先月でしたか、週末の夜、神保町界隈を徘徊している時に古本屋の前のワゴンで見つけた本。
やや強引な感じではありますが、それは編者も自ら言っていて、要するに12人の釣好きがそれぞれ自分と釣りの関わりあいについて綴っておられます。
この12人のなかで私が名前を知っていて著作を読んだことがあったのは、編者でもありトリの12月を飾る伊藤桂一と、そのふたつ前、10月の黒岩重吾。
知っている人が少なかった分、余計な先入観は持たずに読んだつもりでしたが、最後まで読み終わっての個人的な感想は、この2人の文章が頭ひとつ抜け出ている感じがします。
ただその抜け方は、方向が全くの正反対で、これはあまりにも感覚的なものなので説明するのが難しいのですが、ただちょうど今の自分の気持ちにストンと落ちてきたのは、黒岩重吾の文章。
つべこべ言わずに少し抜き書きしてみましょうか。10月 「海のひとり釣り」 という随筆です。
「ぼくが、いつもひとりで釣りに行くのは、ぼくの釣りは、釣ることだけが目的なのではなく、ボートに乗って海へ出ることによって、その日一日、あらゆるものから解放されたい、と、願うからである。」
「こういうひとり釣りは、釣れる率からいえば、たしかに釣果は低い。(中略) しかし、ぼくにとっては、こういう釣りのなかにこそ、ぼくの真の休養があり、明日への活力を用意する、精神の滋養がある。」
こういう釣り人になりたいなぁと、若造は素直に思う今日この頃です。
伊藤桂一編『釣りの歳時記』(TBSブリタニカ)
近くにそういう場所を知っていれば、一度やってみたいのですが・・・。
黒岩重吾は特段好きな作家でも何でもないのですが、
この本の中では意外にも光っていて、妙に納得できる文章でした。
こんな発見も面白いですね
山釣りをおすすめします。
解禁中なら何月でもケツコーです。
10中8,9 黒岩氏の心境に
なれると思いますヨ。
東北釣行の結果を楽しみにしています。
ウマシカ堂