この世は。何があってもイエス。前向いてしか行けん。バックギアがないんです。八匠館/猪熊佳孝先生の尊いお言葉です。道場に隣接する部屋では食事や酒盛りもOKなんだそうです。大会での活躍はあまり期待できないかもしれませんが、人を喜ばす、人生道場です。イチローの記者会見でも出て来ましたが、人が喜ぶためになす行為が、本当の喜びを生み、結果がついてくる。ついでに言うと広島カープの強さは、ファンの力です。取り立てて選手個々の強さは感じられないが、試合が終わっていたら全員で勝っていた。ファンの後押しと、それに答えようとする選手・監督・コーチすべての力です。読売巨人がV9を成し遂げたものファンの後押しでしょう。来年開催される東京五輪も国民が一体となり、一生懸命応援すれば好成績が期待できますね。
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今年2月、99歳になったばかりの空手の師範がいます。師範が営む高松市の道場は、昼過ぎから明け方まで出入り自由。稽古の内容も自由。そして、道場に隣接する部屋では食事や酒盛りもOK、と一風変わっています。
(八匠館/猪熊佳孝先生)
「人生っていうのはね、自分を探す旅やから、一生かかってね。自分なりの人生を送ることそのものが人生やからね。人の真似する必要もないしね」
空手道場「八匠館」の猪熊佳孝先生は首里派空手の8段。2月25日に99歳を迎えました。
道場は、火曜日と土曜日の週2日で午後1時から。長い時には翌日の朝方まで開いています。その間、練習時間や内容は基本的に自由。「押忍」もありません。好きな時に来て好きな時に帰り、好きなことを好きなだけ練習します。
「直すときはあんまりないんですよ。しているうちに上手になっていっているからね。その人の何もかも変えるわけにはいかん。変える必要ないからね。むしろ、みんなそれぞれええところを、うちに持ってくるからね。私の方が勉強になりよるね」
「八匠館」は1949年に猪熊さんの父親が設立しました。4年後に跡を継ぎ、約65年間、師範として道場に立ち続けています。
(猪熊佳孝先生)
Q. やめようと思ったことは
「しょっちゅうあったね。今もやめたいね。ノーが言えんのです。この世は。何があってもイエス。前向いてしか行けん。バックギアがないんです」
「毎日毎日、道場がない日でも、自分が蹴りや突きをだいたい20分くらい動かしますね。100歳という年代になって動かさなくなったら、すぐ止まるで、エンジンが。エンジンはいつもかけとるような感じやね」
稽古場の隣には談話室のような部屋が。
猪熊先生は12歳で実家の鍛冶業を手伝い始めました。その後、第二次世界大戦中に21歳で中国へ出兵。翌年に帰国してからは船の荷役や左官など職を転々としました。
夜になっても多くの人が練習に励んでいます。猪熊先生は疲れた様子を全く見せずに指導を続けます。
Q. この年まで元気でいられると思っていましたか
「それは分からん。全然わからんなあ。ただ、90歳くらいから本で読んだものとか、人生でしたことかがちょっとずつ身についてきたな。私は今が1番ええね、生きてきて。結局、人間は時間をかけにゃいかんのかも分からんね、何事も。時間がかからないものはないん違う?この世に」
稽古場の隣の部屋は昼間とは違うにぎわいを見せていました。
Q. 交流する場が大事なんですか?
猪熊先生「雑談と言うんかね、屈託のないのが1番ええですね。こういう時間がないと人間は行き詰まりますけどね。これは寄り合いの場所やからね。人間はこういう場所がどこかにあると、ほっとしますね」
撮影していると…。
「うどんができたけん、撮影中止」
取材スタッフにもうどんとそばを振る舞ってくれました。
Q. 今後、挑戦してみたいことは?
猪熊先生「ない。何もない。しとうない。とりあえず、きょうを頑張って、1日。あしたまた考えたらええ。あしたは分からん。きのうは去っとるけえ、もうない。とにかくきょう、今です」
「ちょっと旅をしてみたいね。死の旅っていう、ぎょうさんなものじゃないけど、ここを売り払って出て行きます。それで消えます、どこかに。この夢は何十年前からあったけどね。今なおさら、その夢が濃い。してみたい。どこまでどう行ってどうなるか分からんけどね」