後拾遺往生伝「入道二品新王、諱師明は長和天皇第四子、母は大納言左近衛大将濟時の女也。皇后夢みるに胡僧来りて云ふ、『将に皇胎に託すべし云々』。后懐孕の間、口より葷羶(くんせん・なまぐさ)を去り、心精進に住す。寛弘二年1005六月一日託生す。誕生の時、室に神光あり。幼稚の間、仡(いさましき)こと巨人の如し。同八年、天皇受禅す。十月五日、立て新皇となる。生年七歳。長和六年1017、天皇昇 . . . 本文を読む
心の時間の紀三井寺管主、前田孝道師の話です[・・・私が紀三井寺の貫首に就任しまして間もない頃でございます。昭和三十六年だったと思うんですが、一つ小包が届けられました。非常に重たい小包でございまして、差出人を見ても、心当たりがない。おそるおそる、小包を開けて見ますというと、中から書籍が出ました。「新比較婚姻法」という見たことも、聞いたこともない、私が注文した覚えもない本が四冊出て参りました。私がその . . . 本文を読む
私は大正4年生まれで今年71歳になります(書かれた当時)。私が7歳の頃の話をしましょう。ある冬の日母が青龍寺のお大師様にお参りに行こうと言いました。暗いうちに起きてお弁当と新しい二人分の草履を背負い出かけました。家からお寺までは8kあります。其のうち5kは山道です。お寺に着いた時は12時でした。いりました。お大師様の前で母は心経と光明真言を唱え、さらに500メートル山上の観音様にもお参りしました。 . . . 本文を読む
1、お蔭をすぐには受けられないことがあります。
福聚講の松田京子さんが以前「お蔭の出方について」という投稿をしてくれています。松田さんがお蔭を受けた秘訣です「1、祈り続ける。2、苦しいことが続くことを恨まない。3、自分自身が変わる。」この三つの考えを理解しようとしない人がいましたが、その人の場合、事態はより悪化しまし . . . 本文を読む
「沙門勝道山水を歴て玄珠(げんじゅ、悟りを求める心)を瑩く碑並序沙門遍照金剛撰」蘇巓鷲嶽(そてんじゅがく、須弥山・鷲峯山)は異人(佛菩薩)の都するところなり。達水龍坎(だっすいりょうかん、龍の棲む池)は霊物ここにあり。夫れ境、心に従って変ず。心垢るれば境濁る。心は境を逐って移る。境しずかなるときは心ほがらかなり。心境冥会して道徳(絶対の働き)はるかに存す。能寂(釈迦)常に居して利見し(仏がみそなわ . . . 本文を読む
恵果和上の霊験1、大師が撰せられた「大唐神都青竜寺故三朝の国師灌頂の阿闍梨恵果和尚の碑」に恵果和上は現世利益も重んじられたとあります。「(恵果阿闍梨は)唐の歴代の皇帝玄宗、粛宗、代宗の国師であり、代宗、徳宗、順宗は恵果阿闍梨を師として結縁灌頂をうけた。長安の青龍寺にあって多くの降雨止雨をはじめとする霊験を現し衆生済度につとめられた。」「榮貴を示して榮貴を導き(榮貴を求めるものには榮貴を与えて導き) . . . 本文を読む
「後拾遺往生伝」「(治歴元年1068)同年八月又(東宮敦良親王)御薬事あり。親皇(性信法親王)、閑院に於て孔雀経法を修す。第四日、日中時已に平気を得る。結願の日、大夫權中納言能長卿、大師自筆の十喩経一巻を賜ふ。又主馬署驊騮(かりゅう・名馬)二匹を賜ふ。」
「孔雀経御修法記」「大御室(性信法親王)、治歴元年1068八月十三日、閑院孔雀経法、第四日日中初めて讃頌音を聞く。此の暦日より(敦良親王)平復 . . . 本文を読む
「祈ることそれ自体がもはや結果なのである。祈祷の秘訣は自己のすべてを祈祷にうちまかせるか否かにある。結果の如何を思い煩うものには到底真の霊験は望みえない。日夜に祈って倦まなければ必ず福智円満の悉地にめぐまれ人間最上の法楽三昧を獲得するであろう。」(那須政隆『加地感応の原理』) . . . 本文を読む
この世に神も仏もあるものかと恨んだがその後一転して救われた例。「山岡瑞円上人の略伝・三井英光」より・・・(山岡師は戦前「子安大師講」を世界にひろめるとともに「三密学園」という学校をつくるなど大活躍された真言僧で四国61番香園寺中興の祖です。山岡師は当初病気と貧困で寺に臥っていて世の中と神仏を怨んでいましたがその後運命を受け入れようと思ったことで救われました。)「(香園寺住職・山岡瑞円師は病気で進退 . . . 本文を読む
古今著聞集「貞崇法師勅に依りて念仏の時稲荷神託宣の事」
(三昧耶形は如意宝珠である稲荷神が念仏の功徳で上総國一宮の御祭神玉依姫命は宝珠を生むと託宣されたという、宝珠が宝珠を生むという信仰にもとずいた話。柳田国男も「玉依姫考」でここの御神体を「やはり靈玉であろう」としています。密教行者も如意宝珠を持っていると増えるといわれます。当方の宝珠も増えています。)
「延久二年1070八月三日、上総國一宮 . . . 本文を読む
「ありがたい、ありがたいお大師様」(N・K、日本巡礼記集成)「・・私は新潟県長岡市に住んでおります。長岡市の南東六㎞に鉢伏山という山があり、そこに禅宗のお寺があり、修行大師様の尊像がお祀りされています。わたしはいつからともなくこの修行大師様にお参りをしておりましたが、そのうち息子が新潟大学の工学部を受験することとなりました。親として何とかして入学を果たさせてやりたいと思い、1年前からこのお大師様に . . . 本文を読む
死の底から救って頂く(N・Y女史。日本巡礼記集成)「私は高知県の田舎に生まれました。家から12キロ余りのところにミニ八十八所があり小学五年生くらいの時おまいりしたことがありました。・・・その後、結婚し南京市で終戦を迎え、一年後にやっと日本に帰り着きましたが33年に主人が病死、中学を先頭に五人の子供を抱え途方にくれました。働くために高知市内へ出てきましたがその年無理がたたって、重度の胆嚢炎となり病院 . . . 本文を読む
今日7月29日は叡尊が異賊調伏祈祷をして蒙古を撃退した日です。以下「異国来襲祈祷注録」によります。
「弘安四年秋七月廿日、81歳、異賊調伏祈祷のこと。伏見院御宇勅使光泰卿、南都西大寺下向再三なり。宣旨状に納めらる。同七月廿七日、異賊の船すでに九州大宰府博多金津に入る由注進これあり。同廿八日西大寺思圓上人、勅により教興寺に御下向、次廿九日講堂千手宝前において百坐第仁王会を行ぜらる。 . . . 本文を読む
「般若心経に救われた私」
金沢雲龍寺住職、荒崎良徳師の「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年 . . . 本文を読む
観音経を読誦して水難から助かった事
観音経には「由是菩薩威神力故。若為大水所漂。称其名号。即得浅処。
若有百千万億衆生。為求金。銀。瑠璃。車渠。瑪瑙。珊瑚。琥珀。真珠等宝。入於大海。仮使黒風吹其船舫。飄堕羅刹鬼国。其中若有乃至一人称観世音菩薩名者。是諸人等。皆得解脱羅刹之難。」とあります。
古来観音経を読誦して水難から助かった事は多くあります。
1,古今著聞集巻二「生智法師 . . . 本文を読む