今回の京都。
土曜日の午前中にゆっくり家を出て、空路大阪経由で京都に着いたのは午後の4時頃。ホテルにチェックインし、まだ陽があるうちに四条河原町へ。
まずはここからと決めていた「フランソア」に入ると、まさかの超満席。
小さい席ですがと通された本当に小さい席に座って眺めてみると、まわりはどうやら観光客ばかり。しかも、いつまで待っても店員さんが注文を取りに来ない。そう言えば入口脇に座っている店員さんは、私たちが入るのに気付いても顔すら上げず伝票をめくるばかり。うーん、こんな店だったかなぁ・・・
「出よっか?」
「出よう」
天ぷらの「高瀬舟」も釜飯の「珍竹林」も健在なことを確かめて、四条通を渡って「ソワレ」へ。
残念、ここも満席。うーん・・・
ならばと角を左に曲がって「築地」へ。
幸いここは席があり、但し勧められた2階はタバコの煙がすさまじく、1階へ逆戻り。
席に座ってやっと少し落ち着き、昔と全く変わらない店内を眺める。
ここで「ホット」と言えばウィンナコーヒー。
その後も次々と入って来ては次々と2階に通されるお客さんを見ながら、外に出る。
さて、晩御飯。
自慢じゃないが全く計画性がない今回の京都。まずはぐるっと回ってみるかと木屋町と河原町の間を双六よろしく徘徊する。
気になる店はいくつかあったものの、いい時間なのにガラガラだったり、カウンターが昔のお風呂のようなタイル張りだったりと、いずれも決め手に欠ける。
結局入ったのは「築地」の向かいのこのお店。
学生時代は恐ろしくて一度も暖簾をくぐれなかった「志る幸」。「築地」を出た瞬間からずっと気になっていたが、直観を信じて店内へ。
時間は6時過ぎだったが、店内はほぼ満席。運良く壁際に1箇所、鴨川にかかる橋の欄干を模した設えのある席が空いており、先客に小さくご挨拶をして相席させていただく。因みに店内の中央、少し見下ろす位置には鉤型のカウンターがあり、そこはまるで能舞台。
お品書きを眺め、まずカミさんの好物「生ゆば刺し」、そして「利休辨当」をお願いする。
この利休辨当。扇形に盛られたかやくご飯を中心に、薇、煮玉子、鰆、鶏煮、ぬた、そして漬物が脇を固める。
そして勿論、汁ものがつく。他の具材も選べますよと言われたが、大好きな豆腐を白味噌で。
よく見るとこの器、お椀ではなく備前の片口。飲み干すと現れる豪壮な火襷。
京都に着いて早々のこの味に、長旅の疲れもどこへやら。
店を出るとまだ7時過ぎ。翌日(日曜日)は1日まわりたい方面があるので、月並みながら寺町へ。
しかーし・・・。
さすがに23年も経つと店はほとんど入れ替わり、懐かしいよりもちょっぴり寂しい気分に。結局寺町通を四条から三条まで歩き、三条通をそのまま東に歩いて今度は先斗町を下がる。
すると驚いたことに、狭い路地が観光客で溢れている。昔からこんなに観光客が多かったっけ?
すれ違うのもままならない先斗町。ようやく四条通に出たところで少し休憩することに。
和菓子「寛永堂」の四条本店。ここの2階には茶寮があり、夜は10時まで開いているのがありがたい。
四条通や先斗町の喧騒が嘘のように静かな店内で、カミさんは抹茶ラテ、私は粒餡たっぷりの善哉を。
お腹のフタもすっかり閉まったところで、さて帰るか!!
・・・なんて思う訳はない。だってまだ8時半ですよ
<その2へ続く>
余りにもサマ変わりが
激しくて、驚かれたことと思います。
特に、フのソファーと椅子の配置には
年がバレますが、数10年前は
別室もなく、時間帯によりますが、
独占状態でした。
実質上のその3を楽しみにしています。
文泉
当時は別室に通されるほど混んでいたことは一度もなかったです。
今回も通された(というか行けと指示された)のは別室の方だったのですが、
俗されるってのはこういうことかと、とても残念でした。
古本屋で買った本を持ち込んで、カビくさい臭いに包まれながら
時間を忘れてページをめくっていたのが懐かしいです。