「後拾遺往生伝」「(治歴元年1068)同年八月又(東宮敦良親王)御薬事あり。親皇(性信法親王)、閑院に於て孔雀経法を修す。第四日、日中時已に平気を得る。結願の日、大夫權中納言能長卿、大師自筆の十喩経一巻を賜ふ。又主馬署驊騮(かりゅう・名馬)二匹を賜ふ。」
「孔雀経御修法記」「大御室(性信法親王)、治歴元年1068八月十三日、閑院孔雀経法、第四日日中初めて讃頌音を聞く。此の暦日より(敦良親王)平復 . . . 本文を読む
「祈ることそれ自体がもはや結果なのである。祈祷の秘訣は自己のすべてを祈祷にうちまかせるか否かにある。結果の如何を思い煩うものには到底真の霊験は望みえない。日夜に祈って倦まなければ必ず福智円満の悉地にめぐまれ人間最上の法楽三昧を獲得するであろう。」(那須政隆『加地感応の原理』) . . . 本文を読む
この世に神も仏もあるものかと恨んだがその後一転して救われた例。「山岡瑞円上人の略伝・三井英光」より・・・(山岡師は戦前「子安大師講」を世界にひろめるとともに「三密学園」という学校をつくるなど大活躍された真言僧で四国61番香園寺中興の祖です。山岡師は当初病気と貧困で寺に臥っていて世の中と神仏を怨んでいましたがその後運命を受け入れようと思ったことで救われました。)「(香園寺住職・山岡瑞円師は病気で進退 . . . 本文を読む
古今著聞集「貞崇法師勅に依りて念仏の時稲荷神託宣の事」
(三昧耶形は如意宝珠である稲荷神が念仏の功徳で上総國一宮の御祭神玉依姫命は宝珠を生むと託宣されたという、宝珠が宝珠を生むという信仰にもとずいた話。柳田国男も「玉依姫考」でここの御神体を「やはり靈玉であろう」としています。密教行者も如意宝珠を持っていると増えるといわれます。当方の宝珠も増えています。)
「延久二年1070八月三日、上総國一宮 . . . 本文を読む
「ありがたい、ありがたいお大師様」(N・K、日本巡礼記集成)「・・私は新潟県長岡市に住んでおります。長岡市の南東六㎞に鉢伏山という山があり、そこに禅宗のお寺があり、修行大師様の尊像がお祀りされています。わたしはいつからともなくこの修行大師様にお参りをしておりましたが、そのうち息子が新潟大学の工学部を受験することとなりました。親として何とかして入学を果たさせてやりたいと思い、1年前からこのお大師様に . . . 本文を読む
死の底から救って頂く(N・Y女史。日本巡礼記集成)「私は高知県の田舎に生まれました。家から12キロ余りのところにミニ八十八所があり小学五年生くらいの時おまいりしたことがありました。・・・その後、結婚し南京市で終戦を迎え、一年後にやっと日本に帰り着きましたが33年に主人が病死、中学を先頭に五人の子供を抱え途方にくれました。働くために高知市内へ出てきましたがその年無理がたたって、重度の胆嚢炎となり病院 . . . 本文を読む
今日7月29日は叡尊が異賊調伏祈祷をして蒙古を撃退した日です。以下「異国来襲祈祷注録」によります。
「弘安四年秋七月廿日、81歳、異賊調伏祈祷のこと。伏見院御宇勅使光泰卿、南都西大寺下向再三なり。宣旨状に納めらる。同七月廿七日、異賊の船すでに九州大宰府博多金津に入る由注進これあり。同廿八日西大寺思圓上人、勅により教興寺に御下向、次廿九日講堂千手宝前において百坐第仁王会を行ぜらる。 . . . 本文を読む
「般若心経に救われた私」
金沢雲龍寺住職、荒崎良徳師の「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年 . . . 本文を読む
観音経を読誦して水難から助かった事
観音経には「由是菩薩威神力故。若為大水所漂。称其名号。即得浅処。
若有百千万億衆生。為求金。銀。瑠璃。車渠。瑪瑙。珊瑚。琥珀。真珠等宝。入於大海。仮使黒風吹其船舫。飄堕羅刹鬼国。其中若有乃至一人称観世音菩薩名者。是諸人等。皆得解脱羅刹之難。」とあります。
古来観音経を読誦して水難から助かった事は多くあります。
1,古今著聞集巻二「生智法師 . . . 本文を読む
以前Tさんから頂いていた文章を再出しました。
【あきらめない】 T.U
私は弟2人の長女として生まれました。おばあちゃん子の甘えんぼでしたが、小3の時に一緒の布団で寝ていた祖母が心筋梗塞で他界し、半年後に突然声が出なくなりました。学校では声が出ないためかいじめられ、自分の居場所がなく、毎日踏み切りに行っては死ぬこ . . . 本文を読む
観音様の霊験で首がつながった話
平盛久は由比ガ浜で斬首されるところ清水の観音様に白衣に裸足で千日詣をしていたお陰で助かります。これは平家物語にあり鎌倉にも碑があります。上野清水観音堂の記録には此の秘仏ご本尊はこの盛久の念持佛とされています。以下にあります。
1,長門本平家物語巻二十、「・・主馬八郎左衛門(平)盛久、京都に隠れ居りけるが年来の宿願にて等身の千手観音を造立し奉りて、清水寺の本尊の右 . . . 本文を読む
今日は気比神社総参祭です。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjM7fuo-sDxAhXBLqYKHXRTDh0QFnoECCIQAA&url=https%3A% . . . 本文を読む
今日は全生庵で鉄舟忌があります。
山岡鉄舟 は天保7年(1836年)6月10日、江戸本所で小野朝右衛門高福の第五子として生まれるました。母は塚原磯(常陸国鹿島神宮神職・塚原石見の二女。先祖に塚原卜伝)。剣・禅・書の達人で江戸無血開城の功労者、明治天皇侍講等人口に膾炙しているところです。 明治16年(1883年)、維新に殉じた人々の菩提を弔うため東京都台東区谷中に普門山全生庵を . . . 本文を読む
今日七月十二日は忍性菩薩御入滅の日です。嘉元元年1303年、七月十二日極楽寺において、忍性菩薩は入滅されています、87歳でした。「良観上人舎利瓶記」には「良観上人、法諱は忍性、西大寺の沙門なり俗姓は伴氏、その考(父)は伴貞行、その妣(母)は橘氏の女也。建保五年(1217)丁丑七月十六日大和国城下郡屏風里に生る。貞永元年1232七月十日十六歳にして出家し道に帰す。天福元年1232、東大寺戒壇院におい . . . 本文を読む
明和元年7月9日、護国寺で秩父三十四観音の総開帳が行われています(護国寺史。以下も同様)。このあと10 月10日に境内に総開帳供養塔が建立されています。これはいまも本堂前にあります。その後、護国寺では江戸期だけで四回は秩父三十四観音の出開帳が行われています。当方も秩父は無数にお参りしており、真っ赤になった納経帳が数冊あります。護国寺と秩父札所のふかい縁を知り毎月護国寺にお参りさせていただいている当 . . . 本文を読む