平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

八重の桜 第20回「開戦! 鳥羽伏見」~このいくさの行き着く先は地獄だ!

2013年05月20日 | 大河ドラマ・時代劇
 鳥羽伏見の戦いを見事に描きましたね。
 西郷(吉川晃司)が平和的解決でなく、幕府とのいくさにこだわるのは
「人は大きく変わるのを怖れる」
 だから、幕府を完膚なきまでに打ちのめし、もはや徳川の世でないことを示さなければならない。
 すなわち
「国を更地に戻すには血を流す必要がある」。

 明治維新が<革命>か<改革>であるかは、歴史家によって意見の分かれる所ですが、日本の場合は面白いですね。
『フランス革命』『ロシア革命』、いずれも古い秩序の象徴である王室を滅ぼした。
 ところが、日本の明治維新では皇室を残し、立憲君主制に移行した。
 これが、維新が<改革>だと言われる所以ですが、一方で幕府を倒すという<革命>の要素をもある。
 いったい、明治維新はどちらなんだろう?
 こういう西洋の歴史モデルに当てはめること自体が間違いなのか?

 ちなみに自民党の憲法改正草案・前文にはこんな表記。
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」。
 このように自民党も新たに<天皇>を持ち出して来ている。
 日本の歴史においては<天皇>がさまざまな形で登場してくるんですね。

 さて話を鳥羽伏見に戻すと、この一連の動き、すべて西郷の手のひらの上で転がっているような感じですね。
 慶喜(小泉孝太郎)は必死に抵抗するが、役者は西郷の方が上、「もはや戦うしかない」所に追い込まれる。
 そして鳥羽伏見で幕府軍が敗走すると、西郷は
「機は熟した。ここで錦旗をあげれば、われらは官軍、慶喜は朝敵」とほくそ笑む。
 今回は、歴史のダイナミズムが見事に描かれていて、特に面白かった。

 林権助(風間杜夫)に関しては、身につけていた鎧が昔ながらの物であった所が興味深かった。
 これは会津が近代装備ではなかったことの象徴。
 どんなに会津魂があり、精神力があっても武器の優劣には勝てないというシビアな歴史の現実。
 もし装備で劣る者が活路を見出すとしたら、敵の側面を突こうとした新選組のようなゲリラ戦法しかない。

 会津の八重(綾瀬はるか)パートも、会津が前近代的あったことを描いていく。
 何しろ八重たちがしていたことは、お守り作りと歌。
「使う武器は違うけんじょ、私たちの思いは同じですね」という八重と中野竹子(黒木メイサ)の心の交流はあったが、竹子が持っているのは近代装備からは程遠い薙刀。
 <昔ながらの鎧><お守り><和歌><薙刀>。
 おまけに会津は朝廷に歯向かう逆賊で、精神的支柱も弱い。
 これでは会津が勝てるわけがない。

 悲愴な歴史がいよいよ始まる……。

コメント (12)
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