七月七日
ひととせに ひとよとおもへど たなばたの あひみむあきの かぎりなきかな
一年に 一夜と思へど たなばたの あひ見む秋の かぎりなきかな
七月七日
一年に一夜しか逢えないとはいえ、七夕の夜の彦星と織姫との秋の逢瀬は、いつまでも限りなく続いていくのであるよ。
このあと 408 にも、第三句までほぼ同一の歌が登場します。
この歌は、拾遺和歌集(巻第三「秋」 第150番)に入集しています。
七月七日
ひととせに ひとよとおもへど たなばたの あひみむあきの かぎりなきかな
一年に 一夜と思へど たなばたの あひ見む秋の かぎりなきかな
七月七日
一年に一夜しか逢えないとはいえ、七夕の夜の彦星と織姫との秋の逢瀬は、いつまでも限りなく続いていくのであるよ。
このあと 408 にも、第三句までほぼ同一の歌が登場します。
この歌は、拾遺和歌集(巻第三「秋」 第150番)に入集しています。
五月あやめ草
さつきてふ さつきにあへる あやめぐさ むべもねながく おひそめにけり
五月てふ 五月にあへる あやめ草 むべも根長く おひそめにけり
五月あやめ草
毎年五月になると逢えるあやめ草は、だからこのように根が長く伸びてきているのだろう。
五月の節句にはあやめの根を引き、それが長いものほど賞美された慣習に基づく詠歌。いくつか類歌がありますが、特に次の 517 は良く似ています。
としごとに けふにしあへば あやめぐさ むべもねながく おひそめにけり
年ごとに 今日にしあへば あやめ草 むべも根長く おひそめにけり
四月賀茂詣で
ゆふだすき かけたるけふの たよりには ひとにこころを かけつつぞおもふ
ゆふだすき かけたる今日の たよりには 人に心を かけつつぞ思ふ
四月賀茂詣で
祭官が木綿襷を掛けた賀茂祭の今日の縁で、逢瀬を願う恋人のことを心のかけて思ふのであるよ。
神職が「かけ」る木綿襷から、人に心を「かけ」る思いを導く手法。021 にも類歌がありました。
三月、池の中島に松、鶴、藤の花あり
まつもみな つるもちとせの よをふれば はるてふはるの はなをこそみめ
松もみな 鶴も千歳の 世をふれば 春てふ春の 花をこそ見め
三月、池の中島に松、鶴、藤の花がある
松も鶴も千年の世を長らえるのだから、巡って来る春という春すべての藤の花を見るがよい。