福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「河内高貴寺縁起」

2021-03-31 | 法話

「河内高貴寺縁起」(大日本仏教全書) 

「河内国石川郡平石郷高貴寺縁起幷に記録 

夫れ当山は文武天皇の勅願を奉じ役小角開基の勝地なり。役公恒に和光の化跡を崇め、専ら佛乗の実義を信じ大峯の嶮巘に攀登し鬼神を駆逐し威験を施す。撥して葛城峯中において二十八箇の宿處を構へ三宝冥衆の護念に憑く。是則ち法華の品に擬す。次に當嶽は普門品膺哉。風聞當に初め底筒男命天より降り御座(奉祝の岩船明神是也)、因りて神下山香華寺と名く。爰に弘法大師、此の霊地に来住時に高貴徳王菩薩(涅槃経の影向衆)忽ち此の山に応現す。之に依りて改めて高貴寺と号す。奇なる哉、此の地体たるや嶺高く天を衝き、谷深くして泉沸く。朝は東陽に向ひ夕は西海を望む。地は八景を越へたり。躰は雲霧を移す。鳥樹林に鳴き苦空を勧む。禽獣渓岸幽跡を摧く。清風窓を叩き常楽夢金鐘を驚す。谷響三宝唱吟之の如し。中央に一岳あり。後高秀巍々而鎮、神慮の高大を象す。前深く巌幽幽而恰も佛徳の甚奥なるに準ず。又左青龍右白虎、誠に四神相応の霊地、化跡一致の標幟なり。 

一、閼伽井の事。大師在世浄室辺に一嶮岸あり。三鈷杵を以て彼の石巌を穿ち加持力を以ての故に即時に霊水沸沸。其の味甘美なり。是の故に乳水の閼伽井と称す。亦石蔵院と名く。若し之を信じ之を汲むの輩連hあ三妄の垢穢を洗ふ。之を仰ぎ之を嘗むるの類は必ず六染濁知愚を磨く。老少信ぜざるべからざる也。御歌に曰く「情之宇津美於苦木葉野 下野反志水流野末和絶奴物加和」 

 

一、善女竜王事、風雨順時、五穀成就の為に大師之を勧請さる。是旱魃年歴代先徳を以て請雨数度行はる。効験旧記nい之を載す。 

 

一、大師御影堂事、此是本聞持道場也。修法の後、大師自ら等身の形影を手作され、ここに安置さる。故に御影堂と号す。山上昔より女人結界あんり。然れども中古愚女此れに登り忽ち老僧出現し種々呵責す時即ち地に躄れ死す。是より以来倍す恐れざるなし。又祖師修法の比、後夜に於いて念誦、禅室三宝の鳴を聞き一頌を作りて曰く 

「閑林独座草堂暁 三宝聲聞一鳴 一鳥有聲人有心 聲心雲水俱了々」 

後鳥羽院御製曰 

「我国者法伊伽目敷處 手鳥茂仏法與 社鳴 深心恋慕之人 今に至りて其の音を聞く耶」 

 

一、大師御筆塔婆事、師恩謝徳の為に聊か塔婆を造立。自ら梵文を書き、兼ねて志趣を彰され永代の住物と為す。密に之を納むる宝庫也。 

 

一、御祈祷金鈴事、大師、大唐恵果和尚方被を承りこの山に留る。歎じて、松虫の寶鈴と名く。見聞の輩信敬を致すべき哉。 

 

一、大師採画不動幷四童子、天下安寧を祈る巧切不慮乎. 

 

一、柴手水事、大師修法の時、檜葉を以て手を浄ひ畢り即ち捨てさる。椿木上蓮生、今に絶へざる也。」 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 五蘊八苦は幻現 | トップ | 「訓訳原人論・釈雲照」をもとに »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事