平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「国葬に反対するのは日本人ではない」という論に違和感をおぼえる

2022年08月03日 | 事件・出来事
 安倍晋三氏を銃撃した山上徹也を「義士」と讃える声がある。
 これを受けて門田隆将、一色正春と言った右派言論人はこんなことをツィート。

『自分が気に入らない人間を殺した暗殺者を“義士”扱いする文化は日本にはない。
 だがソウルにいけば“安重根義士記念館”があり間違いだらけの歴史解説を聴く事ができる。
 また亡くなった方を鞭打つ文化も日本にはない。
 だが中国では当り前。
 これに踊らされている日本人は自らの姿を見つめ直す事をお勧めする』(門田隆将)


 もちろん山上徹也を「義士」と讃えることは間違いだし、法の裁きを受けるべきだと思うが、
 相変わらずの「日本スゴイ!」「中韓憎し」の内容である。

 暗殺者を「義士」扱いする例は日本にもたくさんあるのにね。

 一番わかりやすいのは『赤穂浪士』。
 日本人は『忠臣蔵』が大好きだ。
 壬生の義士『新選組』も大人気だ。

「桜田門外の変」で大老・井伊直弼を暗殺した浪士たちは靖国神社に祀られている。
 2・26事件や5・15事件を起こした青年将校たちには「助命・減刑」の声があがった。
 社会党の浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢も右派に間で「義士」になり、毎年追悼行事がおこなわれている。

「亡くなった方を鞭打つ文化も日本にはない」とい門田氏は言うが、さらし首とかは結構、鞭打ってると思うけどなあ。
 社会党の土井たか子氏が亡くなった時は喜びのツィートをあげている人がいたけど。

 門田隆将、テキトーなことを言うんじゃないよ。
 …………………………………

 さて、今回なにを言いたいかと言うと、
 人間の本質は変わらない。
 ということである。
 人間の本質に、日本、中国、韓国といった国や民族は関係ない。

 もちろん文化の違いで、多少の違いはあるとは思うよ。
 でも文化っていうのは、コンピュータに例えれば「ソフト」であり「アプリ」のようなもの。
 簡単に上書きされるし、別の便利なソフトがインストールされれば、そちらばかりを使うようになる。
 文化というのは人間の本質というOSの上に乗っかったアプリやソフトに過ぎない。
 現に戦後日本はアメリカナイズされた。
 僕たちは『三国志』や韓流ドラマが大好きだが、それを理解できるのはOSが同じだからだ。

 だから、日本人ガー、中国人ガー、韓国人ガーという議論は実にむなしい。
 ………………………………

 門田氏らは上記のツィートをした後、さらにこんなふうに論を展開する。

「日本人はどんな人物であっても死者を悼む民族である。
 だから日本人なら安倍晋三氏を悼むべきである。
 国葬に反対している人たちは日本人ではない」


 僕がイヤなのはこれなんだよなあ……。
「日本人なら○○しなければならない」
「○○しないのは日本人ではない」
 この強要!
 大きなお世話だ!
 こちらは「国家」とか「民族」ではなく「個人」で生きている。

「国家」「民族」という概念は僕たちのOSに根深く組み込まれていて簡単には消えないだろうが、
 人類の歴史が進めばなくなる気がする。
 人が「個人」として他者と向き合う。
 シンプルなことに見えるが、OSに根深く組み込まれたソフトがこれを邪魔する。
 国家主義者・民族主義者が折に触れて強要してくる。

コメント (2)
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