1日に89歳で亡くなった元東京都知事で作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんの家族葬が5日、都内の自宅で営まれた。 午後3時頃に長男の伸晃氏、次男の良純、三男の宏高氏(57)、四男の延啓氏(55)らが自宅からひつぎを運び出し、霊きゅう車に乗せられた。伸晃氏が位牌(いはい)、良純が遺影を抱え、報道陣に対応。喪主の伸晃氏は「生前、父石原慎太郎に賜りました、ご厚情を心を込めまして感謝申し上げ、ごあいさつとさせていただきます」とあいさつした。 戒名は「海陽院文政慎栄居士(かいよういんぶんせいしんえいこじ)」。ひつぎには自身の著書「私の海の地図」が収められたといい、遺影は都知事選二期目の写真が使われた。出棺時には参列者らの「先生ありがとうございました!」と声がこだました。「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」の遺言とは異なり、遺骨は、先祖代々の墓である神奈川・逗子市の海宝院に収められる。
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「死後にあるものはやはり虚無でしかあるまい」。2度の脳梗塞や膵臓がんを患い、闘病生活を送っていた石原さんは晩年、死生観に関する発言が多かった。 2013年に軽い脳梗塞を発症した石原さんは翌年、神奈川・逗子の邸宅を売却。書斎や倉庫にあった約3200冊の本を整理し、地元の逗子市立図書館に寄贈。その“終活”ぶりが話題になった。 芥川賞を受賞した「太陽の季節」の初版や弟・裕次郎さんとのヨット上での写真、そして大江健三郎氏や遠藤周作さん、開高健さんら同年代の作家から贈られた本など、マニア垂ぜんのコレクションで、「石原慎太郎文庫」として展示されている。 また14年に出版した「私の海」(幻冬舎)には“遺言”も記していた。 「ことさらに来世なるものを信じている訳でもないが、次に何に生れ変ってこの世に現われたいかといえば、いつか相模湾の外れの三つ石崎の沖合いの潮目で出会ったような巨きな離れ鯨になりたい気がしている」と鯨になって、自由気ままに世界中の大海原を泳ぐ姿を想像すると「心が弾む」と記していた。 そして、「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と遺言状に記したという。