「(日本霊異記)卅四、怨病忽ち身に嬰かかり、之に因りて受戒行善して以って現に病を愈すことを得る緣」
「巨勢呰女(こせのあさめ)者,紀伊國名草郡埴生里之女也。以天平寶字五年761辛丑、怨病身に嬰(かか)り,頸に癭肉疽を生じ、大苽の如し。痛苦切るが如くにして歷年不愈。自ら謂へらく、「宿業の招く所ならむ,但だ現報にみには非じ、滅罪し病を差(いや)すよりは,善を行はむには如かじ。」と。剃髮受戒し袈裟を著、其里の大谷堂に住む。心経を誦持し,行道を宗と為す。逕ること十五年,行者忠仙,來りて共に堂に住む。忠仙之を此病相を見て惆み,看病咒護し發願して言く、「是病を愈んが為に,藥師經・金剛般若經各三千卷、觀世音經一萬卷、觀音三昧經(今は失経)一百卷を読み奉らむ也」と。歷ること十四年,藥師經二千五百卷,金剛般若經千卷,觀世音經二百卷を読み奉る。唯し、千手陀羅尼は間なく之を壽す也。未だ卷數に満たぬに,受病の歲より以來,逕ること廿八年,延曆六年787丁卯冬十一月廿七日之辰時に至り,癭瘜癰疽、自然に口開き,膿血流出し,平復すること願の如く也。實に知るべし,大乘神咒の奇異之力、病人行者の積功之德なることを。「無緣の大悲は、至感之者に異形を播(ほどこ)す。無相の妙智は、深信之者に明色を呈す。」とは、其れ斯れを謂ふ矣