上野の国立西洋美術館で開かれているコロー展を見に行って来ました。
例によって金曜日の夕方、仕事が終わってからでしたので、会場に着いたのは7時少し前。8時の閉館まで1時間ちょっとの時間しかありませんでしたが、とても充実した展示内容で、文字通り堪能しました。
コロー(ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、1796-1875)はフランスの画家で、時代的には印象派の少し前あたりと言えば良いでしょか。私の大好きな画家の1人です。展覧会は大きく6つの章立てに分かれていましたが、時間が少なかったこともあって、私は自分の好みの赴くまま、特に「人物画」と「風景画」を中心にじっくり見て回りました。
まず目を引いたのが、ルーヴルにあるこの小さな絵。
(コロー「身づくろいをする若い娘」1860-1865年)
カンバスではなく厚紙に描かれたその表面は幾分つるっとしており、しかしそこに描かれた女性の肌には、えもいわれぬ暖かみがあります。傾げた首、段違いに挙げた両方の手が構図に締まりを与えているのも印象的でした。
もう一つ、これも小さな作品ですが、見とれてしまいました。
(コロー「水浴するディアナ」1869-1870年頃)
官能的かつ肉感的、それでいて極限まで美しいその裸婦。コローの裸婦は初めて見ましたが、写実的に過ぎるのではなく、しかもその全身から羞恥心が溢れています。個人的には、その存在感に圧倒された作品の一つでした。
それから、忘れてはならないのが「コローのモナリザ」と呼ばれるこの作品。
(コロー「真珠の女」1858-1868年)
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」を模したそのポーズ、もの憂げなその視線、柔らかなその肌と腕、見るものを惹きつけてやみません。特にその腕の描写は、思わず手で触りたくなるような柔らかさを湛えています。さすがにこの作品は会場で一番の人だかりでした。
しかし、私にとってコローと言えばその叙情的な風景画。今回は見たこともある絵もいくつかありましたが、テーマ別に展示が分かれていた為、これまであまり意識してこなかったコローの風景画の特徴に触れることが出来、とても勉強になりました。
特に印象に残った風景画のいくつかをご紹介します。まずはこちら。
(コロー「沼のほとりの柳」1865年頃)
霧に煙る水辺の風景です。右手の木々の並びがリズミカルで、見る者の視点を画面右手から左奥に誘導し、絵に奥行きを与えています。手前で草を摘む女性の服の赤が奥に行った視点を手前に引き戻すのは、コローがよく使った手法です。
面白かったのは、画面を斜めに走る「傾いた木」をテーマにした作品がいくつか集められていたこと。
(コロー「傾いだ木」1865年頃)
画面を大胆に斜めに切る構図は、この時代のコローにとっては大きな挑戦だったのでしょう、これまで私はコローの風景画のこのような要素を特段気にしたことはなかったのですが、今回の展示でまたひとつ見方を教えて貰ったような気がします。
最晩年の作品から2つ。
(コロー「サン=ル=ノーブルの道」1873年)
(コロー「アルルーの風景、道沿いの小川」1871-1874年)
立ち木の並びと小川の流れによって手前から左奥へ誘導される視点。写実性と叙情性の美しい結実。何とも美しい風景画です。
そして最後に、私にとってのコローと言えばこの作品。今回はこれが見たくて行ったようなものです。
(コロー「モルトフォンテーヌの想い出」1864年)
この絵の実物を初めて見たのは6~7年前、出張で行ったパリで珍しく空いた時間を利用してルーヴル美術館に行った時です。囁くような木々の緑、遠くに霞む銀灰色の霧、憧れのコローがそこにあります。閉館までの残り時間(約10分)を全てこの絵の前で費やして、美術館を後にしました。
久しぶりに上野に行きましたが、戸外にあるロダンの彫刻や逸品揃いの常設展まで見て回る時間がなかったので、機会があれば金曜日の定時に仕事を上がってもう一度行きたいと思っています。
コロー展
国立西洋美術館(上野公園内)
2008年6月14日~8月31日
(巡回先)
神戸市立博物館
2008年9月13日~12月7日
私は、水彩ならターナー、油絵ならコローですかね。
共通するのはその透明感。
でも、コローの裸婦や女性像も良かったですよ。
もう一度くらいは行きたいと思っています
上記の「水浴するディアナ」には驚きました。
9月が待ち遠しいですね!
コローの描く女性はみな肌が柔らかそうで美しかったです。