今日11月9日は大師の八万三千日のお茶湯日です。今日のお茶湯は八万三千日の功徳があります。 . . . 本文を読む
・金沢雲龍寺住職、荒崎良徳師の「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。
「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年、東大佛青会編、三省堂発行内の一文)に . . . 本文を読む
明恵上人伝記「習慣的に善根を修めた人がすぐれた意欲を起して、お経を誦え仏を祈ると、目の前の災いや障害が取り除かれて、怨みを持った仇敵でさえも降伏させることがあるのは、この人の心の力が道理と融け合い、自ずから生む善因の作用で、仏のすぐれた緑の力を感じ、速やかな利益があるのである。」 . . . 本文を読む
10月27日は御大師様に大師号が諡号された日です。延喜21年(921年)10月27日、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られています(注1)。「弘法」という言葉は大師が久米寺大塔のもとで善無畏三蔵が埋蔵しておいてと伝えられる大日経を感得されたときに「小国片域大機未だ熟せず、仍て此法を此地に止めて、まさに機を待ち時を待たんとす。来葉必ず弘法利生の菩薩来りて、この教を世に恢む . . . 本文を読む
お大師様は『三教指帰』で「支離懸鶉を見ては因果の哀しみ休せず。だれかよく風を繋がん(現世で不条理な運命に泣いている人々を見れば因果の哀れさに心が休まる時がない。出家の志は風を止めることができないように誰も止めることはできない)」と述べて出家され過酷なご修行の結果ついに真言密教を始められ、奥之院に「虚空尽き、衆生つき、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん]と入定されているのです。しかれば御大師のすべての . . . 本文を読む
文永の役は「文永11年(1274)10月19日博多湾の沖に、元・高麗連合軍2万5000の兵を乗せた900隻の軍船が来襲し、翌20日早朝一斉に上陸を開始。日本軍は筑前守護少弐景資が本拠を筥崎に置き迎え撃つが元軍の集団戦法や火薬で、元軍の一方的な勝利になった。しかし元軍は陸に上がらず、海上で待機した。その夜、博多湾を吹き荒れた台風により、海上の元軍は壊滅的な打撃を蒙り退散した」とされます。興正菩薩叡尊 . . . 本文を読む
A師の話
「絶体絶命の危機を乗りきることができた。
長い人生ではじめてとも言える絶体絶命の危機を春先から迎えた。「無事是貴人」という言葉がこの時ほど身につまされて感じたことはない。何事もないような顔をして電車にのっている人達がこれほど羨ましかったことはない。
しかし結論から言うとこの危機が半年かかって不思議に解決した。
この解決に至る道筋を記録してみる。
1,先ず一族の懺悔。これまで自家 . . . 本文を読む
今日2日は慈眼大師忌です。慈眼大師天海は寛永20年10月2日(1643年11月13日))108歳で死去と言われています。寛永寺開基・江戸の都市計画策定・家康を日光に東照大権現として祀る等江戸幕府の黒幕的存在・怪僧と言われますが江戸をこれだけ栄えさせ安全な街にした功績はあると思われます。寛永寺の近くに下宿したりして当寺とご縁の深い自分としてはなにか懐かしい気がします。 . . . 本文を読む
後拾遺往生伝「入道二品新王、諱師明は長和天皇第四子、母は大納言左近衛大将濟時の女也。皇后夢みるに胡僧来りて云ふ、『将に皇胎に託すべし云々』。后懐孕の間、口より葷羶(くんせん・なまぐさ)を去り、心精進に住す。寛弘二年1005六月一日託生す。誕生の時、室に神光あり。幼稚の間、仡(いさましき)こと巨人の如し。同八年、天皇受禅す。十月五日、立て新皇となる。生年七歳。長和六年1017、天皇昇 . . . 本文を読む
心の時間の紀三井寺管主、前田孝道師の話です[・・・私が紀三井寺の貫首に就任しまして間もない頃でございます。昭和三十六年だったと思うんですが、一つ小包が届けられました。非常に重たい小包でございまして、差出人を見ても、心当たりがない。おそるおそる、小包を開けて見ますというと、中から書籍が出ました。「新比較婚姻法」という見たことも、聞いたこともない、私が注文した覚えもない本が四冊出て参りました。私がその . . . 本文を読む
私は大正4年生まれで今年71歳になります(書かれた当時)。私が7歳の頃の話をしましょう。ある冬の日母が青龍寺のお大師様にお参りに行こうと言いました。暗いうちに起きてお弁当と新しい二人分の草履を背負い出かけました。家からお寺までは8kあります。其のうち5kは山道です。お寺に着いた時は12時でした。いりました。お大師様の前で母は心経と光明真言を唱え、さらに500メートル山上の観音様にもお参りしました。 . . . 本文を読む
1、お蔭をすぐには受けられないことがあります。
福聚講の松田京子さんが以前「お蔭の出方について」という投稿をしてくれています。松田さんがお蔭を受けた秘訣です「1、祈り続ける。2、苦しいことが続くことを恨まない。3、自分自身が変わる。」この三つの考えを理解しようとしない人がいましたが、その人の場合、事態はより悪化しまし . . . 本文を読む
「沙門勝道山水を歴て玄珠(げんじゅ、悟りを求める心)を瑩く碑並序沙門遍照金剛撰」蘇巓鷲嶽(そてんじゅがく、須弥山・鷲峯山)は異人(佛菩薩)の都するところなり。達水龍坎(だっすいりょうかん、龍の棲む池)は霊物ここにあり。夫れ境、心に従って変ず。心垢るれば境濁る。心は境を逐って移る。境しずかなるときは心ほがらかなり。心境冥会して道徳(絶対の働き)はるかに存す。能寂(釈迦)常に居して利見し(仏がみそなわ . . . 本文を読む
恵果和上の霊験1、大師が撰せられた「大唐神都青竜寺故三朝の国師灌頂の阿闍梨恵果和尚の碑」に恵果和上は現世利益も重んじられたとあります。「(恵果阿闍梨は)唐の歴代の皇帝玄宗、粛宗、代宗の国師であり、代宗、徳宗、順宗は恵果阿闍梨を師として結縁灌頂をうけた。長安の青龍寺にあって多くの降雨止雨をはじめとする霊験を現し衆生済度につとめられた。」「榮貴を示して榮貴を導き(榮貴を求めるものには榮貴を与えて導き) . . . 本文を読む
「後拾遺往生伝」「(治歴元年1068)同年八月又(東宮敦良親王)御薬事あり。親皇(性信法親王)、閑院に於て孔雀経法を修す。第四日、日中時已に平気を得る。結願の日、大夫權中納言能長卿、大師自筆の十喩経一巻を賜ふ。又主馬署驊騮(かりゅう・名馬)二匹を賜ふ。」
「孔雀経御修法記」「大御室(性信法親王)、治歴元年1068八月十三日、閑院孔雀経法、第四日日中初めて讃頌音を聞く。此の暦日より(敦良親王)平復 . . . 本文を読む