年末に気合を入れて本の整理をしたのですが、自分としては相当思い切って処分したつもりなのに、それでもなお溢れかえる本の山。しかも、普段は見えない棚の奥の本が出てきてしまったために、それを手にとって拾い読みをしているうちに時間を忘れてしまいます。
大学に入ってペーパーバックを読むようになったのは単位を取るという必然に駆られてのことでしたが、それでも人の好みというのはそれぞれで、周りの友人も興味の矛先がそれぞれのジャンルに分かれて行きました。私の場合はヴィクトリア朝の英文学がそれで、その頃辞書を引き引き読んだペーパーバックは、今も大切な宝物です。
久しぶりに手に取ってみると、背中の糊は乾いてバリバリだし黄ばんでいるしで見る影もないのですが、其処此処に残るメモを見ていると、20年前の学生時代にタイムスリップしたような気がしてきます。当時、田舎の高校を出たてでろくに英語も使えない学生がどれだけのものを理解出来たかは甚だ怪しいのですが、それでも一生懸命メモを取りながら読んでいたあの時間は、受験勉強の時とは違った頭の一部分がフル回転していたはずで、それが知らず知らずのうちに自分の力になっていたのだろうと、後に仕事で英語を使うようになって思いました。
そんな私が学生時代に読んで一番感動した本は何かと問われれば、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』を挙げます。英語としては非常に読みづらく、とても朝晩の通勤電車の中で読もうとは思いませんが、その圧倒的な迫力、正気と狂気の境を行き惑う人々の様相、それがヨークシャー地方の荒涼とした風景描写と相俟って、読む者に強烈な印象を残します。
手元のペーパーバックは殆ど廃本寸前だったので、久々に読み返したいと思って新しいのを買ってきたのですが、やはりこれは休みの日の夜中に、机の上を片付けてゆっくり読みたいですね。
ところで、ヴィクトリア朝というのは19世紀のイギリスでヴィクトリア女王が統治した時代(1837年~1901年)を言いますが、面白いのはこの時期、子供を主人公とした小説が数多く生まれています。私がこの時代が好きなのは、たまたま私が面白いと思った本の多くがこの時代に書かれていたためです。冒頭の写真がそれらの本ですが、先の『嵐が丘』は1847年、ディケンズの『大いなる遺産』は1860年。すっかり子供向けの本になってしまいましたが、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は1865年。そして忘れてはならないのがハーディの『テス』、これは1891年の作品です。
地球の反対側(アメリカ)ではマーク・トウェインの名作『ハックルベリー・フィンの冒険』が出たのが1885年です。私はこれらの作品を(幸いにも)中学高校の時代にちっとも読んでおらず、大学に入ってほぼ同時期に原書で読んだ訳です。(因みに、忘れられないその授業のご担当はGordon先生と言って、強烈なテキサス訛りの、アメフトの選手のような体格の人でした。)
目から鱗とはまさにこのことで、その授業は私に生涯忘れられない鮮烈な印象を残してくれました。同時に、ちょっと大仰ですが、本を読むということ、文学作品を読むということの基本姿勢を教わったような気がします。
そんなことを思い起こしながら本に囲まれている時間はまさに至福の時。明日も仕事なのについつい夜更かししてしまいます。それでもまだまだ読みたい本は尽きませんし、今後もこのヴィクトリア朝という時代を自分なりに読み解いていくのだと思います。
さて、明日は何を読もうかな・・・
私の場合は英語が苦手なので、いきなりマラソン走るみたいなものなんですが(笑)
少し大きな本屋さんに行くと、Readersと言って、学習用に名作を平易な英語で、長さも短く書き直したバージョンがたくさん出ています。英語のレベルが5段階とか6段階とかに分かれているので、習熟度に合わせて選んでいけば、楽しみながら英語が読めるようになる仕組みです。このやり方で原書のペーパーバックを読めるようになった友人を何人も知っています。機会があったら一度本屋さんで覗いて見て下さい。