日本紀略弘仁十四年823一月「廿日丙子、新銭百貫を大和國に賜ひ益田池築料に苑つ」大師の「大和州益田池碑銘并序」です。「大和州益田池碑銘并序 若夫、感星銀漢下し灑(そそ)ぐ功深し、湖水天池、上り潤すの徳普し、故に能く屮芔(そうき・・草)これによりて鬱茂たり、蟲卵これに頼りて長生す、八氣(はっき・・八紘の気で寒暑を出す)播殖し、五才(五行)陶冶するがごときにいたっては、北方之行、偏に其の最に居り、坎( . . . 本文を読む
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三代実録 / 貞観十四年(872)正月廿日辛卯条
「廿日辛卯 是月 京邑咳逆病発 死亡者衆 人間言 渤海客来 異土毒気之令然焉 是日 大祓於建礼門以圧之」
(廿日、この月、京邑で咳逆病が起こり、死亡者が多くあった。 . . . 本文を読む