平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

相棒 「かもめが死んだ日」~君は心底愛した女性のために人を殺すことが出来ますか?

2013年12月12日 | 推理・サスペンスドラマ
 今回は犯人と馴染み客・源冨三郎(外波山文明)の対比で見てみると面白い。
 犯人は、心底愛した女性・小西皆子(三津谷葉子)のために人を殺し、逆に皆子に強請られて彼女を殺してしまう。
 愛と憎は裏返しだというが、犯人が犯したふたつの殺人はまさにそれ。
 そして重い。
 女性に執着しまくりだ。

 一方、冨三郎の皆子への思いは軽い。
 遊びとして割り切っている。
 彼の軽い生き様はこんなせりふにも表れている。
 保険金目当てで皆子を殺したのではないかと伊丹たちに尋問を受けた時のことだ。
「人生、一度くらいブタ箱に入る経験をするのも愉快じゃないか」
 これを<粋>という。
 余裕のある大人の態度と言ってもいい。

 人生、冨三郎のように生きたいものですね。
 物事を深刻に考えない。
 執着しない。
 遊んでいるかのように飄々と生きる。
 愛する女性のために人を殺し、そのことを女に「バカじゃないの」と言われ、結果、強請られて殺すなんて<野暮>の極み。

 冨三郎の<粋>は、彼が皆子を葬って供養したことにも表れる。
 どんなに罪深い人間でも、死んでしまえば皆同じ。
 どんなに悪女でも、自分に良くしてくれたことは変わらない。
 犯人にとって皆子は悪女だったが、冨三郎にとっては、酒を酌み交わして愉しませてくれたいい女だったのだろう。

 それは享(成宮寛貴)にとっても。
 享にとって、皆子は<小学校の時に結婚の約束をした女の子>のイメージのままだ。

 三人三様の皆子。
 人はそれぞれのイメージの中で生き続ける。


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