Year In, Year Out ~ 魚花日記

ロッドビルドや釣りに関する話題を中心に。クラシック音楽や本、美術館巡りに日本酒も。

フェルメール・クァルテット演奏会

2007年10月07日 | 音楽

アメリカの弦楽四重奏団、フェルメール・クァルテットの演奏会に行ってきました。

今年で結成38年の弦楽四重奏団ですが、今年限りで引退することになっており、今回の公演が日本でのファイナル・コンサート。演目はベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲で、今日10月7日が6回に分けて行われたコンサートの最終日でした。

以前も書きましたが、この日の演目の一番最後、つまり今回の一連のコンサートの一番最後の曲目が、私が最も好きなベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調、お目当てはこの曲です。この曲だけが聴きたくて3ヶ月も前からチケットを買ったようなものです。

私のような素人がその演奏を云々言っても始まらないのですが、それは素晴らしい演奏で、まさに心を洗われるような感動を味わいました。緩と急、静と動、いぶし銀とはこのことで、変幻自在の演奏に魅了されました。若い演奏家の切れ味鋭い、テクニックの効いた演奏もビリビリ痺れて楽しいのですが、こういう円熟味のある、落ち着いた深い演奏に触れると、それがこの曲独特の暗さ深さと相俟って、ずしりと内省的な感覚を呼び覚まされるような気がします。

クラシックの演奏会では、演奏が終わった後、鳴り止まない拍手に応えて演奏家がステージに戻ったり引っ込んだり、これをカーテンコールと呼びますが、今回のカーテンコールは6回か7回も続いたでしょうか。この曲がこの一連のコンサートの締めくくりとあって、アンコールの演奏が無いことは聴衆誰もが知っていながらも、拍手が鳴り止みません。しかも、カーテンコールの数を重ねるたびに、客席で立ち上がって拍手をする人が増えていき、私は2階席で聴いていたのですが、見下ろす1階席の前方は最後は殆どの人が立ち上がっていたのではないでしょうか。

ともかく、最後に「これで終わり」という合図にホール全体が明るくなるまで、拍手は鳴り止みませんでした。何とも言えない満たされた気分。恐らく今日は多くの聴衆が私と同じ感覚を味わったに違いありません。それくらい密度の濃い、いい演奏会でした。

    

今日の場所は紀尾井ホールでしたが、珍しく明るいうちのコンサートだったので、四ツ谷駅までの帰り道、土手を登って高台の遊歩道を歩いてみました。恐らく桜でしょう、その季節になればとても綺麗だろうなぁと思いながら、ゆっくり歩いて行きます。



帰りはちょうど夕暮れ時で、新宿側の街並みに夕陽が落ちていく様子をしばし立ち止まって眺めていました。弦楽四重奏の演奏を聴いて人生を感じるというのはあまりに感傷が過ぎるのかも知れませんが、20年前、大阪のザ・シンフォニーホールに通って弦楽四重奏をむさぼるように聴いていた頃の情熱も今はなく、けれど音楽が好きな気持ちに曇りはなく、逆に心のもっと深いところで音楽が好きなのだなと、何だか一人納得したような気分になりました。

次々とその坂を越えていく先輩を笑っているうちに自分もついに不惑の歳になりましたが、夕暮れの並木道を歩きながら柄にもなくこんな感傷的なことを考えてしまったのはそのせいもあったかも知れません。すれ違う学生さんを見ながら、また手を繋ぎながら先を歩く老夫婦を見ながら、四ッ谷駅までの道を歩き、電車に乗って帰ってきました。

    

釣りも音楽も、仕事も友だちも、歳とともにそのつきあい方のスタイルが変わっていきます。後から考えれば滑稽に思えるようなことも、その時々では一生懸命にやっていることで、そうした積み重ねが加齢と経験に繋がっていくような気がします。20年前に初めて聴いたベートーヴェンは、今の自分にとってのベートーヴェンと違うかもしれないけれど、その時々で体一杯に感じた音楽は、自分の分からないところで自分の内面を変えていっているのだと思います。20年後に聴くベートーヴェンがどんな音楽なのか、それはまだ分かりませんが、その時を気長に待ちながら、これからも音楽と付き合って行きたいと思います。

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