観音経を読誦して水難から助かった事
観音経には「由是菩薩威神力故。若為大水所漂。称其名号。即得浅処。
若有百千万億衆生。為求金。銀。瑠璃。車渠。瑪瑙。珊瑚。琥珀。真珠等宝。入於大海。仮使黒風吹其船舫。飄堕羅刹鬼国。其中若有乃至一人称観世音菩薩名者。是諸人等。皆得解脱羅刹之難。」とあります。
古来観音経を読誦して水難から助かった事は多くあります。
1,古今著聞集巻二「生智法師 . . . 本文を読む
以前Tさんから頂いていた文章を再出しました。
【あきらめない】 T.U
私は弟2人の長女として生まれました。おばあちゃん子の甘えんぼでしたが、小3の時に一緒の布団で寝ていた祖母が心筋梗塞で他界し、半年後に突然声が出なくなりました。学校では声が出ないためかいじめられ、自分の居場所がなく、毎日踏み切りに行っては死ぬこ . . . 本文を読む
観音様の霊験で首がつながった話
平盛久は由比ガ浜で斬首されるところ清水の観音様に白衣に裸足で千日詣をしていたお陰で助かります。これは平家物語にあり鎌倉にも碑があります。上野清水観音堂の記録には此の秘仏ご本尊はこの盛久の念持佛とされています。以下にあります。
1,長門本平家物語巻二十、「・・主馬八郎左衛門(平)盛久、京都に隠れ居りけるが年来の宿願にて等身の千手観音を造立し奉りて、清水寺の本尊の右 . . . 本文を読む
今日は気比神社総参祭です。
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今日は全生庵で鉄舟忌があります。
山岡鉄舟 は天保7年(1836年)6月10日、江戸本所で小野朝右衛門高福の第五子として生まれるました。母は塚原磯(常陸国鹿島神宮神職・塚原石見の二女。先祖に塚原卜伝)。剣・禅・書の達人で江戸無血開城の功労者、明治天皇侍講等人口に膾炙しているところです。 明治16年(1883年)、維新に殉じた人々の菩提を弔うため東京都台東区谷中に普門山全生庵を . . . 本文を読む
今日七月十二日は忍性菩薩御入滅の日です。嘉元元年1303年、七月十二日極楽寺において、忍性菩薩は入滅されています、87歳でした。「良観上人舎利瓶記」には「良観上人、法諱は忍性、西大寺の沙門なり俗姓は伴氏、その考(父)は伴貞行、その妣(母)は橘氏の女也。建保五年(1217)丁丑七月十六日大和国城下郡屏風里に生る。貞永元年1232七月十日十六歳にして出家し道に帰す。天福元年1232、東大寺戒壇院におい . . . 本文を読む
明和元年7月9日、護国寺で秩父三十四観音の総開帳が行われています(護国寺史。以下も同様)。このあと10 月10日に境内に総開帳供養塔が建立されています。これはいまも本堂前にあります。その後、護国寺では江戸期だけで四回は秩父三十四観音の出開帳が行われています。当方も秩父は無数にお参りしており、真っ赤になった納経帳が数冊あります。護国寺と秩父札所のふかい縁を知り毎月護国寺にお参りさせていただいている当 . . . 本文を読む
「頂いた数々の不思議」(S・T女史。日本巡礼記集成より)「・・昭和7年、岸和田に天然痘が流行しまして、毎日のように病人が隔離されていきました。巡査も毎日回ってきて『誰も悪い人はいませんか』と尋ねてきます。その最中に運悪く主人も天然痘に罹ってしましました。はじめは風邪と思っていたのですが次第に熱が上がってきます。医者に診てもらって天然痘と診断されたら、当該家と向こう三軒両隣は井戸までカルキで消毒され . . . 本文を読む
「古今著聞集 神祇第一」「二十七、盲人、熊野社に祈請して開眼の事」
「熊野に盲の者、柴灯(油が入手しがたいので柴をたいて燈明代わりにしたもの)をたきて、眼の明かならん事を祈るありけり。
この勤め三年になりにけれども、しるしなかりければ、権現を恨み参らせて、うち臥したる夢に『汝が恨むるところ、そのいはれなきにあらねども、先世の報いを知るべき也。汝は日高川の魚にてありしなり。彼の河の橋を道者渡ると . . . 本文を読む
毎月27日は仏壇の日です。これは天武天皇が白鳳14年(西暦685年)の3月27日、「諸國家毎に佛舎(ほとけのみや)を作り、即ち佛像と経とを置きて礼拝供養せよ」との詔を発した(『日本書紀』)のにちなみ全日本宗教用具協同組合が制定したようです。以前、「宮尾すすむの日本の社長」という番組がありましたが、この中で宮尾氏が「取材した会社の中には既に倒産したところもある。しかし繁栄が続いている社長の共通点は、 . . . 本文を読む
「続本朝往生伝」に六十六代一條天皇は不動火界呪(注1)で死後一瞬蘇生されたとあります。
「続本朝往生伝」「一條天皇」「六十六、一條天皇は円融院の子也。母は東三条院、七歳即位、御宇二十五年間、叡哲叙明、万事慶長、才学文筆、詞歌人に過ぎたり。絲竹絲歌音曲絶倫、年始めて十一、円融院に於て自ら龍笛を吹き以て震遊に備ふ。佳句多し。悉く人口に在り。時の人を得る也。斯に於いて盛と為す。親王則ち後中書王(具平) . . . 本文を読む
今日天長元年6月16日は大師が造東寺別当に任ぜられた日です。高野大師御広伝には「今月六月十六日、補造東寺別當。於造東寺所偁。少僧都伝燈大法師位某。右、右大臣の宣を被る、奉勅。件の人、彼の所前別當大僧都伝燈大法師位長恵、造西寺別當替、補任件の如きもの也。・・」とあります。 . . . 本文を読む
「今昔物語集・巻十二紀伊の国の人、海に漂ひ仏助に依りて命を存したる語 第十四」
今昔、白壁の天皇(光仁天皇・八世紀)の御代に、紀伊の国日高の郡に、紀麿(きのまろ)と云ふ人有けり。心に因果を信じずして、三宝を敬はず。然れば、年来海辺に住して、網を持て海に出て、魚を捕るを以て朝暮の業とす。
然るに、紀麿、二の人を仕ふ。一人を紀の臣馬養(おみうまかひ)と云ふ。其の国、安諦の郡の吉備の郷(和歌山県有田 . . . 本文を読む
「古今著聞集 釈教第二・五十」「大御室性信親王有驗の事」
「性信二品親王は三条院末の御子、御母は小一条大将済時卿の女なり。昔、母后の御夢に胡僧来たりて、『君の胎に託せんと思ふ』と申しけり。その後懐妊し給ひけり。誕生の日、神光室を照らす。御法名性信なり。大御室とぞ申し侍りける。
院、御瘧病の時、諸寺の高僧等、その験を失ひけるに、この親王、朝より孔雀経一部を持ちて参らせ給ひて、御祈念ありけるほどに . . . 本文を読む