先週名古屋に出張した際、金山にある名古屋ボストン美術館に行って来ました。
この美術館は以前からずっと行ってみたいと思っていたのですが、たまに出張があってもいつもトンボ帰りでなかなか時間が取れませんでした。しかしたまたま先週の金曜日は、夕方会議が終わってあとは東京へ帰るだけということになったので、ようやく足を運ぶことが出来ました。
折しもゴーギャン展が開催中で、特に今回が日本初公開となる大作が来ているとあって、期待は高まります。
展示されていたのは油彩や素描など40点あまり。米国ボストン美術館の所蔵品が中心です。見覚えのある作品も何点かありました。
(ゴーギャン「二人のブルターニュ女のいる風景」1889年)
塗り重ねた色合い、陰影のない平坦な色調、線で囲った輪郭、ゴーギャンがそこにあります。
何といっても今回の目玉はこの作品。
(ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」1897-98年)
現物は巨大な横長のキャンバスに描かれています。(アップの画像はこちら。)
圧倒的な迫力。この絵の前に立っていると、人間はどこから来て、どこへ行くのか、その間にある生とは何なのか、色々な角度から考えさせられます。
それにしても、この絵はどうしてこんなに暗いのでしょうか?何だか喉元に刃物か何かを突き付けられたような、そんな切迫感を感じてしまいます。これを感動と言うのかどうかは分かりませんが、答えようのない質問を突き付けられて返答に困ったまま解答時間が終わってしまったような、何となく釈然としない気分に浸ったまま、この絵の前から帰ってきました。それがゴーギャンの狙いだったとすれば、まんまとその術中にはまったことになります。その気分は今もどこか続いているような気がします。
夏には東京にもやって来るので、その時またどう感じるか、楽しみでもあり不安でもあります。
ゴーギャン展
名古屋ボストン美術館
2009年4月18日~6月21日
ゴーギャン展
東京国立近代美術館
2009年7月3日~9月23日
※展示内容は異なります。
その頃、英語の授業でよくモームの文章を読まされたものですが、
今にして思えば贅沢な授業だったと思います。
「月と6ペンス」も、名古屋でゴーギャンを見て「そう言えば」と思い出しました。
私もてっとり早く日本語訳を買ってしまうかも知れません
モームの短編はウエットに富み思わず感心するような描写があったので魚花さんのように原書が読める方はきっと面白いっしょうね!
私はさっそく図書カード(景品)で購入してみます 勿論 日本語です(^_^;)
私はゴーギャンのことは殆ど何も知らないのですが、
そういった周辺情報をある程度知っておいた方が
作品の理解に役立つということはあるようです。
ただ、何となく逆にそれに縛られることになりそうで、
その辺がいつも悩みどころです。
今回のゴーギャンを見て、モームの「月と6ペンス」
を読むべきか読まないべきか、ちょっと思案しています。
画家が描いた妻の絵一枚と妻側からの視点を交えての画家の生涯が書かれています
どの画家の話も興味深くゴーギャンもしかりです
愛娘の死のショックで自殺を意識しつつ取り組んだのが「我々は何処から…」との事
夫婦仲はよくなかったようで…安定した株式仲買商を辞めてしまったりすればそうなるかな?
まあ 人生色々ですから芸術も輝くのですね('-^*)/
自分がこれまでやってきた仕事の枠組みややり方を
変えることに抵抗する人が多いことに気付きます。
変えない方がモガキなしで楽なんですが、それでは
人も企業も、成長しないと思うのです。やはり私は、
人間、モガいてナンボ、だと思います。
ですが、OnもOffもモガいてたら疲れてしまいますから、
たまにはモガキなしの釣りや山歩きも許されるでしょう。
私も先日のキス・アナゴのリレー船は、モガキなしに純粋に楽しみました。
巷では「無趣味のススメ」とか何とか言っとる輩がおるらしいですが、
多分彼は、本当の趣味を持ってないんでしょう。
もっと逆説的に言っているのならまだ救いはありますが、
本を読んでいないので分かりません。
本気で言っているならお気の毒なこと。
東下り、お待ちしております。
その有機から無機へ
表現をかえますと、自然から自然へ、
なんて、悟りとも諦めとも、思われる心境を
前提に考えますと、種々のモガキ方が在りそうです。
で、楽しみつつ、モガクのが、私には合っているようです。
モジやゴーギャンとは正反対?に
連休中、竿とデジカメを背中に、丘歩きをしました。
例のごとく、Fish and Eatで、モガキなしの
楽しみでした。
クラベウマのデータをなんとか、整理しました。
こちらはモガキつつ、楽しむ予定です。
成果次第で、東くだりも可能性0ではなさそうです。
所謂取らぬ狸ですが
文泉