計7度言葉を継いでも、岸田首相は背を向けて帰ろうとした。最後に「総理、逃げるんですか」と問いかけた。それは、どうしても聞きたい、聞かなければならないと思った質問があったからだ。
  21日の広島は晴れわたり、コンクリートの回廊が続く平和記念公園は夏を思わせる陽気だった。午後2時すぎ、資料館近くの建物の日陰で待機させられていた記者たちに、日本政府のスタッフが「今は一番暑い時間帯ですからねえ」と声をかける。会見のスタート予定時刻の午後2時半まで10分を切ったとき、慰霊碑前の記者席にようやく案内された。
  私は、記者会見場の最前列で、首相の演台の目の前の席に座った。岸田首相になんとしても聞きたい質問があったからだ。
  会見前に、ある大手メディア記者が私にこう明かしていた。 「会見は30分間。会見で質問する社も、質問も、事前に全部決まっていますよ。官邸記者クラブ、地元の広島の記者クラブ、そして外プレ(外国プレス)です」 「えー、それはひどい。僕はどうしても質問したい」と私が問うと、大手メディア記者は「無理でしょうね。もう全部決まってますから」とにべもなかった。だからこそ、私は、岸田首相に一番近い、正面の席を確保し、そこで手を挙げて、なんとか質問したいと思った。
  静かな平和記念公園に午後2時40分すぎにあらわれた岸田首相は、冒頭で関係者への謝意を述べた後、「1945年の夏、広島は原爆によって破壊されました。平和記念公園が位置するこの場所も一瞬で焦土と化したのです」と切り出した。それから23分間にわたり、首相は左右のプロンプターを見ながら、演説を続けた。ようやく質疑応答に入り、四方敬之内閣広報官が「質問のある方は挙手をお願いします」と告げた。首相の目の前の一番目立つ場所から真っ先に手を挙げた私に、広報官は目もくれず、最初から後列の方を探し、「3列目の一番端の方どうぞ」と言った。
  大手メディア記者から「事前に全部決まっています」と聞かされていただけに予想はしていたものの、あまりに露骨な「やらせ」ぶりには驚いた。
その後も、私は最前列の中央で手を挙げ続けたが、四方広報官は、私とは目を合わせようともしなかった。そして、その場で手を挙げた記者を「たまたま」指しているようには全く見えない。最初からわざわざ後ろの席にいる、事前に決まった記者を指そうとしていた。記者も後ろから手を挙げてそれを待つ。その“下手な演技ぶり”に、あきれるしかなかった。それに合わせている、日本人記者や外国人記者にも強い疑問を感じた。
  事前に官邸側に通告されている質問内容を、事前に決まっていた記者が読み上げる。それを、岸田首相が、さもその場で答えているかのように、「えー」などと言いながら、メモに目を落として読み上げる。茶番としか言いようのない「記者会見もどき」「やらせ会見」であり、米ホワイトハウス高官や記者たちがよく言う「Kabuki(歌舞伎)」だった。・・・

感想
 外国人記者も、事前に決まっているそうです。
まさに、記者会見のドラマを演じているだけです。
 何故なのか?
それは、厳しい質問を避けるためではないでしょうか?
また質問に答えられないと、レベルが低いことが分かってしまうのを避けたいからでしょう。

 セミナーを行いますが、積極的に質問を受けるようにしてます。
質問から学ぶことが多いのです。
質問なかったり、質問に答えなかったら、ビデオを見ていればよいだけです。

 記者会見とは、本来自由に質問をしてもらう場です。
情けない首相だとご自分は思われないのでしょうか?
その点米国は流石です。
それが当たり前なのです。
記者会見ドラマを許している大手マスコミや国民に問題があるのかもしれません。

 普段から勉強されていないのかもしれません。
官邸で親族呼んで忘年会で首相になったのを満喫されているのでしょう。
その点、いろいろ問題ありましたが、田中角栄氏はよく勉強されていました。


「覚醒剤依存症患者が一番好き」闘う精神科医、松本俊彦さん 人のつながりが病を治す ”やっぱり、誰かと繋がっていたい”

2023-06-03 19:35:35 | 社会

一見病人ではない。だから「見えない病」と呼ばれる。苦しい記憶はすぐに薄れ、患者は今のままでいようとする。ゆえに「忘れる病」「治りたくない病」。ただ完治を願っても有効な薬はなく、「治らない病」でもある。薬物依存症。この厄介な、だが人間的な病の臨床にキャリアをささげる医師がいる。世の偏見を排し、患者とともに闘う中でその本質にたどり着いた。いわく依存症とは「依存できぬ病」である-。

「精神科医としてどんな患者が一番好きかと問われたら、私は迷うことなく『覚せい剤依存症』と答えるだろう」

精神科医の松本俊彦さん(55)が自身の半生をつづった『誰がために医師はいる』。読むと、ギョッとするような文句にあちこちで出くわす。昨今の精神科医療が安易な睡眠薬・抗不安薬処方により依存症を作りだしているとして、研修会などで「精神科医は白衣を着た売人だ」と警鐘を鳴らしていたら、同業者から怒りの抗議が殺到し、身の危険を感じた-とあけすけに書いてしまう。

30年近い臨床経験に基づく秀逸なエピソード、人柄がにじむウイットに富んだ文体。依存症治療の現場という特殊な分野をテーマにしながら、昨年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

松本さんが描写する依存症患者は、いずれも〝血の通った〟人間ばかりだ。その臨床の現実にわれわれ読者が驚くのは、それだけ患者を見る目がステレオタイプ化しているためだろう。

「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」

かの有名な警句を日本民間放送連盟が公共広告として放映した昭和58年以降、覚醒剤依存症患者とは、すなわち「廃人」だった。

だが少年矯正の現場でも活動する松本さんは、かつて少年院で出会った少年の逸話をもとに、廃人視への「否」を唱えるのだ。

少年は松本さんに「中学時代の薬物乱用防止教室がつらかった」と明かした。父親が覚醒剤で刑務所に入っていたからだ。「俺の父親は人間じゃないのか。だったら子供の俺も人間じゃないなって」

日本人の薬物使用生涯経験率(一度でも違法薬物を使った経験のある人の割合)は2・3%、覚醒剤に限るとわずか0・5%だ(厚生労働省の平成29年度調査)。欧米各国と比して格段に低く、それだけ一般予防の政策が奏功しているとも言い得る。

反面、大多数の国民が薬物に関わらない社会は、その枠からそれた数%を「快楽を貪(むさぼ)った人間の末路」と見なし、罰すること以外の視座をほとんど持ち合わせない。松本さんは「日本の薬物対策は取り締まりと管理ばかり。使う人間に対する対策がなされていない」と嘆く。

無意味な説教

精神科医として働き始めて3年目。大学精神科の医局人事で依存症治療専門の「せりがや病院」(現神奈川県立精神医療センター、横浜市)へ異動を命じられた。当時の精神医学では、統合失調症を診ることが王道。退院すればすぐにクスリを再使用する依存症患者は「診たくないランキング1位」だった。

依存症の治療経験もなく、できることは説教だけ。患者を「ビビらせる」ため健康被害についてことさら話を盛った。

そんな折、ある患者との出会いがその後のキャリアを変えた。それは「後頭部をバットで打たれたような」衝撃の体験だった。

診察室にやってきたその覚醒剤依存症の中年男性は「害の話は聞きたくねぇ!」と松本さんの説教を大声でさえぎった。「自分の体を使って15年以上、臨床実習してるんだ。害なんてあんたに教えてもらわなくても、俺の方が詳しい」

それでも病院に通う理由は何か。「クスリのやめ方を教えてほしいからだ」と男性は言った。松本さんは黙り込むことしかできなかった。

握りしめた携帯電話

なぜ一部の人間だけが依存症になるのか。わが国の依存症患者の5割以上には別の精神障害の合併が認められるという。また「10代のうちから薬物を使う子供の多くは、消えたいとか、死にたいとか思っているんですよ」。近親者からの身体的・性的虐待、壮絶ないじめ被害の経験…。薬物と同時にリストカットに走るケースも少なくない。松本さんはここから、自殺予防や自傷行為の研究にも乗り出すようになる。

自殺の研究で力を入れたのは実態調査。自殺者の遺族や知人から、亡くなる直前までの詳細なヒアリングを行い、故人のメールやSNS(交流サイト)の投稿にもあたる。「心理学的剖検(ぼうけん)」という調査手法だ。

そこで学んだのは、当事者が強く自殺を決意した場合は支援に限界があるという厳しい現実。だが同時に、最後まで死にゆくことを迷っているという事実だった。

「自殺の名所」と化していた巨大橋梁(きょうりょう)の管理会社から対策を依頼されたときは監視カメラの映像をつぶさに調べた。そこから飛び降りる人が直前まで握りしめていたのは、そろって携帯電話だったという。

松本さんの先のエッセーには次回の診察予約を保留した鬱病の男性患者がそのまま自殺してしまったエピソードが紹介されている。最後の瞬間まで迷いながら自殺する人、引き返す人。生死を分かつものは何なのかを考え、松本さんは後悔を込めてこう書いた。

「次回の診察予約をとること自体に治療的な意味があり、予約の有無こそが生ける人と死せる人とを隔てるものなのだ」(『誰がために医師はいる』)

生きのびるための不健康

「もしクスリを使っていなかったら、自分の人生どうなったんだろうなって」

14歳のときのシンナーに始まり、以後あらゆる違法薬物を使ってきたという女性患者は松本さんの前でこう自問自答した。「たぶんクスリを使っていなかったら、私死んでいたと思う」。薬物が体にあるときだけは自殺念慮が消え「生きられる」に変わった、と。

駆け出しの松本さんには「なんとも都合のいい自己弁護」に聞こえた。だが、その後も他の患者から同じような話を聞くにつけ、ハッと気づかされたという。

「アディクション(依存症)とそこからのリカバリー(回復)は反対のようで実は連続線上のもの。生きのびる手段の一つとして薬物があるのではないか」

つまりクスリは、どこまでも薬なのだ。「快楽」を貪るためではなく、トラウマなどの「苦痛」を緩和するためのもの。酒やたばこと同様に、誰しもが経験したことがあるであろう「生きのびるための不健康」。そうだとすれば、依存症治療のあるべき姿は、薬物に代わる安全で健康的な何かで、患者を支えることにあるはずだ。

人生をかけて

松本さんらのチームは平成18年、覚醒剤依存症の治療プログラム「SMARPP(スマープ)」を立ち上げた。患者同士のグループセッションを通じて依存症のメカニズムを学んだり、薬物の欲求を高めるトリガー(引き金)が何かを互いに話し合ったりする。

薬物をやめること自体は簡単だ。入手できない場所へ隔離すればいい。難しいのはやめ続けること。松本さんによれば、再使用のタイミングは、刑務所出所直後や退院直後が最も多い。

そこでスマープは、断薬の期間ではなく治療の継続に重きを置く。セッションでは薬物使用の近況について参加者同士で話し合う。尿検査で覚醒剤反応もチェックする。

「実は昨日またやっちゃったんです」

今にも泣き出しそうな声で、セッションでそう告白する参加者も少なくない。それもまた治療の観点からは大きな前進だという。「失敗してもセッションに来るのは『変わりたい』という気持ちが強いから。このままじゃいけないって」

尿から覚醒剤反応が出ても、決して警察や家族には伝えない。患者が再使用してしまったことを安心して打ち明けられる唯一の場所として、スマープを機能させるためだ。

スマープやそれに準じた取り組みは今や全国に広がっているが、「一番大事なのは始まる前と終わった後の雑談の時間なんですよ」。スマープにはリハビリ施設職員も参加している。つながりができれば、患者はプログラムを終えても自主的に治療を続けられる。

薬物依存症とは、クスリという「物」に依存する病だ。それは「人」に依存できなかったことの裏返しでもある。依存症は「孤立の病」。薬物に代わる安全で健康的な何かとは「人とのつながり」に他ならない。

「依存症患者はみんな噓つきだし、いつも自分を大きく見せようとする。でもそこが人間臭くて。自分と似てる感じがして」。依存症治療の国内第一人者となった今も、その視線は患者と同じ位置にある。

「僕らの武器は耳と口だけなんですよ。もうそれが何かすごくね、キャリアをかけるなら、これが一番いいんじゃないかって思ったんですよ」

まつもと・としひこ 昭和42年、神奈川県小田原市出身。平成5年に佐賀医科大を卒業後、研修を経て国立横浜病院精神科、神奈川県立精神医療センターなどで勤務。海外の薬物依存症対策を参考に、覚醒剤依存症治療の独自プログラム「SMARPP(スマープ)」開発を主導するなど研究の第一線で活躍する。平成27年から国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。

取材記者は…変えるべきは自分の視線  藤木祥平記者

学生時代に米ニューヨーク州に留学していたとき、夜に窓を開けるとしばしば大麻の臭いが漂ってきた。ルームメートが教えてくれるまでそれが大麻の臭いだとは知らなかったわけだが、これが人生初の違法薬物との接点だった。

米国ではこれだけ薬物が身近に存在しているのかと当時衝撃を受けたのだが、ひるがえって「日本が薬物に縁遠い」というのは思い込みに過ぎなかったようだ。松本さんによれば若年層で今、最も深刻なのはドラッグストアで購入できる市販薬の乱用だという。

一方、違法薬物で逮捕された芸能人は、釈放時に警察署の前で国民に謝罪するのが慣例となった。それを取り上げるワイドショーでは白い粉と注射器のイメージショットを繰り返し放映し、芸能界の薬物汚染の深刻さを憂うコメントをそえるのが定型となっている。

だが、そのイメージショットが依存症患者の薬物欲求を高めるトリガーになっていると松本さんは言う。したり顔の報道が薬物依存を再生産しているという指摘は、重い。

米俳優、ロバート・ダウニー・Jr.さんは薬物依存で何度も逮捕され、刑務所にも収監されたが復活、映画ではスーパーヒーローチーム「アベンジャーズ」の一員にもなった。では、わが国で何度も逮捕されているあの元有名人が、ヒーロー役で返り咲く姿を想像できるだろうか。まず変えるべきは、自分の視線なのだと気づかされる。(藤木祥平)

感想
シャーロックホームズも薬物中毒の設定でした。
ドラマで、薬物中毒者の回復のための薬物中毒者の会合のシーンもありました。

人は弱いので、簡単に手に入るとつい試してみて、そこから底なし沼に陥るのかもしれません。
今薬局で簡単に手に入るOTC薬品のオーバードーズが増えているそうです。
生きていることが苦しい。
薬を飲むとそれを忘れることが出来るのでしょう。
リストカットも生きる苦しみ、自殺したい願望を少し和らげてくれるのかもしれません。

米国では薬物依存、アルコール依存などはハンディキャップ法の対象として守らないといけないとなっています。
病気なのです。ところが日本では、「本人の問題」として片付けがちです。
病気で苦しんでいるんだと認識することがスタートなのかもしれません。

「あなたは大切な人」と思ってくれる人がいるかどうか。
そんな人がいれば、その人のために、とりあえず今日頑張って生きようと思って何とか生きられるのかもしれません。
自分が逆に誰かを「大切な人」と思える人ができるとそれも生きる上での大きな力になるかもしれません。

『心の絆療法』はそのことを教えてくれています。




処方と違う薬渡された患者、薬剤過敏症で入院…薬剤師が「ダブルチェック」怠りミス ”ダブルチャック忘れたからではなく、調剤した薬剤師と確認した薬剤師二人のミス、三人目いても気付かなかった可能性大”

2023-06-03 13:52:48 | 社会

 兵庫県三田市は2日、市休日応急診療センター(天神)で、薬剤師が医師の処方内容と違う飲み薬を50歳代の女性患者に渡すミスがあったと発表した。女性は薬剤過敏症で入院したが、現在はほぼ回復したという。 
 発表では、女性は5月21日午前、発熱などでセンターを訪れた。受け取った漢方製剤を夜までに2回服用したところ、全身の発疹や下唇のはれを発症した。
 女性は薬が処方内容と違うと気付き、深夜に市民病院の救急外来を受診。薬剤過敏症と診断されてそのまま入院し、点滴を受け、23日に退院した。
 本来は薬剤師2人で処方内容を確認すべきところを怠り、1人で済ませたのがミスの原因とみられる。女性は「薬をもらう際、説明もなかった」と話しているという。
 センターは市が市医師会に医師派遣を委託するなどし、休日に診療している。市は女性に謝罪し、とした。

感想
 普段から不適切なことをやっている薬剤の扱いのようです。

調剤した薬剤師が間違えた
⇒根本原因は調剤した薬剤師がミスしたことです。
 ダブルチェックしなかったことではありません。

確認した薬剤師が間違えた
⇒普段から確認が不適切だったから発見できなかったのです。
 指差し呼称で確認していなかったのでしょう。

二人の確認なのに一人だった
⇒小林化工の健康被害を起こした製造所でも、ダブルでの作業を一人で行っていました。普段からルールを守っていなかった可能性大です。

薬剤の説明しなかった。
⇒薬剤の説明をしたということで説明料をとっています。
 「金返せ!」の問題です。

「ダブルチェックの徹底で再発防止を図る」
⇒確認者を増やしてもまたミス増えます。
本当の原因を正しく理解し、その対応をしないといけないのですが、市の担当者は分かっていないようです。

「精神科医Tomyの気にしない力 たいていの心配は的外れよ」Tomy著 ”気になるから、良くなる”

2023-06-01 15:42:15 | 社会
・気になるのは、問題が多いからとは限らない。心配事を探してしまうからよ。

・人生は意外と短い。それがわかれば「気になる」時間がもったいないわ。

・「嫌われてるかも?」たいていそれは思い込みだし、そもそもどうでもいいことよ。
 自分の大切な人がいれば、それでいい。

・たいていの心配は的外れだと理解する。

・嫌われてもいい。

・明日できることは、明日でいい。

・相手はあなたの言ったことなんてほとんど忘れているものよ

・ミスをしたら気にするんじゃなくてカバーする

・他人の言葉は参考程度

・自分の気持ちに、嘘をつかない

・「普通」や「常識」を恐れない

・それでも気になるときのセルフケア
①「気になる」を予防する
1)一番最近で気になったこと、あるいは今きになっていることから書き出してみます。
2)その気になったことをよく考えて、もっと普遍的な「気になる」状況に置き換えてみます。
 「誰かを怒らせると気なる」
3)自分が気になる状況が明らかになったら、それを予防する方法を考えてみます。
②「気になる」のレベルを把握する
③別のことに取り掛かる

・直接「気になる」から自分を切り離す方法
1)時間、分量による切り離し
  「気になることは〇時まで考える」と決めてしまう。
2)場所による切り離し
 「気にする」場所を決める。仕事のことは職場にいるときだけ考える。
3)外部による切り離し
 「気になる」をTo doリストやスケジュール、メモなどに片っ端から放り込んで、必要なときに思い出せるシステムを作っておく。

・他人と自分を切り離す
「気になる」人の中には、「自分の問題と他人の問題をごっちゃに考えて気になり続ける」というタイプの人がいる。こういう人が抱えている問題は次のものがあります。
①問題を整理できない
②距離の近すぎる人がいる
③自分を世間体や常識と比較する
④自分の人生にとって大切なものの優先順位をつける

・「気にしない」というのは「自分軸がある」ということと、ほぼ同義なのです。

・「自分のやりたいこと」に意識して大切にする。


感想
生きているから、「気になる」のです。
・人に嫌われているのではないか
・失敗するのではないか
・周りの評価が悪くなるのではないか
・人に迷惑かけていないか
・病気になるのではないか
・仕事がなくなるのではないか
・友だちがいないくなるのではないか ・・・
いくらでも出て来ます。

逆に考えると
・人に嫌われてもよい
・失敗してよい
・周りの評価が悪くなってもよい
・人に迷惑かけても仕方ない
・いつか人は病気になる
・仕事はいつかなくなる
・友だちがいなくてもよい
となります。
だったら、今好きなやりたいことを周りを気にせずにやれば良いのではないでしょうか?
それが周りの人を傷つけなければ問題ないです。
万が一傷つけることがあったら、その時素直に謝れば良いのです。

これは悟りに近いかもしれません。
まさに「色即是空 空即是色」、般若心経の世界です。
拘るから、苦しみが生まれるのです。
ところが、そこまで悟れないので苦しみがあるのでしょう。

視点を変え、苦しみを味わうのもまた意味があると思うと苦しみが人生を彩り豊かにしかつ深めてくれるかもしれません。
つまり、苦しみにも「意味がある」と思うと、その苦しみに対処することで成長する機会にもできるのです。

私は気になることがあったとき、それが最悪のケースになった場合を想定します。
そして、「命があるならまあよいか」と思うようにしてます。
先ず命にかかわるようなことはほとんどありません。
ガンでステージ4になっても、そう簡単には今は死なないようです。
それに時間がありますから、その時間それこそ、周りを気にせずに好きなことをすれば良いのです。
できればステージ4と言われる前に、今好きなことをすれば、もっと好きなことをする時間が増えます。

それと、やはり「楽しい」ことをやることが人生を過ごすコツかもしれません。
「楽しい」こととは、幸せホルモンを増やすことです。
・美味しいものを食べる。
・好きな人とお話などの時間を持つ。
・好きなことに集中する。
・行ってみたいところに行く。
・誰かのために何かのためにする など
勇気をだしてやってみることなのでしょう。
時間は限られています。