いつはとは ときはわかねど あきのよぞ ものおもふことの かぎりなりける
いつはとは 時はわかねど 秋の夜ぞ もの思ふことの かぎりなりける
よみ人知らず
いついつがふさわしいと時を区切るのは難しいけれど、秋の夜こそが物思いにはふさわしいことだ。
「わく」は「分く」。時を分けることはできないということ。「かぎり」は極限、極致の意で、物思いにふけるのにふさわしいのは秋の夜こそがその極致だというわけです。観念として秋の夜というものを物思いと結び付けて詠んだようにも読めますが、実際に何かを思い悩んで物思いにふける自分を顧みて、これほどまでに物を思えるのは秋の夜だからなのだと感じた実体験を詠んだ歌のように私には思えます。