上野の東京国立博物館で開催中の特別展「長谷川等伯」に行ってきました。
金曜日の夜、仕事を片付けて一目散に上野公園へ。よくよく考えてみると、東京に来て随分になりますが、上野でもこの国立博物館に来るのは久しぶりです。雨が降っていたので、とりあえず正門から一番近い本館に入ります。そして、途中いくつもある展示室を抜けて平成館へ。
今回は、日本史の授業で名前だけは知っていた(?)長谷川等伯のお勉強です。ほとんど先入観なしに観に行ったのですが、等伯が能登で信春と名乗っていた頃の仏画から、京都にやって来てからの豪華絢爛な金碧障壁画、そしてそれとは全くの対極にある水墨画に至るまで、その画業の全容がよく分かるようになっています。20時の閉館ぎりぎりまで、正味1時間半ほどの間、頭の中はフル回転。満喫してきました。
とは言え、人の好みというものはあるもので、私は豪壮な金碧障壁画よりも、水墨画の方により惹かれました。特に、中国の宋から元の時代に活躍した牧谿の画に学んだとされる、これらの作品。
(長谷川等伯「竹鶴図屏風」(部分)東京・出光美術館蔵) (長谷川等伯「枯木猿猴図」(部分)京都・龍泉庵蔵)
左の竹林。私はどうしても鶴よりもまわりの竹林の描写に眼が行ってしまうのですが、小山のなかに点々と竹林が広がる様子、その奥行きを墨の濃淡だけで描き分けています。しかも、その並びに何とも言えぬリズムがあって、墨のあるところと無いところのバランスが絶妙です。右のお猿さんの方は、そのもふもふとした毛並みの描写もさることながら、勢いのある線、ひと筆で描かれた木の枝の表現に眼を奪われました。
ここでだいぶ時間を食ってしまったのですが、最後の最後に堂々登場したのがこちら。
(長谷川等伯「松林図屏風」東京国立博物館蔵)
まだまだ日本画のことは不勉強で、そんな私が何をか語るやですが、西洋画の遠近法のような、明らかな法則性に基づく描写とは一線を画す、このぼんやり感。空気感と言ったらよいでしょうか。明らかにここは深山幽谷。霧に霞むこの松林には、悠久とか幽玄という言葉がぴったり来るような気がします。
これは、これまで観てきた西洋画のどれとも異なります。この絵の前に佇んでいると、時間の流れが止まってしまったような、まるで絵と自分の間の空間にまで深い霧が広がってくるような錯覚に陥ります。そんな風に感じるのは私ばかりではないようで、この絵の前では特にじっと佇む人が多かったように思います。
そうこうしているうちに閉館時間の20時が迫り、名残り惜しい気持ちでこの絵の前を後にしました。私にしては珍しいことですが、今回は絵葉書だけでなく図録も買い、以来ずっと夜にバッハを聴きながらこの図録を広げて楽しんでいます。
この等伯展、会期は短いですが、お近くの方は是非。
特別展「長谷川等伯」
東京国立博物館 平成館
2010年2月23日~3月22日
(巡回)
京都国立博物館
2010年4月10日~5月9日
関西在住の私には、今回の
等伯展のみは、サホド羨ましくありませんドー。
なんて強がりを1度言ってみようと思っていたの
が初めて実現しました。
しかし、懐かしく拝見しました。
文泉
京都はさすがに等伯がたくさんありますね。
私の学生時代は、南禅寺の金地院へは縁側に寝ころびに行き、
相国寺は出町への裏道を抜ける際に前を通り過ぎるだけ。
今にして思えば、何とも勿体ないことをしてしまいました・・・
東博の松林図と、出光の鶴は、またこれからも観る機会があるでしょう。
それだけでも、十分です(若干、負け惜しみ)