江戸和竿の本流と言えば、東作。
その四代目東作の高弟たち、いわゆる「東作二十七人衆」の一人、東光のカワハギ竿です。
(作者を示す焼印。クリックすると大きくなります。)
何故?と訊かれてもひと言で答えるのが難しいのですが、どうしても手元に置いて、眺めて、使ってみたくて買いました。
買ったのは上野の稲荷町にある東作本店。勿論、誂えの竿などは買えませんが、夏頃からセールになっているのをずっとチェックしていました。
長さは六尺九寸、イワシクジラ穂先、印籠継ぎの二本仕舞です。
これは誇張でも何でもなく正直にそう思うのですが、これまで自分が組んでいた竹竿と称するものが単にゴミに過ぎないと、改めて思います。
それは例えば、品のある節の磨き。それも胴の部分もさることながら、この握りの部分。
布袋竹の節の詰まった部分が、まるでそれが元々の模様であるかのように整えられています。
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それからこれはこの竿を選んだ理由の一つでもありますが、この口塗り。
これは東作伝統の「透き塗り」と呼ばれる塗り方で、だんだんと時間が経つと下糸が透けてみえるようになります。(今も光の加減でいくらか透けて見えているのですが、写真だと分かりづらいかも知れません。)
(クリックすると大きくなります)
この他にも、ぴったりと、まるで湿って吸いつくような印籠継ぎ。そして、触ってしなやか、ここぞという時に粘るクジラ穂。
こういう作りを見てくると、江戸期以来の伝統の強さと確かさ、幾重にも重ねられてきた理と工夫の数々に圧倒されます。と同時に、それでいて苦労して作られたということを自らは全く主張しない、黙っていて品の良い、野暮を嫌う江戸前の気質も感じます。
私は道具やモノに魂があるとは思っていませんが、こういう道具を手にしていると自然に背筋が伸びるような気がします。
昨年の暮れから二度ほど使いましたが、これまで手にしたどの竿の穂先よりも情報量が多く、まだまだ消化しきれません。なぜクジラ穂を使うのか、なぜクジラ穂でなければならないのか、もう少し使い込んでいくうちに見えてくるものがあると思います。
それが見えてくるまでは、竹を使った竿の自作はちょっとお休みします。
いつまで・・・かは分かりませんが、まずは本当の和竿をしっかり使ってみてから、と思っています。
いなり町 東作本店
おめでとうございます。
竹竿しかも盗作ならぬ東作系
釣り味はいかが?
くじらの穂先は未使用ですが、
和竿の魅力の1つは腕に関係なく
向こう合わせ可能で、ためてやりさえすれば
自然に魚がよっくることにあるのでは?
渓流竿でしか試したことがないのですが
文泉
本年もどうぞ宜しく
何とも言えず品のある作りに惹かれていました。
クジラ穂だけでなく竹全体が負荷に応じて反応して
くれるので、小さいカワハギでも十分遊べます。
これぞまさに釣り味、という感じです。
今シーズン、あと何回カワハギに行けるか分かりませんが、
じっくり使いこんでいきたいと思います。
本年もよろしくお願い致します。
不治の病の始まりかもしれませんよ。
私は竿に限らず職人さんの作ったホンモノはじっくりと観察するだけですが、
使って初めてわかることって、あるはずですよね。
私も身分相応になったら、試してみよう(笑)
それまでは自分の範囲で作り続けてみます。
それにしても「東作二十七人衆」って、
そんなに職人さんが残っているんだなぁ。
やっぱり釣りは趣味の世界ですね。
二十七人衆って、武田二十四将みたいでカッコイイ(笑)
本年もどーぞよろしくお願いします。
こればっかりはなかなか実物を店頭で自由に見れないことと、
見ているだけでは使い心地が分からないこともあり
(つまりこれがカミさんや家族への言い訳ですが )、
手元に置いてみることにしました。
東作の現当主は六代目で、四代目の弟子だった二十七衆も、
(正確には分かりませんが)ご存命の方の方が少ないかも知れません。
いずれにせよこの竿は大切に、けれどしっかり使っていきたいと思います。
今年もよろしくお願い致します。