『名も無く豊かに元気で面白く』

読んだ本、ニュース、新聞、雑誌の論点整理、備忘録として始めました。浅学非才の身ながら、お役に立てれば幸いです。

東大卒なのに「生きづらい人」が陥る3つの失敗 学歴を気にした時点

2020-12-18 07:57:02 | 日記
クイズ王など今、東大生が注目、バブル化していますが、果たしてコスパはどうなんでしょうか?
学歴をアイデンティティーとしている人々一般にも通じる話でもありますが
やってはいけない3つのことがあります。

やってはいけない1:「東大卒」の学歴に執着する
やってはいけない2:「逃げる」ことをマイナスに捉える
やってはいけない3:自分と他者とを比べる

結論的には当たり前ですが、正しい努力を続ければ、東大卒に限らすたいていの人は成功するということです。


以下抜粋コピー
東大卒なのに人生に不満や生きづらさを抱えてしまう人の「3つの特徴」とは? 『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』で数多くの東大出身者を取材し、自身も同大学出身者である池田渓氏が解説する。
東大内格差に打ちのめされた地方の貧困家庭出身者、営業職で疲弊し心を病んだ法学部卒の銀行マン、自らを「奴隷」と称し月200時間の残業を続けるキャリア官僚、東大卒の肩書をリセットして医学部を再受験した市役所職員、袋小路に入り込んでしまった博士課程の院生、逆学歴詐称をして警備員になった元駒場寮生の漫画家etc.……。
 拙著では、上記のような東京大学卒業生へのインタビューを通して、せっかく日本では最上級の学びと研究の環境を与えられながら、それを後の人生に生かすことができなかったことを後悔している人々の姿を書いた。
 それ以来、多くの方から「彼らはどうすべきだったのか?」、あるいは「こうすればよかったではないか」という質問や感想をいただいている。
 そこで本記事では「東大を出た彼らは、どうすれば幸せを感じながら生きられたのか」ということについて、卒業生への取材を重ねる中で見えてきた生きやすくなるために「やってはいけないこと」を改めて書いておきたい。これは東大の卒業生にかぎらず、いわゆる高学歴とされ、その学歴をアイデンティティーの一部としている人々一般にも通じる話でもあるだろう。
「学歴に執着する人」ほど要注意
やってはいけない1:「東大卒」の学歴に執着する
 東大に入るために犠牲にしたものが大きい人ほど、その見返りを求めるものだ。払った犠牲に対して十分な見返りが得られていないと思ったとき、すなわち、東大に入ったことが自らの幸福に結びついていないと思うとき、唯一の成果物である「東大卒」という学歴への執着はより強くなる。
 しかし、たかが東大に入るために大きな犠牲を払わなければならなかった人というのは、およそ凡人なのだ。凡人が東大という環境で学べたことなど知れている。東大でたいして学んでもいないのに、社会に出た後も東大卒という学歴にとらわれ続けることは無駄でしかない。そのプライドは精神的なかせとなり、自らの可能性をジワジワと殺していくだろう。
 まわりの目は仕方がない。東大卒の学歴はいつだって周囲の人に注目される。しかし、東大卒であることに自分からしがみつかないことだ。過去のことは忘れよう。今いる環境で前だけを見て努力するほうが、未来での幸せを手に入れやすい。
やってはいけない2:「逃げる」ことをマイナスに捉える
 霞が関、一部上場企業、外資系コンサルタント会社、研究職……東大からの延長で就職をすれば、この類いの「高性能マシンが激走するサーキット」に入り込んでしまう可能性が高い。もちろん、血で血を洗うような職場でも生き残っていける能力のある人は、そこで精いっぱいのことをやればいい。
 しかし、人には向き不向きがある。「適材適所」という言葉があるように、どんな才能を持っていても、それが発揮できるかどうかは環境次第だ。羽生結弦さんがいくら天才的なフィギュアスケート選手であっても、彼に「ラグビーの試合に出て点を取ってこい」と言うのはむちゃな話だろう。
 今いる場所に不都合を感じたなら、そこから脱出して別の場所に移動しよう。脱出はなるべく速やかに行ったほうがいい。
「合わない環境」は人をダメにする
 あまりにも長期にわたってストレスに晒された動物や人は、その環境から脱出するための努力ができなくなるという。東大卒には真面目で、努力家で、責任感の強い人が多い。そういう人は自分の特性とは合わない環境に気づいていながらも往々にして頑張りすぎて、手遅れになってしまう。本記事を読んでいる読者のまわりにも、そういう人はいるかもしれない。
 多くの野生動物は、自らの生息環境が悪化すればちゅうちょなく移動する。本来は人だってそうなのだ。20万年前に東アフリカに現れた僕らの祖先(ホモ・サピエンス)たちは、おそらく食料不足にあえいで約5万年前にアフリカを脱出した結果、生き残りホモ・サピエンスの系譜をつなぎ、今日までの繁栄を築いた。
 環境を変えることにリスクはつきものだ。未知の世界に飛び出すには勇気がいるし、エネルギーもいる。だからこそ、気力とエネルギーがあるうちに移動したほうがいい。東大に入るだけの能力があれば、今の仕事を辞めてもなんとかなる。
やってはいけない3:自分と他者とを比べる
 今の時代、SNSを数分も眺めていれば、自分以外の人の成果と評価が怒濤のように流れ込んでくる。とりわけ東大関係のコミュニティーに所属していると、やはりそれなりに優秀な人が多く、自己実現と社会貢献を両立させる同窓生の情報に多く接することになる。彼らが、自分よりもどんなに「幸せ」な人生を歩んでいるように見えることか。
 しかし、他者との比較で自分の人生を評価することは健全ではないし、その差を埋めたいというモチベーションを推進剤にして自分の人生を歩むべきではない。嫉妬や憤りでエネルギーを浪費する必要もない。
 幸せを求めすぎることは、幸せでない苦しみを生んでしまう。そもそも、表面的に見えている他人の幸せは、自分にとっての幸せと同じものなのだろうか。そうではないだろう。
 他人の成功や評価にどのような背景があったか、本当のところはわからない。その人の能力が環境にハマっただけかもしれないし、大きな犠牲を払って得たものかもしれない。たまたま運がよかっただけなのかもしれない。外に向けて見栄を張っているだけかもしれない。
 幸せの判断基準が自分の中にあれば、他者との優劣で自分を評価するようなことはなくなる。自分と他者とを比較するのでなく、過去の自分と現在の自分とを比較して、目標の達成状況や自らの成長について振り返るほうがよっぽど有益だ。
「東大卒らしく生きよう」としてはいけない
 東大受験やその後の進路の選択(東大では2年生前期までの成績によって希望する学部・学科に進学できるかどうかが決まる)では他人との競い合いだったから、東大卒の人はどうしてもその感覚で他人と自分とを比べてしまいがちになるが、これを意識してやめよう。他者に集中せず、自分だけに集中しよう。これを月並みな言葉で言えば、「自分らしく生きる」ということになる。決して、「東大卒らしく生きよう」としてはいけない。
 東大卒の学歴はある種の認定証のようなものだ。「東大入試に合格して、東大で学んで、卒業しましたよ」という証し。しかし、それ自体にあまり意味はないし、実は社会に出てからの使いどころもない。実用性と言えば、せいぜい「東大図書館に面倒な手続きなしに出入りできる」くらいのもの。その程度のものに精神を縛られ、生きづらさを感じている東大卒業生のなんと多いことだろう。
 以上の3つを知っておけば、それだけでいくらかでも気分が楽になり、避けうる不幸もあるはずだ。
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