渋谷のBunkamuraで開かれている「モネとジヴェルニーの画家たち」展に行ってきました。
ジヴェルニーはパリの北西にある小さな村。1883年からモネ(当時42歳)が移り住んだところですが、有名なのはその邸宅の庭に池を設え、睡蓮の連作に取り組んだこと。また、積みわらの連作もこの地で描かれています。
このジヴェルニーという小さな村に、海外から色々な画家が訪れ(その中には日本人も含まれます)、芸術家たちの一種の共同体(コロニー)が形成されることになった由。今回の展示は、このジヴェルニーに集まった画家の作品を、本家モネの作品を中心に、概観しようというもの。
印象派をフランス国外でいち早く認知していたのはアメリカですが、このジヴェルニーを訪れた芸術家の何と7割がアメリカ人だったとか。そういう経緯で今回も、初めて名前を聞くアメリカ人の画家の作品がたくさん並んでいました。
しかし、今回の展示を観た後の個人的な感想を言ってしまうと、それらは結局、本家モネの作品を改めて浮かび上がらせるものでしかなかったような気がします。
特に、モネの睡蓮。
実はこれまでモネの睡蓮はどれを観ても同じように見えて、正直あまり得意ではなかったのですが、今回、腰を抜かすくらい驚いたと同時に、自分の無知を改めて思い知らされました。
以下、睡蓮の三連発です。
(モネ「睡蓮、水の光景」1897-98年、ワズワース・アシニアム美術館蔵) ※展示は2月7日まで
睡蓮と言いながら、モネが本当に描写したかったのはその水面。そこに落ちる光の反映を、何とかキャンバスの上に定着させようとします。
それは短い期間にどんどん進化します。以前もご紹介したボストン美術館のこの作品とは、期せずして嬉しい再会。
(モネ「睡蓮の池」1900年、ボストン美術館蔵)
それが最後はこうなります。
(モネ「睡蓮、柳の反影」1916-19年、北九州市立美術館蔵)
光の反映ではなく、影の反映。関西の某師匠が仰るように、これはモネが晩年目を悪くしたことにも大きく関わっているのだと思います。しかし、光ではなく影を、水面に落ちた柳の影を描くのに、この色を使うでしょうか?
いや、モネにはこの色に見えたのでしょう。見えたに違いありません。
この時、モネは80歳の少し手前。亡くなるのは1926年です。
この絵は展示の一番最後の壁に掛かっていたのですが、この絵の前で足元から全身に震えが走るのを止めることが出来ませんでした。
目が見えていても、見えるものは少ない。
目が見えていなくても、見えるものは見える。 見えないものまで見えるかも。
そんなことを考えた一夜でした。
モネとジヴェルニーの画家たち
Bunkamura ザ・ミュージアム
2010年12月7日~2011年2月17日
育成は難しくないということで自宅でもやりたいと思っていましたが、
陽が当たることが必須ということで、我が家の狭いベランダでは無理。
いまのところは保留中です(笑)
個人的には熱帯性の睡蓮の色合いが非常に好き。
モネの睡蓮はヨーロッパの気候から考えると温帯性かな?
魚花さんも実物見られるとモネの睡蓮の素晴らしさを
最実感できるかもしれませんよ(笑)
よく釣りに行った野池の近くにハスの花が咲いている池があり、
冬になるとオッチャンが泥だらけになって蓮根を掘っているのを
見たような気がします。
多分あの薄赤い色の花が睡蓮の花だったと思うのですが、
残念ながら当時の悪ガキにはその美しさが全く理解出来てなかったようで、
水面を埋め尽くした睡蓮の葉っぱの上に石を放り投げて沈めようとしたり、
そんなことばかりしていました。
ああ恥ずかしー